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森村誠一『新装版 人間の証明』(角川文庫)を読みました。
『人間の証明』は、映画やドラマなど、今まで何度も映像化された森村誠一の代表作。棟居刑事の初登場作としても有名ですね。
とは言うものの、ぼくは今まで映像化作品を観たことがなく、そもそも森村誠一の作品を読むこと自体おそらく初めてだったんですが、いやあかなりハマりました。興奮ものの面白さでした。
高級ホテルのエレベーターの中で、黒人が亡くなります。エレベーターに乗る前から、ナイフで刺されていたのです。
何故殺されたのか? そして、どこへ向かおうとしていたのか?
事件の謎を解く手がかりになりそうなのは、被害者のものらしき古い麦わら帽子と、被害者がタクシーの中で忘れていった、西条八十の詩集。
事件の真相を追う棟居刑事はやがて、詩集の中に、麦わら帽子について書かれた詩があるのを見つけます。
最後の数頁めに来たとき、棟居の目に火が点じた。頁を繰っていた手が宙に停まったまま固定した。最初その文字が飛び込んで来たとき、棟居は目の前を閃光が走ったように感じた。
――母さん、僕のあの帽子、どうしたでせうね?
ええ、夏碓氷から霧積へ行くみちで、
谿谷へ落としたあの麦稈帽子ですよ――
「あった!」
棟居は思わず声を出していた。麦わら帽子が『西条八十詩集』の中にあったのだ。棟居は興奮のあまり無意識の中に身体が震えていた。(213ページ)
わずかな手がかりを追い続け、不可解な殺人事件の謎に挑む棟居刑事の物語と並行して、何人かの人々の物語が語られていきます。
関連性がないと思われていた、そのいくつかの筋に、ある繋がりが見えた時、物語は驚愕の結末へ向かうこととなって・・・。
横溝正史は、解説でこの作品を「これはひとつの雄大な交響楽的な小説なのだ」(508ページ)と評しているのですが、まさにその言葉にふさわしい作品だと思います。
複数の物語の筋が進行していって、やがて一つにまとまるというのは、わりとよくある手法ですが、『人間の証明』の場合、単にまとまるというだけではないんですね。
一つにまとまったことによって初めて響くものがあって、それが圧倒的な力で読者の心を打つんです。
単なる推理小説を読んだのとは、全く違う余韻の残る小説でした。
事件自体も非常に興味を惹かれるものですが、独特のキャラクター性を持つ棟居刑事からも目が離せません。
悲惨な状況で父親を亡くし、全ての人間に対して、ふつふつと煮えたぎる怒りを胸の奥に抱えるようになった棟居。
「社会正義のためではなく、人間をもはやどう逃れようもない窮地に追いこんで、その絶望やあがき苦しむ様をじっくりと見つめてやりたい」(46ページ)と思うようになった棟居は、それが許される唯一の職業、刑事の道を選んだのです。
それだけに、犯人逮捕への執念、犯人へ抱く憎しみは人一倍ものがあり、同僚の刑事たちをも怯えさせるほど。
孤独であることを厭わず、ただひたすらに人間を憎み続け得る棟居の生き方が、とても印象に残る作品でした。
作品のあらすじ
42階、高さ150メートルにある「スカイダイニング」に向かう東京ロイヤルホテルのエレベーター。
到着しても一人の黒人が降りず、不審に思ったエレベーターガールが声をかけると、黒人はぐらりと倒れます。
その胸には深々とナイフが刺さり、黒人は既に事切れていたのでした。
パスポートから、その黒人はアメリカ国籍のジョニー・ヘイワード24歳であると分かりました。来日は初めてで、どうやら観光に来たようです。
普通、ナイフで刺されれば、引き抜こうとするもの。ところが、ジョニーは出血して死ぬのを恐れてか、ナイフが刺さったまま、エレベーターに乗っていたのです。
そこまでして、一体どこへ行こうとしていたのでしょうか。首を捻る刑事たち。
ジョニーの殺人事件の捜査をすることになったのは、棟居弘一良刑事。棟居は、全ての人間を憎んでいます。
「人間という動物は、だれでも突きつめてみれば、「醜悪」という元素に還元されてしまう」(35ページ)と思っているからです。
