![](https://img-proxy.blog-video.jp/images?url=http%3A%2F%2Fecx.images-amazon.com%2Fimages%2FI%2F517DmBflGjL._SL160_.jpg)
¥903
Amazon.co.jp
S・S・ヴァン・ダイン(日暮雅通訳)『ベンスン殺人事件』(創元推理文庫)を読みました。
創元推理文庫から刊行が始まった「S・S・ヴァン・ダイン全集」の一冊で、翻訳者は光文社文庫の「新訳シャーロック・ホームズ全集」を手がけた日暮雅通。
「S・S・ヴァン・ダイン全集」は他の作品もおそらく、日暮雅通の新訳で少しずつ刊行されていくのでしょう。楽しみですね。
今回紹介する『ベンスン殺人事件』は1926年に発表された作品で、それほど有名ではありませんが、極めて重要な作品なんです。
何故かと言うと、S・S・ヴァン・ダインのデビュー作であり、名探偵ファイロ・ヴァンスのデビュー作だから。
ファイロ・ヴァンスがどんな経歴の人物で、いかにして難事件と取り組むようになったのかが分かる一冊になっていて、非常に興味深かったです。
ベダンチック(衒学的。知識をひけらかす感じ)な名探偵と言えば、エラリー・クイーン(探偵)が有名ですが、ヴァン・ダインはエラリー・クイーン(作家)に大きな影響を与えた作家と言われています。
ファイロ・ヴァンスはエラリー・クイーン(探偵)によく似た、何と言うか、高慢な態度を取る、ちょっと嫌なやつなんです。でもそれがどこか憎めない感じなのが魅力的な名探偵。
『ベンスン殺人事件』は、タイトルの通り、自宅で何者かに撃ち殺されたベンスンという人物の死の真相を追うミステリです。
ファイロ・ヴァンスは、友人のマーカム検事、語り手の〈私〉と共に事件の調査に乗り出すのですが、みんなが事件の謎に頭を抱える中、犯人なんかとっくのとうに分かっていると言います。
マーカムが、あざけるように鼻を鳴らした。
「さぞかしそうだろうとも! そんな天啓がいつ閃いたんだ?」
「ああ、あの最初の日の朝、ベンスンのうちへ入っていって五分とたたないうちにね」とヴァンス。
「ほう! じゃあ、どうしてぼくに打ち明けて、こんなひどく骨の折れることをしなくてすむようにしてくれなかった?」
「それはできない相談だったね」ヴァンスがおどけた調子で説明する。「出どころの怪しいぼくの情報を、きみは受け入れようとしなかったさ。まずは、きみがいつまでもさまよっていようとした、いくつもの暗い森や沼地から、辛抱強く手をとって抜け出させてやらなくちゃならなかったんだ。きみときたら、あきれるほど想像力に欠けているんだからねえ」(292ページ)
ずいぶんと嫌味な言い方ですよね。分かってるならすぐ教えてくれればいいのに、思わせぶりなことばかり言っていて、全然教えてくれないんです。
証拠を積み上げて犯人にたどり着こうとする警察やマーカム検事を鼻で笑い、なかなか真相を口にせず、周りの人々を振り回すファイロ・ヴァンス。
直観型名探偵のファイロ・ヴァンスにも、勿論それなりの推理の根拠はあります。犯罪を芸術作品のように眺め、犯人の性格や癖を分析し、それ以外にないという解答を導き出したのです。
事件自体はとてもシンプルなものですから、5分とたたない内に謎を解いたというファイロ・ヴァンスに負けじと、みなさんもベンスン殺人事件の謎に挑んでみてはいかがでしょうか。
作品のあらすじ
ニューヨーク市で、ジョン・F・X・マーカムが地方検事だった4年間、未解決重大犯罪の数が少なかったのは、ある人物の活躍があったからでした。
その人物の法律顧問であり、友人でもあった〈私〉(S・S・ヴァン・ダイン)は、その人物にファイロ・ヴァンスという仮名をつけて、その活躍の記録を発表することにしたのです。
アルヴィン・H・ベンスンが何者かに殺害された6月14日。〈私〉はファイロ・ヴァンスと一緒に、東三十八丁目にあるヴァンスのアパートメントで食事をしていました。
2人は、ハーヴァード大学で出会って以来の友人で、〈私〉は法律家の道へ進み、ヴァンスはおばから莫大な遺産を相続したため、好きな美術を研究するなど、悠々自適な暮らしを送っています。
そこへ2人の友人のマーカム検事がやって来ました。ベンスンという人物の死を告げると、ヴァンスに、捜査に参加する気はあるかと尋ねます。
