カート・ヴォネガット・ジュニア『スローターハウス5』 | 文学どうでしょう

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スローターハウス5 (ハヤカワ文庫 SF 302)/早川書房

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カート・ヴォネガット・ジュニア(伊藤典夫訳)『スローターハウス5』(ハヤカワ文庫SF)を読みました。

1945年8月、広島と長崎に原子爆弾が落とされて、第二次世界大戦は終わりました。

広島、長崎への原爆投下も、想像を絶する悲惨な出来事でしたが、その少し前、同じ年の2月、ドイツのドレスデンという地区でも、連合軍(アメリカ・イギリスなど)による無差別爆撃があったんですね。

爆撃に至った名目上の理由はいくつもあったのですが、本当にその爆撃は必要だったのか、ドレスデン爆撃も、後に大きな批判にさらされることになります。

カート・ヴォネガット・ジュニアは、第二次世界大戦の時、ドイツ軍の捕虜になってドレスデンにいたんですね。

ちゃんとした収容施設がなかったので、ヴォネガットたち捕虜は、元々は食肉処理場として使われていた、仮の施設に入れられました。

その施設、第五食肉処理場を、ドイツ語ではSchlachthof Fünf(シュラハトホーフ=フュンフ)と言い、英語に直すとSlaughterhouse five(スローターハウス・ファイブ)になります。

ドレスデンで行われた爆撃は、無差別爆撃でしたから、多くの人が死に、都市が破壊された、かなりひどい状況だったようです。

ヴォネガット自身が体験した恐ろしい状況を物語にしたのが、今回紹介する『スローターハウス5』であり、ヴォネガットの作品の中でも、一、二を争う傑作と言われています。

大虐殺を前にして何が語れるか、戦争について何を語ることが出来るのか、それは非常に難しい、とても重いテーマですよね。

ヴォネガットはこの作品の長い前書きで、本を書くようにすすめてくれたシーモア・ロレンス、通称サムに宛てて、こんな風に書いています。

 サム、こんなに短い、ごたごたした、調子っぱずれの本になってしまった。だがそれは、大量殺戮を語る理性的な言葉など何ひとつないからなのだ。今後何もいわせず何も要求させないためには、ひとり残らず死なねばならない。殺戮が終ったとき、あたりは静まりかえっていなければならない。そして殺戮とは常にそうしたものなのだ、鳥たちをのぞいては。
 鳥たちは何というだろう? 殺戮について何かいうことがあるとすれば、それはこんなものか、「プーティーウィッ?」(33ページ)


大虐殺や戦争について、理性的に語れる言葉などない中で、ヴォネガットは一体何を、どのように描いているのでしょうか。

この小説は、捕虜として捕えられ、ドレスデン爆撃の現場に居合わせたアメリカ兵ビリー・ピルグリムの物語です。作者の経歴と重なるという点では、半自伝的小説と言えるでしょう。

しかしながら、一筋縄ではいかない荒唐無稽な作風の持ち主、ヴォネガットですから、物語は奇想天外な展開をしていくこととなります。

赤ん坊として生まれた人間は、何事もなければ年老いて死にますよね。お金持ちでも貧乏人でも、唯一時間の流れというのは、誰にとっても一定のものです。

ところが、ビリーはですね、ある時から突然「けいれん的時間旅行者」(39ページ)になったんです。

ビリーの中では、時間の流れというのは一定ではなく、若き日の戦争の現場にいたかと思えば、次の瞬間には年老いて、娘から頭を心配される現場にいたりします。何度も自分の死を経験したりも。

時間軸がばらばらで、言わば過去も現在も未来もないビリーは、やがて、トラルファマドール星人から学んだ考え方を、多くの地球人に教え広めようとして・・・。

悲惨な出来事をただ悲惨に書くのではなく、そして、理性的に語る言葉を持たない大虐殺についてただ批判的に書くのでもなく、時間の流れを越えた、宇宙的な視点から描いた物語です。

トラルファマドール星人の考え方とは、一体どのようなものなのでしょう?

戦争が物語の舞台になっていますが、決して重い物語ではなく、むしろ語り口は、非常にスラップスティック(喜劇的)なものです。

ユーモラスで、はちゃめちゃで、それでいて人生そのものについて、しみじみと考えさせられる、そんな作品です。

作品のあらすじ


1922年、ニューヨーク州イリアムで、理髪師のひとり息子として生まれたビリー・ピルグリム。招集されて第二次世界大戦で戦い、後に検眼医になりました。

結婚し、息子と娘に恵まれ、46歳になったビリーは、ニューヨークでラジオに出て、信じられないことを話します。

彼は、わが身におこった時間内浮遊現象の話をした。一九六七年には、空飛ぶ円盤によって地球から誘拐された、ともいった。円盤の故郷は、トラルファマドールという惑星であった。彼はトラルファマドール星へ運ばれ、すっぱだかで動物園にいれられた。そして檻のなかで、地球の有名な映画スター、モンタナ・ワイルドハックと番わせられた、と語った。(42ページ)


ビリーの娘で、21歳のバーバラは、ついに自分の父親の頭がおかしくなったと思います。ビリーはバーバラにこう説明しました。

トラルファマドール星人は、「時間の歪み」を利用して自分をさらったので、トラルファマドール星で何年も暮らしながら、帰って来た時、地球では何の時間も過ぎていなかったのだと。

