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マークスの山〈下〉 (新潮文庫)/新潮社
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高村薫『マークスの山』(上下、新潮文庫)を読みました。直木賞受賞作です。
近年、特に警察小説の人気が高まっているように感じます。
ぼくの感覚では、2000年前後に横山秀夫の一連の作品がベストセラーになり、その後、立て続けに映像化された(『影の季節』『臨場』など)ことが大きかったと思うのですが、どうでしょうか。
最近では、テレビドラマでも、警察を描いた人気シリーズがいくつも生まれていますよね。
犯罪と警察というのは勿論遠いものではなく、刑事が主人公の物語もそれこそたくさんありますが、最近の警察小説やドラマの動向を見ていると、大きな特徴があるように思います。
それは、刑事というよりは、警察組織が描かれた物語であること。
明晰な推理であっという間に難事件を解決してしまう、名探偵の様なスーパーヒーローは存在せず、わずかな手がかりを地道に追っていく、徹底的にリアルなものが好まれているようです。
そして、名探偵の不在ということよりも、もっと重要なのが、組織内の様々なしがらみが描かれていること。
所轄と所轄の縄張り争い、本庁との考え方の違い、組織で動かなければならないことの窮屈さが、嫌というほど描かれているものが多いですよね。
つまり、最近の警察ものでは実は、”いかに犯人を見つけるか”よりも、”組織のしがらみの中でいかに行動していくか”という方に重点が置かれていると言えます。
そしてそれは、現実の会社などでの各部門の力関係や、人間関係のしがらみなどと、ぴったり重なるんですね。
なので、ミステリのロジカルな面白さと言うよりも、まさに組織を描いた歴史小説に近いものとして、近年の警察小説は多くの読者を獲得しているのではないでしょうか。
『マークスの山』は、1993年に発表された言わずと知れたベストセラーですが、現在の警察小説の特徴をすべて兼ね備えていて、そういった点では、時代を先取りしたとも言うべき骨太な警察小説です。
元やくざと現役の役人がそれぞれ違う場所で殺される事件が起こりました。全く関連性のないように見えた2人でしたが、どうやら使われていた凶器が同じもののようで――。
事件の捜査にあたる合田雄一郎警部補らはやがて、事件の背景にある思わぬ事実にたどり着くのですが、所轄の縄張り争いや、本庁からの圧力に苦しめられていくこととなります。
「俺を引き込むな」と林は言った。「君らが掘り出してきた箱は、現場が拾って、現場が蓋を開けたというかたちでなければ、箱ごと無かったことにされる。俺に出来るのは、最終的に箱はたしかにあったと認めることぐらいだ。この意味、分かるな?」
「その前に、係長は中身を見たくないんですか」
「だいたいの中身は知っている。今日、本庁で検察から説明があった」
何ということだ――――。おおかた予想はついていたが、検察や桜田門が事件の背景の何たるかをあらかじめ承知していたことが確認された衝撃は、やはり小さくはなかった。
(下巻、256~257ページ)
犯人はあらかじめ分かっていますし、現場が突き止めた思いがけない事件の背景も、それほど大したことではありません。
なので、ミステリ的な醍醐味は、ほぼ全くないのですが、登場人物たちのそれぞれの人生がリアルに描き出されることによる、濃厚な人間ドラマが楽しめる作品になっています。
作品のあらすじ
昭和51年10月21日。山で暮らしている土木建設会社の作業員で、無口なことから《口なし岩》のあだ名を持つ岩田幸平が警察に捕まりました。
酔っていたこともあり、26歳の会社員である登山客を、獣と間違えてスコップで殴り殺してしまったんですね。
不思議なのは、その登山客が何故深夜の吹雪の中、無理して下山して来たのかが分からないこと。そして、スコップが事件の少し前に版場(作業員の住む所)から消えていたこと。
また、岩田の事件の三日前、同じ山で別の事件が起こっていました。一家心中があったのです。
両親は死に、男の子は無事保護されましたが、一酸化炭素中毒でハサミを振り回すなど、精神的な状態があまりよくないのを、刑事たちは気にしていました。
平成元年夏。岩田が起こした事件のすぐそばで、白骨化した死体が見つかりました。
再び警察の取り調べを受けた岩田は「あのころ、私は多分、何人か殺したと思います。よく思い出せませんが、殺しました。二人か、三人――」(上巻、103ページ)と自白してしまい、有罪判決を受けます。
