ジェームズ・フェニモア・クーパー『モヒカン族の最後』 | 文学どうでしょう

文学どうでしょう

立宮翔太の読書ブログです。
日々読んだ本を紹介しています。

ジェームズ・フェニモア・クーパー(犬飼和雄訳)『モヒカン族の最後』(上下、ハヤカワ文庫NV)を読みました。残念ながら現在は絶版のようです。

『モヒカン族の最後』は1826年に発表された、かなり有名なアメリカ文学の作品なので、みなさんもきっとどこかでタイトルを耳にしたことがあるのではないでしょうか。

原住民にさらわれた女性たちを救うために奮闘するという、シンプルなストーリーが受けて、元々は大人向けの小説ですが、児童文学としても読まれることがあるようです。

たとえば日本でも、福音館の児童文学全集である「福音館古典童話シリーズ」に、イラスト付きで収録されています。値段はややしますが、こちらは今でも手に入ります。

モヒカン族の最後 (福音館古典童話シリーズ 30)/福音館書店

¥2,730
Amazon.co.jp

『モヒカン族の最後』は有名な作品ですが、残念ながら現在の日本では、大人にも子供にも、ほとんどまったく読まれていない作品でしょう。それには、いくつかの理由が考えられます。

まだアメリカが出来る前の1757年、北アメリカの植民地をめぐるイギリスとフランスの戦いが描かれているのですが、まずその時代背景そのものに馴染みがないこと。

しかし何よりも、物語に原住民が登場すること、おそらくこれが一番大きいでしょう。白人の争いに原住民の様々な部族が巻き込まれてしまう物語なんです。

原住民は昔風に言えば”インディアン”ですが、”インディアン”という呼称自体が問題となり、その描かれ方も実際とはこんな所が違うなど、現在では色々と問題になりがちですよね。

黒人奴隷の問題を描いたH.B.ストウの『アンクル・トムの小屋』が話題になり辛いのと同じように、人種の問題が描かれた作品は、現在では好んで読まれない傾向にあると思います。

ただ、原住民のステレオタイプ(よくあるイメージを使っている)な描かれ方に問題はあるにせよ、冒険小説の系譜を辿っていくと必ず出て来る小説なので、興味を持った方はぜひ読んでみてくださいね。

ちなみに『モヒカン族の最後』は、5部作からなる「革脚絆物語」(「レザーストッキング物語」とも)の第2作でもあります。

一番有名な『モヒカン族の最後』ですらあまり読まれていないのが現状ですから、ぼくの知る限り、翻訳されているのは他に『開拓者たち』(上下、岩波文庫)のみ。しかもその『開拓者たち』も絶版。

出版順に5部作を並べると、『開拓者たち』、『モヒカン族の最後』、"The Prairie(『大草原』)","The Pathfinder(『道を開く者』)","The Deerslayer(『鹿殺し』)"になります。

作中の年代順に並べると、"The Deerslayer(『鹿殺し』)",『モヒカン族の最後』,"The Pathfinder(『道を開く者』)",『開拓者たち』、"The Prairie(『大草原』)"のようです。

出版された順と、作中の時代は違ってるんですね。カッコ内の仮タイトルは、『モヒカン族の最後』の訳者、犬飼和雄の解説のものをそのまま使わせてもらいました。

ぼくもこの『モヒカン族の最後』しか読んだことがないのですが、犬飼和雄の解説によると、白人ながら原住民と自然の中で暮らすナサニエル(ナティー)・バムポーがこの5部作で主要な人物のようです。

それぞれの作品で登場する名前は違うようですが、第2作であるこの『モヒカン族の最後』では、ホークアイもしくは”長い銃”というあだ名の、銃の達人として登場しています。

最後に映画について。『モヒカン族の最後』は何度か映画化されていて、最も新しいのは1992年にアメリカで公開されたマイケル・マン監督、ダニエル・デイ・ルイス主演『ラスト・オブ・モヒカン』。

ラスト・オブ・モヒカン ディレクターズカット [Blu-ray]/ワーナー・ホーム・ビデオ

¥2,500
Amazon.co.jp

小学生の頃にリアルタイムで見て以来、いつか見返したいと思いながらも、DVDが廃盤になっていたので困っていたんです。本当に10年ぐらい探してたんですよ。

同じくダニエル・デイ・ルイスが主演をつとめる『リンカーン』の公開にあわせてなのかどうなのか、ついにブルーレイで出たので、ようやくまた観れました。いやあ、嬉しかったですねえ。

