藤沢周平『たそがれ清兵衛』 | 文学どうでしょう

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藤沢周平『たそがれ清兵衛』(新潮文庫)を読みました。

『たそがれ清兵衛』は、真田広之主演、山田洋次監督で映画化されたことによって、藤沢周平作品の中でも、抜群の知名度を誇るようになりました。

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藤沢周平の時代小説は、豪快なヒーローが暴れまわるという時代小説のお約束とは少し違っていて、生活に密着した人情話の側面が強く、痛快というよりは、しみじみとした物語なんです。

言わば極めて地味な話なだけに、なかなか映画化されることもなかったのですが、『たそがれ清兵衛』が高く評価されたのを受けて、それ以降、数多くの作品が映画化されるようになりました。

映画について少し書きますが、何と言っても一番印象的なのは、登場人物たちの方言ではないでしょうか。「~でがんす」など、耳に残る、とても印象的な喋り方ですよね。

原作は方言ではなく、標準語のスタイルで書かれていますから、方言を前面に押し出したのは、山田洋次監督のこだわりでしょう。

原作では、どの藩の物語であるかは書かれていないんですね。なので、どの藩の物語としても読める、ある種普遍的な物語になっています。

ただ、藤沢周平は海坂藩(うなさかはん)という架空の藩を題材にすることが多く、その海坂藩が作者の故郷でもある庄内地方の藩ではないかと言われていることから、庄内地方の方言が使われたようです。

映画『たそがれ清兵衛』は、登場人物の名前や設定は、短編「たそがれ清兵衛」から取られていますが、ストーリー自体は、同じくこの短編集に収められている短編「祝い人助八」が原作と言ってよいでしょう。

短編「たそがれ清兵衛」の主人公、井口清兵衛は病気の奥さんがいて、その奥さんの看護のためにすぐに家に帰り、家事を一生懸命にすることから、「日暮れになると元気になる」(24ページ)、「たそがれ清兵衛」だとからかわれている人物。

一方、「祝い人助八」は、奥さんを亡くしてから身なりに構わなくなってぼろぼろの恰好をしている伊部助八が、乱暴者の夫と離縁して、逃げるように里に戻って来た親友の妹、波津と再会するという物語。

映画の『たそがれ清兵衛』も、妻を亡くし、親友の妹で、宮沢りえ演じる飯沼朋江と再会する物語ですし、その後の展開も「祝い人助八」に近いものとなっています。

映画『たそがれ清兵衛』は、見るからに強そうな者が強いのではなく、人から馬鹿にされているような人間が、実は隠れて凄腕だったという、時代劇の新しいヒーロー像を作り出すことに成功しました。

原作である短編集『たそがれ清兵衛』もまた、そうした見かけとは少し違う、凄腕の主人公がひそかに活躍する話ばかりが集められています。

作品のあらすじ


『たそがれ清兵衛』には、「たそがれ清兵衛」「うらなり与右衛門」「ごますり甚内」「ど忘れ万六」「だんまり弥助」「かが泣き半平」「日和見与次郎」「祝い人助八」の8編が収録されています。

「たそがれ清兵衛」

凶作が続き、財政難の藩の立て直しにかかったのが、筆頭家老の堀将監。

しかし堀将監の改革は、回漕問屋(船を使う商人)との癒着が目立ち、自分だけがどんどん裕福になるような政策ばかりを打ち出します。

ついに、反対する勢力がひそかに動き出すこととなりました。

上意討ち(主君の命で罪人を討つこと)を命じられたのは、井口清兵衛。人々からは「たそがれ清兵衛」のあだ名で蔑まれている人物です。

妻が労咳で寝たきりのため、定時のたそがれ時になるとそそくさと帰り、そこから炊事、洗濯、看病と一生懸命に家事をすることからついたあだ名です。

見るからに冴えない清兵衛ですが、堀将監に反対する勢力の中に、清兵衛が無形流の達人だということを知っている者がいたんですね。

妻の看護をしなければならないからと、一旦は話を断った清兵衛ですが、妻の病気を治すために、いい医者を紹介し、出来るだけのことはしてやるという話を聞いて、上意打ちを引き受けることにして・・・。

「うらなり与右衛門」

「色青白く細長い顔をしめくくって、ご丁寧にあごのところがちょいとしゃくれている」(55ページ)ことから、へちまのうらなりを連想させる三栗与右衛門。

次男として産まれた与右衛門は、部屋住みから脱するには、婿に行かなければなりませんが、そうした独特の容貌から、なかなか婿に行く先が決まらないだろうと思われていました。

ところが、無外流の達人ということが気に入られたのか、六十石の三栗家に婿入りすることが出来たのです。

そうして平凡ながら幸せに暮らしている与右衛門ですが、ある時「もとの上役の寡婦と通じている」(59ページ)という艶聞の噂が流れました。

その話を聞いた妻の多加も思わず吹き出してしまったほどの何でもないことでしたが、与右衛門は「遠慮」(謹慎のようなもの)の処分を受け、次席家老の護衛をすることが出来なくなってしまいました。

実は与右衛門は、政変に巻き込まれつつあったのです。やがて、友を失ったうらなり与右衛門は・・・。

「ごますり甚内」

川波甚内は、「ごますり甚内」と呼ばれ、蔑まれています。上役が通りかかると挨拶をし、積極的に荷物持ちをしてご機嫌を伺うから。

ごますりが上手ならばいいですが、全然上手ではないですし、何より醜男なので、そこまでして出世がしたいのかと周りから笑い者になっているのです。

しかし、実は甚内は出世をしたいからごますりをしているのではなかったのでした。

2年前のこと。甚内は自分の禄が減らされることになったと聞かされました。甚内は婿入りをしているのですが、政変に巻き込まれた舅の、かつての罪が今になって明らかになったのです。