それと言うのも、人間の心理に興味を持っているヴァンスは少し前に、重大事件の捜査に参加してみたいと口にしていたからです。
「きみは何でも覚えているんだなあ」ヴァンスはのらくらと答えた。「賞賛に値する才能だな。やっかいな才能でもあるが」炉棚の時計に目をやる。あと何分かで九時だった。「それにしても、なんとも理不尽な時間だよ! 誰かに見られたらどうしよう」
マーカムはそわそわしながら椅子から身を乗り出した。「なあ、好奇心を満足させるために、九時なんていう朝っぱらから出かけていく恥をしのんでもいいと思うなら、急ぐんだね。まさかドレッシング・ガウンに寝室用スリッパって恰好のまま連れていくわけにはいかん。それに、いいか、着替えをするのに五分以上は待たないぞ」
「なあ、なんでまたそう急ぐんだい?」ヴァンスはあくびをしながら訊く。「相手は死んでるんじゃなかったかい。逃げていきやしない」(28~29ページ)
被害者のベンスンは、西48丁目にある豪華な自宅の、安楽椅子の上で亡くなっていました。
ごく自然な格好で椅子にもたれかかっていましたが、額を撃ち抜かれており、右手には読みかけの本を持っています。
部屋からは女性もののハンドバッグが見つかりました。このハンドバッグの持ち主が犯行に何らかの関与していると見て、警察は捜査を進めていきます。
家政婦は、昨夜、犯行が起こった頃に呼び鈴は鳴らなかったと証言しました。
兄のアンソニーと共に証券会社を経営し、派手に遊んでいたベンスンの死は、新聞で大きく報じられて大きな話題となり、色々と交友関係が分かって来ます。
どうやらベンスンは、ミュリエル・セント・クレアという女優にちょっかいを出し、その婚約者のフィリップ・リーコック大尉と揉めていたようなんですね。
リーコック大尉は、ベンスン殺害に使われた銃と同じコルト・オートマチック四五口径軍用拳銃を所持しています。
やがて、ハンドバッグがセント・クレアの物だと分かると、マーカムはセント・クレアを犯人だと断定しました。
しかし、ヴァンスはその考えをすぐさま否定します。何故なら、犯罪を分析し、浮かび上がって来た犯人像とセント・クレアが一致しないから。
ヴァンスはマーカムにこう言います。
「犯罪には、芸術作品と同じ基本的要素がすべてそろっているよ――アプローチ、構想、技巧、創作力、表現方法、手法、構成。それに、犯罪にも芸術作品と同じだけたっぷりと、流儀や様相、総合的な性質に多様性がある。そう、綿密に計画された犯罪というのは、たとえば絵画と同じように、ひとりの人間を直接的に表しているんだ。そこにだよ、犯人を探りだす大きな可能性があるのは。(中略)……そして、ねえマーカム、それが人間の有罪を決定するのに確実で納得のゆく唯一の方法なんだ。それ以外の方法はみな、たんなる当て推量だよ。非科学的で不確実で――危険だ」
(119ページ、「技巧」には「テクニック」、「創作力」には「イマジネーション」のルビ)
やがて、ベンスンの友人リアンダー・ファイフが、ベンスンと何やら揉めていたらしきことが分かり、警察の目はファイフに向かいます。
ハンドバッグという証拠品が残されていたセント・クレア、婚約者のことで揉めており殺害する動機があるリーコック大尉、犯行当日の行動に怪しげな所のあるファイフ。
警察とマーカムは、それらの容疑者を厳しく追及していきますが、そんな警察やマーカムを、ヴァンスは一人、冷静な目で眺めていたのでした。
やがて、ヴァンスの口から語られた、ベンスン殺人事件の驚くべき真相とはいかに!?
とまあそんなお話です。あまりにも高飛車なファイロ・ヴァンスの態度に、マーカム検事が何度もぶち切れるのが笑えます。
「目がくらむようなお高いところからお知恵を貸していただけるんなら、ぼくの推理のどこが間違っているのか教えてもらえないかね?」(95ページ)と叫んだりもするマーカム検事。
感情的になるマーカム検事に対して、ファイロ・ヴァンスが冷静に、さらに辛辣な言葉をぶつける、お約束の展開が面白いです。
犯罪と芸術作品を同じように見る、ファイロ・ヴァンス独特の推理のアプローチが興味深いですよね。絵画から画家が推測出来るように、犯罪から犯人が推測出来るというのです。
高慢で、ちょっと嫌な感じの名探偵ですが、その明晰さには脱帽せざるをえません。
古き良きミステリを、新しい翻訳で。興味を持った方は、ぜひ読んでみてください。
明日は、ダシール・ハメット『赤い収穫』を紹介する予定です。