原作にはラブストーリーの要素はほぼゼロなんですが、映画は物語の骨格は同じながら、立場を越えたラブストーリーになっていて面白いですよ。映画の方も機会があれば、ぜひ観てみてください。

作品のあらすじ


イギリスとフランスが北アメリカの植民地支配権をめぐって激しい戦いをくり広げていた1757年。原住民たちもそれぞれ、イギリスかフランスについて戦っています。

そんな中、2人の姉妹、コーラとアリスがイギリス軍のヘイワード少佐に連れられて、ウィリアム・ヘンリー砦を守る父マンロウ大佐の元に向かっていました。

道中何が起こるか分かりませんが、この土地に詳しい原住民の伝令が案内役としてついていてくれているので安心です。

そこへ、たまたま近くで狩りをしていた、白人ながら原住民たちと暮らすホークアイ、モヒカン族の最後の生き残りであるチンガチグックとアンカスの父子が通りかかりました。

ホークアイはヘイワード少佐に、案内役の原住民は危険なヒューロン族のようだから気をつけろと忠告します。

すると、”ル・ルナール・シュプティル”(狡猾なキツネ)のあだ名を持つヒューロン族のマグワは、ヘイワード少佐の様子が変わったのを感じ取り、逃げ出したのでした。

ヘイワード少佐はマグワを追いかけようとしますが、ホークアイはそれを止めます。仲間たちがトマホーク(原住民が使う斧)を振り回す場所まで、巧妙におびき寄せる気に違いないと思ったから。

ホークアイ、チンガチグック、アンカスは相談します。この土地や人々について詳しくないヘイワード少佐と姉妹を、このまま置いていっていいものかどうか。何が起こってもおかしくありません。

そこで、ホークアイたちはヘイワード少佐と姉妹を安全な場所まで送り届けてやることにしたのでした。

「だが、金でお礼をするなんて申し出るのはやめたほうがいい。あんただって、そうするまで生きていられるかどうかわからないし、おれだって、もらえるまで生きていられるかどうかわからないからだ。おれはこのふたりのモヒカンと一緒に、娘たちを守るために、知恵をふりしぼり、できるだけのことをする。娘たちは美しいが、美しいだけではこんな荒野の中では生きていけない。だが、お礼なんてもらおうとは思っていないぞ。正しいことをすれば、神さまがかならず褒めてくださる。ところで、ふたつのことを約束してくれ。あんたや娘たちのためにな。さもないと、あんたたちを助けるどころか、おれたちまで殺されてしまうことになる!」
「なんだかいってくれ」
「ひとつは、なにが起こっても、この眠っている森のように静かにしているということだ。もうひとつは、これから案内する場所を、だれにも洩らさないで、秘密にしておくということだ」
(上巻、71ページ)


途中で、ヒューロン族に姉妹をさらわれたり、何度も危険な目に遭いますが、ホークアイたちは、無事に姉妹をウィリアム・ヘンリー砦まで送り届けることが出来たのでした。

しかし、フランス軍に包囲されたイギリス軍のウィリアム・ヘンリー砦では、厳しい戦いが続いていたのです。頼りにしていたウェッブ将軍からの援軍も来そうにありません。

そんな中、ヘイワード少佐は、マンロウ大佐にアリスと結婚したいと告げます。するとマンロウ大佐は何故姉のコーラではないのかと動揺し、自分の心の傷を打ち明けたのでした。