棟居がそう思うようになったのは、幼い頃に経験した、ショッキングな出来事がきっかけでした。
戦後間もなくの頃。アメリカ兵たちにからまれていた若い女を救おうとした父が、アメリカ兵たちから、リンチにあってしまったのです。
「だれか、お父さんをたすけて」(43ページ)と棟居は群衆に呼びかけますが、誰も助けてはくれませんでした。
そして、父が救おうとした若い女は、いつの間にか自分だけ逃げてしまっていたのです。リンチの傷が元で、父は三日後に亡くなりました。
それからというもの、父を死に追いやったアメリカ兵たちだけではありません。逃げた女、父を助けてくれなかった人々、全ての人間に棟居は憎しみを抱くようになったのでした。
棟居は一緒に捜査をすることになった横渡刑事とこんな会話を交わします。
家族を持てば、考え方も変わるという横渡に対し、棟居は所詮、家族や友人というものは、編隊を組んで飛んでいる飛行機に過ぎないと言うんですね。
「編隊の飛行機?」
「そうです。ある機が故障になったり、あるいはパイロットが傷ついたりして飛行が不能になっても、僚機が代わって操縦してやれない。精々かたわらに付き添って励ましてやるくらいです」
「それでもないよりは、ましだろう」
「実質的にはそんな励ましはなにもないのと同じですよ。いくら励ましたところで、機の故障はなおらないし、パイロットの身体が回復するわけでもない。飛行機を飛ばしつづけるのは、結局、自分独りしかいないのです」
「ずいぶん厳しい考え方をしているんだな」(341ページ)
圧倒的な孤独を抱えた棟居の捜査と並行して、いくつかの物語が語られていきます。
まずは郡恭平の物語。政治家の父、教育評論家の母を持つ青年です。
恭平は、勉強部屋として与えられた高級マンションで、乱痴気パーティーを開くなど、だらしない生活をしています。
金は望めばいくらでももらえますが、両親からは肝心の愛がもらえず、いつでも心のどこかに寂しさを抱えているんですね。
恭平はパーティーで出会った若い娘、朝枝路子と意気投合し、一緒に生活をするようになりますが、思いがけない出来事と遭遇して・・・。
それから、ケン・シュフタンの物語。ニューヨーク市警の刑事です。
自分自身もハーレムで育ったケンは、貧しい暮らしをしていたジョニーが、一体どうやって日本まで行く旅費を用意出来たのか、独自の捜査を始めていきます。
やがてケンは、ジョニーが日本の「キスミー」に行くと言っていたという情報を得て・・・。
そして、小山田武雄の物語。
肺病で仕事を失った小山田の代わりに、妻の文枝は「カトレア」という銀座のバーで働くようになりました。
次第に小山田は文枝がバーの客と不倫をしているのではないかと疑うようになりましたが、ある夜、文枝は帰らず、そのまま行方知れずになってしまったのでした。
小山田は文枝を取り戻すため、必死で不倫相手を探し始めて・・・。
やがて棟居は、ジョニーがタクシーに残していた『西条八十詩集』の中の詩を見て、あることに気付きます。
ジョニーがアメリカで目的地として語っていたという「キスミー」とは、詩にあった地名、霧積(きりづみ)のことではないかと。
早速、同僚の刑事と共に霧積に向かった棟居でしたが、どうやらジョニーの事件と関わりのあるらしき、新たな殺人事件が起こってしまい・・・。
はたして、いくつかの物語の筋はどのようにまとまっていくのか? そして、殺人事件の真相はいかに!?
とまあそんなお話です。いくつかの物語の筋が、本筋にどう関わってくるか分かりませんよね。
ケン・シュフタンはアメリカでの捜査なのでまだ分かりますが、郡恭平と小山田武雄の話は、どう繋がって来るのか初めは分かりません。
しかしこの2つの物語の筋は、次第に相互に関わるようになっていき、やがて物語の本筋とも深く関わりを持って来ます。
どんなに親しい間柄でも、所詮人間は独りなのだという棟居の言葉は、とても印象的ですよね。周りの人間を怯えさせるほど、犯人への憎しみが強い刑事として描かれています。
タイトルが意味する「人間の証明」とは一体何なのか、興味を持った方は、ぜひ読んでみてください。
明日は、村上知行訳『金瓶梅』を紹介する予定です。