もしその話が本当なら、今までどうしてそうしたことを話してくれなかったのかとバーバラが問いかけると、ビリーは、「まだ時が熟していないと思ったからさ」(48ページ)と答えました。

ビリーが初めて時間を越えたのは、1944年、21歳の時のこと。その頃ビリーは補充兵として招集され、戦地へ行っていました。

そこで出会ったのが同じく補充兵としてやって来ていた、18歳のローランド・ウェアリー。

誰からも爪はじきにされ、残虐な話を好むウェアリーは、足手まといのビリーを何だかんだと助けてくれますが、後にビリーの死のきっかけを作る人物でもあります。

森で木に寄りかかって休んでいたビリーは、何の前触れもなく、不思議な体験をすることとなりました。

 ビリーがはじめて時間のなかに解き放たれたのは、この瞬間である。彼の意識は、人生の軌道上の壮大な弧をえがいて旋回しはじめ、死へと突入した。そこは、むらさき一色だった。だれの姿もなく、何も見えなかった。あるのは、むらさきの光と――ブーンという唸りだけ。
 つぎの瞬間、ビリーはふたたび人生に引きもどされ、過去へ、誕生以前へとさかのぼった。それは、赤い光と、ブクブクいう泡だちの音からなっていた。そしてふたたび人生に引きもどされ、停止した。(64ページ)


そうしてビリーはいつの間にか、幼い子供時代にいました。しばらくすると今度は、中年の時代に飛び、再び第二次世界大戦の戦地へ戻ります。

それからというもの、ビリーの人生は、時系列がばらばらになってやって来るようになったのです。時代は自分で意識して選ぶことは出来ません。

バーバラの結婚式が行われた日の夜、空飛ぶ円盤によって、ビリーはさらわれてしまいました。何故自分がさらわれたのかと問いかけるビリーに対して、宇宙人はこう答えます。

「それは地球人でなくては説明できないね。(中略)わたしはトラルファマドール星人だ。きみたちがロッキー山脈をながめるのと同じように、すべての時間を見ることができる。すべての時間とは、すべての時間だ。それは決して変ることはない。予告や説明によって、いささかも動かされるものではない。それは、ただあるのだ。瞬間瞬間をとりだせば、きみたちにもわれわれが、まえにいったように琥珀のなかの虫でしかないことがわかるだろう」

(117ページ、本文では「ある」に傍点)


トラルファマドールの星の動物園で、見世物になったビリーは、トラルファマドールの人々が平和に暮らしているのを見て、地球人として恥ずかしくなります。

おぞましい犯罪があり、人々が殺し合う戦争があり、欲望とどまる所を知らない地球人は、「やがては罪を知らぬこの宇宙の一部はおろか全域を滅ぼしかねない」(156ページ)と、そう思ったんですね。

ところが、ビリーの地球人の醜さを告白する言葉を聞いて、トラルファマドール星人たちは大きく戸惑います。

何故なら、すべての時間を見通す彼らは、宇宙がどんな風に終わるのかを既に知っているからです。

地球人の残虐な行いなどまったく関係なく、トラルファマドール星人が、空飛ぶ円盤の新しい燃料の実験をしているときに、全宇宙が消滅してしまうのだと。

「それを知っていて」と、ビリーはいった。「くいとめる方法は何もないのですか? パイロットにボタンを押させないようにすることはできないのですか?」
「彼は常にそれを押してきた、そして押しつづけるのだ。われわれは常に押させてきたし、押させつづけるのだ。時間はそのような構造になっているんだよ」

(158ページ、本文では「押させない」「構造」に傍点)


こうしたトラルファマドール星人の時間のとらえ方は、ビリーの考え方に、大きな影響を与えることとなります。

様々な時間を生き、何度も死に、何度もトラルファマドール星人にさらわれ、何度も戦地へ行くビリー。

やがて、ドイツ軍の捕虜になったビリーは、「スローターハウス5」にて、ドレスデンの爆撃を目の当たりにすることとなって・・・。

はたして、ビリーが全世界の人々に伝えたかったこととは一体!?

とまあそんなお話です。かなり変わった物語ですよね。単にドレスデンの無差別爆撃を悲劇的に描くのでもなく、また、単に批判的に描いているのでもありません。

起こるべきことが起こり、その起こった恐るべき出来事に対して、語る言葉を持たないというスタンスで書かれた物語。それだけにより一層、色々と考えさせられる部分があります。

ちなみに、ヴォネガットの小説には、別の小説のキャラクターが再登場するということがよくあるのですが、『スローターハウス5』は特に、今までの総決算とも言うべき内容になっています。

エリオット・ローズウォーターは、『ローズウォーターさん、あなたに神のお恵みを』、ハワード・W・キャンベル・ジュニアは『母なる夜』、キルゴア・トラウトは『タイムクエイク』他様々な作品、トラルファマドール星人は、『タイタンの妖女』などに、重要なキャラクターとして登場します。

なので、いくつかヴォネガットの作品を読んでからの方が、『スローターハウス5』は、より一層楽しめる感じがあるかも知れません。

ヴォネガットは、とにかく人を食った作風の持ち主で、初期の村上春樹に影響を与えたとも言われる作家。

熱烈なファンがいたり、かなり高く評価されている一方で、あまり読まれていない作家のような気もするので、興味を持った方は、ぜひ読んでみて下さい。

明日は、ジョージ・マクドナルド『かるいお姫さま』を紹介する予定です。