実はコーラは、マンロウ大佐が由緒正しき血筋であるアリスの母と結婚する前に、西インド諸島で結婚した相手との間に産まれた娘だったんですね。

コーラの母は、奴隷の血を引いていた女性だったのです。ヘイワード少佐は、自分の心に偏見があることに気付きますが、アリス自身に引かれたのだと答えました。

やがて、マンロウ大佐とフランス軍の司令官モンカルムとの間に、休戦協定が結ばれます。イギリス軍はそのまま、ウィリアム・ヘンリー砦を立ち去ることを許されたのでした。

ところが、それを黙って見ていられなかったのが、フランス軍についているヒューロン族のマグワ。

マグワは、白人が持ち込んだ火の水(酒)のせいで失態を犯してしまい、一族を追放され、他の酋長に妻を奪われたため、マンロウ大佐を激しく憎んでいるのです。

そこで勝手に、仲間のヒューロン族たちを率いて、移動中のイギリス軍を襲ってしまったのでした。これは元になった史実があります。「ウィリアム・ヘンリー砦の戦い」です。

そうして凶悪なヒューロン族にさらわれてしまったコーラとアリスの姉妹。ヘイワード少佐とチンガチグック、アンカスは姉妹を助けるため、急いでその行方を探し始めました。

ヒューロン族は痕跡を隠しながら移動していたのですが、観察力に優れたアンカスは、残されていたかすかな足跡を見つけます。

ついに村を見つけ、クマに化けて行動するなど、ホークアイらは色々と姉妹の情報を集めていたのですが、その途中でアンカスはヒューロン族に捕まってしまいました。

コーラとアリスはそれぞれ別の村に捕まっていることが分かり、ホークアイはコーラを救うためにデラウェア族の元へ向かいます。

そして、優れた銃の腕前を見せつけ、デラウェア族の老酋長に、自分が”長い銃”本人であることを証明したのでした。では、その場面を紹介しましょう。

落ち着いて、よどみなく銃を構えた。銃をぴったり水平に構えると、ほんの一瞬、まるで人間と銃が石に刻みこまれたみたいに、そのままじっと立っていた。そのように制止したまま、ホークアイは銃を発射した。銃口からぱっと、明るい炎が吹きだした。ふたたび、若いデラウェアたちが飛びだしていき、弾がどこに当たったかあわてて捜していたが、そのうちに、失望したような表情を浮かべた。どうやら、弾の当たった跡がどこにもなかったようだ。
(中略)
「いいか、森の射撃の名人の弾を見つけたかったら、瓢簞のまわりではなく、瓢簞の中を捜してみろ」
 若いデラウェアたちは、ホークアイのいったことがすぐわかった――ホークアイがデラウェア語でいったからだ――そこで、木から瓢簞をひきちぎり、高くさしあげながら歓声をあげ、瓢簞の底をみんなに見せた。弾は、瓢簞の上端にある口の真ん中を突き抜け、底に穴をあけていたのだ。(下巻、236ページ)


100メートル先の的であるひょうたんに、弾を当てるだけでも至難の技なのに、なんとさらに小さなひょうたんの口の中に弾を撃ち込んだものすごさ。

はたして、ホークアイは、デラウェア族の老酋長を納得させ、コーラを解放してもらうことができるのでしょうか?

そして、囚われの身になっているアリスとアンカスの運命はいかに!?

とまあそんなお話です。さらわれた女性を救いに行くという、騎士道的とも言える物語。

作品の背景には、植民地支配をめぐるイギリス軍とフランス軍との対立があり、原住民もまた、それぞれの側について戦っているわけです。

白人と原住民の間にも恨みや憎しみなど、複雑な感情がある中で、それぞれが大切な人を守ろうとする、そんな物語。

ちなみに、映画『ラスト・オブ・モヒカン』では、どんな風にラブストーリーの要素が加えられているかと言うと、ヘイワード少佐が好きなのがアリスではなくコーラになっているんですね。

奴隷の血を引いているという設定がないコーラは、原住民に育てられたらしきホークアイといつしか心通わせるようになり、ホークアイ、ヘイワード少佐、コーラが三角関係になっています。

そして、アンカスとアリスもやがてお互いを想い合うようになっていって・・・という感じです。

原作と映画と共に、冷酷な敵役マグワは、非常に嫌なやつですし、恐ろしいやつなんですが、白人に生活を破壊されてしまったという点では、共感出来なくもないキャラクター。

ホークアイたちの活躍や、大切な人を守ろうとするわくわくどきどきの冒険物語であると同時に、やはり文化的な事柄について色々と考えさせられる作品でもありました。

テーマ的にはなかなかに重いものもありますが、興味を持った方は、ぜひ読んでみてください。

「革脚絆物語」第1作である『開拓者たち』も、その内また紹介したいと思っていますので、お楽しみに。

明日は、埴谷雄高『死霊』を紹介する予定です。