平成四年春。看護師の高木真知子の家に、マークスを名乗る青年が訪ねて来ました。2人は昭和57年の秋、マークスが病院に入院していた16歳の時からの知り合いです。
その当時、マークスは意識がはっきりしていなかったりしたのですが、自慰を手伝ってあげたりした、特殊な関係性の2人。それ以来、マークスは時折真知子の家を訪ねて来たりしていました。
マークスはちょっとした盗みで刑務所に入っていたため、3年3ヶ月ぶりの再会ですが、マークスは真知子のことをほとんど何も覚えていません。それでも真知子はうれしそうな様子です。
「私がどんなにうれしいかわかる? あなたが私のことを覚えているなんて、考えもしなかった。だってあなた、ほんとうに覚えの悪い人だったんだもの。以前なら何かを覚えているのも三ヵ月が限度だったのよ。そうだわ、いまが悪い時期だと思ったのは私の思い違いだわ、もう昔と同じではないんだわ、あなた昔と違うわ、別人みたいよ、治ってるのよ――!」
よくなったのよ。治ってるのよ。女がそう呟く声をマークスは覚えているような気がした。治っているという言葉自体に大した意味は感じられず、自分が治っているとも思わなかったが、あらためてこの声、この匂いは知っていると思い、わずかにせよ確かに自分にも呼び戻せるものはあるのだと自分に言い聞かせた。
(上巻、143~144ページ)
10月5日月曜日午後6時15分。警視庁に110番通報がありました。路上で殺されていたのは、畠山宏という37歳で元やくざの男。
頭頂部には孔が開いており、特殊な凶器が使われたようですが、それが一体何なのかは分かりません。
10月7日水曜日。最高検察庁の次長検事、松井浩司が同じ凶器と思われるもので、殺されているのが見つかりました。
畠山と松井が殺されていた場所は、それぞれ管轄が違う所ですし、2つの事件には関連があるのかないのか、刑事たちは頭を悩ませます。
もしも同一犯による計画的な犯行なら、元やくざと現役の役人をどう結びつけるのか。また、もしも通り魔的な犯行ならば、なぜ被害者は子どもや女性でなく、狙いにくい成人男性なのか。なぜ柔らかい胴体でなく、固い頭を狙うのか。もしこれが第二の犠牲者となった場合、碑文谷と王子の合同捜査本部になるのか、あるいはならないのか。(上巻、218ページ)
2人の被害者に関係性が見えないことから、それぞれの所轄が別々に捜査にあたりますが、”猟奇連続殺人か?”という見出しで、週刊誌に事件のことがすっぱ抜かれてしまいます。
情報規制がうまくいかなくなると大慌てで、同時に一体誰が情報を漏らしたのかと怒る警察ですが、合田雄一郎警部補は、記事の不思議な点に気付きました。
記事には、「凶器は不明だが、おそらく特大のドリルの刃に似た細長い鋼鉄製の物体と見られている」(上巻、333ページ)と書かれていたのです。
死体検案書など、警察の資料ではそこまで詳しくは分かっておらず、「ドリルの刃」や「鋼鉄製」というのは、合田ですら初めて知った事実でした。
つまりこの情報は、警察から漏れたものではないことになり、その情報を知りえたのは数少ない人物――おそらくは犯人――であることから、合田は誰から話を聞いたのか、早速記者を問い詰めます。
やがて、少しずつ明らかになっていく犯人像と、連続殺人事件の裏にある思いがけない背景。
しかし、現場の刑事たちには上の組織からの大きな圧力がかかって・・・。
はたして、合田警部補らは、様々なしがらみを乗り越えて犯人を捕まえ、事件を無事解決することが出来るのか!?
とまあそんなお話です。警察側の視点、犯人側の視点が交互に描かれていくので、”誰が犯人か?”は、この小説では全く重要ではありません。
また、”何故、連続殺人事件は起こったか?”も、犯人がやや特殊な精神状態の人物なので、さほど重要ではないんですね。
むしろ、思いがけないボタンの掛け違いによって起こった”悲劇”を描いた小説と言ってよいでしょう。何か一つの要素でも欠けていたら、起こらなかったであろう出来事を描いた物語。
それだけに、単なるミステリを読んだのとは全く違う、不思議な余韻が残る作品になっています。
なかなかに硬質な文体の作品なので、好き嫌いは分かれるかも知れませんが、とにかく重厚で読み応えがあります。
組織内のしがらみが描かれる警察ものが好きな方は、間違いなく楽しめるはずなので、ぜひ読んでみてください。
また、高村薫は、文庫化などに際して、徹底的に改稿することでも有名で、早川書房から出ていたハードカバーとは、細部がかなり変わっているようです。
興味がある方は、読み比べてみても面白いかも知れませんよ。
明日は、ハーパー・リー『アラバマ物語』を紹介する予定です。