中務哲郎訳『イソップ寓話集』 | 文学どうでしょう

文学どうでしょう

立宮翔太の読書ブログです。
日々読んだ本を紹介しています。

イソップ寓話集 (岩波文庫)/岩波書店

¥945
Amazon.co.jp

中務哲郎訳『イソップ寓話集』(岩波文庫)を読みました。

「嘘をついてはいけない」と、耳が痛くなるぐらい何度も言われても、なかなか身につかないもの。ところが、こんな話を聞かされたらどうでしょう。みなさんきっとご存知のお話だろうと思います。

  二一〇 羊飼の悪戯

 羊飼が羊の群を村から遠く追って行きながら、いつもこんな悪さをした。大声で村の人に助けを求めては、狼が羊を襲いに来た、と言ったのだ。二度三度は村人たちも慌てて飛び出して来て、やがて笑いものにされて戻って行ったが、とうとう本当に狼が来てしまった。羊の群が分断され、羊飼は助けを求めて叫んだが、村人はまたいつもの悪さだと思って、気にもかけなかった。こうして羊飼は羊を失ってしまった。
 嘘つきが得るもんは、本当のことを言った時に信じてもらえぬこと、ということをこの話は説き明かしている。
(164~165ページ)


俗に言うこの「オオカミが来た」の話を聞いただけで、「ああ、嘘をついてはいけないんだなあ」としみじみ思いますよね。こうした何らかの教訓を含んだ話を、寓話(ぐうわ)と言います。

やはり一番有名なのが、今回紹介する「イソップ寓話」でしょう。

グリムやアンデルセンの童話と同じような感じで絵本や児童書になっていることも多いので、普段あまり意識しないことだとは思うのですが、「イソップ寓話」の成立は、実はかなり古いです。

作者とされるアイソポス(イソップは英語読み)は古代ギリシアの人で、生まれた年ははっきりしていませんが、紀元前6世紀頃ではないかと言われています。そうです、まさかの紀元前なんです。

それだけ古い話なので、イソップが本当に実在したのかどうか、「イソップ寓話」の成立にどれくらい関与したかよく分かっていませんが、イソップの名前のついた寓話集が紀元前から作られていました。

「オオカミが来た」の章を丸ごと引用したのですが、ああいう感じで番号のついた短い話が、全部で471章収録されています。それぞれは短い話なので、とても読みやすいですよ。

「イソップ寓話」の全体の特徴としては、動物が出て来る話が多いこと、ゼウスやヘルメス、アプロディテなど、ギリシア神話の神々が出て来ること、章の最後に教訓がつけられることなどがあります。

引用した章を読んでみてどうでしたか? 思いのほか無味乾燥というか、味気ない文章という印象だったのではないでしょうか。

なので、子供向けのものではセリフが加えられたり、躍動感のある物語的な文章に書き直されることが多いです。そうしたものは、「イソップ童話」や「イソップ物語」などとも呼ばれるようです。

「寓話」と「童話」の大きな違いは、「寓話」の場合、本来は子供だけが読者対象のものではないということ。

「イソップ寓話」には、大人が読んでも唸らされるほどの、人生を生き抜くための知恵がたくさん詰まっています。

人生の岐路に立たされた時、迷いを抱えた時、何かと頼りになる「イソップ寓話」。自己啓発書を手に取るような気持ちで、もう一度読んでみてはいかがでしょうか。きっとためになること請け合いです。

作品の内容


ぼくも一番好きですし、最近、「『イソップ寓話』と言えばこれ!」みたいな感じで人気が高いのが「すっぱいブドウ」の話だろうと思います。これは全文紹介しましょう。

  一五 狐と葡萄

 腹をすかせた狐君、支柱から垂れ下がる葡萄の房を見て、取ってやろうと思ったが、うまく届かない。立ち去りぎわに、独り言、
「まだ熟れてない」
 このように人間の場合でも、力不足で出来ないのに、時のせいにする人がいるものだ。(33ページ)


手に入らなかったものに対して、「どうせ酸っぱいんだ」と負け惜しみを言ってしまうキツネ。すごく気持ちが分かると同時に、こんな風になったら駄目だよなあとも思います。

失敗すること自体は悪いことではないのですが、他の誰かあるいは何かに責任転嫁して自分を納得させてしまうことは、やはりかっこいい態度とは言えないでしょう。反面教師にしなければですね。

では、ここからは特に有名な話を7編紹介しましょう。

「四六 北風と太陽」

どちらが強いか言い争いになった北風と太陽は、旅人の服を脱がせられるかどうかで、勝負をすることになりました。

北風は風を吹き付けますが、旅人はますます着物をおさえるばかり。一方、太陽はじわじわと熱をあげていって、旅人の服を脱がすことに成功したのでした。説得が強制よりも有効なことが多いという話。

「八七 金の卵を生む鵞鳥」

ヘルメスを崇拝した心が認められ、神から金の卵を産むガチョウをもらった男がいました。しかし、金の卵が産まれるのを待つのが惜しいあまりに男はガチョウを殺してしまいます。

中身を見ると金など全然なく、他のガチョウと何ら変わらないのでした。欲張ったばかりに、男は金の卵を生むガチョウを失ってしまったのです。欲張り過ぎると物事を失敗するという話。

「一三三 肉を運ぶ犬」

肉をくわえて川を渡っていた犬は、水面にうつる自分の姿を見て、別の犬が自分のより大きな肉を持っていると思い込んでしまいます。

そして相手の肉を奪おうとしますが、奪うどころか自分の肉を川に落としてすべてを失ってしまいました。これもまた欲張りを戒める話。

「一七三 木樵とヘルメス」

ある木こりが川に斧を落としてしまいます。そこへ現れたヘルメスは、川の中へ潜っていって、金の斧を持って来てくれました。

木こりが正直に、金の斧も銀の斧も自分のものではないと言うと、金の斧、銀の斧、自分の斧を3つとも与えてくれます。

その話を聞いた仲間の木こりが同じことをしますが、うっかり金の斧が自分のものだと言ってしまい、自分の斧までも失ってしまったのでした。正直者は報われるという話。

「二二六 亀と兎」

ウサギとカメが、どちらが足が速いか競争することになりました。

自信のあるウサギはいねむりをしてしまい、一方カメは一生懸命に走って先にゴールします。どんなにすぐれた才能も、磨かなければ努力に負けることが多いという話。

「三五二 田舎の鼠と町の鼠」

町の鼠に招待されて、田舎の鼠は大きな家へと出かけていきます。そこにはたくさんのご馳走があったので大喜び。

しかし、かごからチーズを運ぼうとしていると、人間がやって来たのでびっくり仰天です。人間が来るたびに隠れなければならないので、すっかり疲れてしまった田舎の鼠。

最後には、「こんなに沢山のものがあるけれど、危険がいっぱいだ。僕は貧しい土くれだってかまわない、その下の麦の屑を、怖いものなしで齧るのだ」(263ページ)と言ったのでした。

「三七三 蟬と蟻」

アリが、夏の間に貯め込んだ穀物を乾かしていると、飢え死にしそうなセミがやって来て、食べ物を分けてほしいと頼みます。

夏に何していたのかとアリが尋ねると、怠けていたのではなく、忙しく歌っていたのだとセミは答えました。

するとアリは笑いながら、「夏に笛を吹いていたのなら、冬には踊るがいい」(276ページ)と言ったのでした。いわゆる「アリとキリギリス」の話。「一一二 蟻とセンチコガネ」もほぼ同じ話。

タイトルや動物は少し変わっていても、どれも知っている話ばかりだったのではないでしょうか。「蟻と蟬」は、セミがいない地方でセミからキリギリスに変ったようです。

「イソップ寓話」の興味深い点は、絶対的に正しい道があるという風な書き方がされていないこと。

たとえば、よく知られている「アリとキリギリス」では、アリが正しい者として描かれていましたよね。冬に備えてしっかり労働していた者こそ正しいのだと。

ところが、「一六六 蟻」では、「自分の汗の結晶に満足せず、他人のものにまで羨望の目を向け、隣人の収穫をくすね続けた」(136ページ)人間が、ゼウスによってアリへと変えられたと書かれます。

教訓は「陋劣な本性の人はどんなに懲らしめられても生き方を変えない」(136ページ)であり、必要以上に働き、貯め込むことに対して、ここでは否定的な語られ方をしています。

同じように、「一八三 野生の驢馬と飼われた驢馬」と「四一一 野生の驢馬と家の驢馬」とでは、どちらの生き方が素晴らしいかという点で、正反対の結論が導き出されているんです。

「一八三」では、厳しい労働を課せられる飼われたロバを見て、野生で自由に生きることの素晴らしさを語っているのに対し、「四一一」では、野生のロバはライオンに食べられてしまうのです。

思わずどっちなんだよ! とツッコみたくなってしまいますが、よくよく考えたら、人生なんてケースバイケースで、マニュアル通りの生き方なんて、なかなか出来るものじゃないですよね。

自信満々で失敗しがちな人にはちょっと待てよと言い、おどおどして失敗しがちな人には、ぐいぐい行けと勇気づけてくれる、「イソップ寓話」には、そうしたいいバランス感覚がある気がします。

あまり知られていなくても、面白い話というのもたくさんありました。そんな話を最後に一編だけ紹介して終わりましょう。

  二一三 柘榴と林檎と茨

 柘榴と林檎が実の立派さを競い合った。言い争いがいよいよ熾烈になるのを、近くの垣根から茨が聞きつけ、口出しするには、
「仲間よ、争うのは止めようではないか」
 このように、数にもあらぬ者までが、優れた人たちの揉めごとにしゃしゃり出ようとするのである。(166ページ)


実のないイバラが、どや顔でザクロとリンゴの間に割って入ったシチュエーションを考えると、なんだかじわじわ来る面白さがあります。教訓がまたウィットに富んでいていいですよね。

こんな風に、なかなか子供向けの”物語”にはならないような話もたくさんありますので、興味を持った方は、ぜひ読んでみてください。

真面目な話もあれば、ジョークみたいな話もあって、笑えたり、深く考えさせられたりする一冊。おすすめですよ。

明日は、『ティル・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら』を紹介する予定です。