当時の関係者たちはそろそろ謹慎が解ける時期なのに、舅の罪を被って五石の減石になってしまったというわけです。

減石になったことが周りに知られたら、当然甚内自身の失態だと思われますし、卒中で寝たきりの舅に真相を知らせるわけにもいきません。

なんとか周りに知られる前に、減石の処分をなくしてもらおうと、それで上役に必死でごますりをしていたのでした。

ある時、甚内は政変に巻き込まれることとなります。実は、甚内は雲弘流の使い手で、六葉剣という短刀術を身につけた人物で・・・。

「ど忘れ万六」

54歳になった一年前に隠居した樋口万六。物忘れがひどくなって来たのです。息子の名前すら思い出せないことがあります。

嫁の亀代は「美人で気がつよく、舅を舅とも思わないところがある」(146ページ)冷たい態度を取るのですが、料理上手で家事もそつなくこなすので、それなりに気に入っています。

ある時、亀代が何やら沈んでいる様子をしていることに気付き、「何事か知らんが、胸にしまっておくのはよくない。話したらどうだ」(148ページ)と尋ねると、亀代は泣き出してしまったのでした。

話を聞くと、亀代は大場庄五郎という普請組組頭の総領に脅されているというのです。

旧知の男性と茶屋を出るところを見られたのですが、そのことを触れ回られたくなければ、自分のいうことを聞けと言われてしまったのです。

庄五郎は内職の仕事を取りまとめる役目ですから、内職の仕事を回してもらえなくなっても困ってしまいます。一体どうしたらいいのか、亀代は悩んでいます。

話を聞いて、万六は久し振りに刀の稽古を始めました。今は年老いたものの、実は林崎夢想流の使い手で、居合の達人なのです。

 四半時ほどして、万六はひと声気合を発すると腰をひねった。とたんに、「あいた、た」と言うなり腰に手をやって暗い地面にうずくまったが、その頭上に両断された木槿がゆらりと倒れかかって来た。刀は眼にもとまらず鞘にもどっている。(165ページ)


万六は庄五郎の元に直談判に出かけて行って・・・。

「だんまり弥助」

馬廻組の杉内弥助は、藩中から「だんまり弥助」と呼ばれています。極端な無口だからです。

誰も知りませんが、弥助が無口になったのは、弥助が22歳だった、15年前のある出来事がきっかけです。

可愛がっていた従妹の美根が、男女が密会するのに使うので有名な料理屋から出て来るのを弥助は目撃してしまいました。

美根は人妻ですから、どうやら浮気をしているようです。

美根は弥助宛てに、「服部邦之助に欺かれたと書いてあった。醜い姿を弥助に見られたのがはずかしい、しかし過ちはただ一度だけだったのを信じてもらいたい」(198ページ)という遺書を残し、自殺してしまいました。

それ以来、弥助は無口になり、美男子で剣の腕が立つ男ながら、邦之助の名は唾棄すべきものとして心に刻み込まれたのです。

やがて政変に巻き込まれた弥助は、相手方に邦之助が荷担していると知って・・・。

「かが泣き半平」

「わずかな苦痛を大げさに言い立てて、周囲に訴えたりする」(225ページ)「かが泣き」で有名な普請組の鏑木半平。

あまりにも自分の感じる辛さを大げさに言うものですから、周りはもう誰も相手にしてくれません。

半平は堤防を作る仕事に携わっていたのですが、何人かの死者が出ました。残された家族に慰問に行くと、未亡人はかつて乱暴者の武士から半平が助けてやった女性だったのでした。

「ふだん誰も相手にしてくれない自分の愚痴を正面から受け止め、親身にいたわるそぶりをみせているのにすっかり感激」(247ページ)した半平。

未亡人との間に何もなかったものの、心安らぐ一時を過ごしました。

ある時、半平は上意討ちを命じられます。実は半平は父親直伝の心極流の達人だったのです。半平はしかし、自分には到底出来ないと断ります。

「なに、これが例のかが泣きというやつで、案じることはありません」
 石塚はそう言うと、語調を改めて半平の名前を呼んだ。
「聞いたところによると、そなた、近ごろ桶屋町の長屋の女房とねんごろにしておるそうだの」
「……」
 半平の身体が石のように動かなくなった。
「相手は後家とはいえ、そなたはれっきとした女房持ち。こりゃあ、問題だ」(262ページ)


半平はやむを得ず話を引き受け、剣の達人と戦うことになってしまい・・・。

「日和見与次郎」

郡奉行下役の藤江与次郎は、政変には関わらないようにしています。

それと言うのも、所属していた派閥が潰れたことによって家禄が半分に減らされ、失意の中で亡くなった父親を見ているからです。

かつての剣術仲間が、色々な話を持ちかけて来ますが、与次郎は動きません。

「丹羽派も畑中派もおれにはかかわりがない。性分で、徒党を組むのは好かぬ」
「みんなにそう言って、日和見与次郎などと言われているらしいが……」
 三宅は、口吻にわずかに威嚇する気配をつけ加えた。
「いまに、それでは通らなくなるぞ」(289ページ)


どちらにも荷担しないでいようと決めていた与次郎でしたが、かつて仄かな恋心を抱いていた従姉の織尾が政変に巻き込まれていくのを見て、ついに心を決めて動き出し・・・。

「祝い人助八」

伊部助八に物乞いを意味する「祝い人(ほいと)」というあだ名がついたのは、いつも汚い格好をしているから。

人々は最愛の妻を亡くしたからだと思っていますが、実家に比べれば貧しい家に嫁いだこともあり、とにかく気性が荒かった妻が死に、「手きびしい干渉から解放されて、いささか暮らしの箍がはずれた」(343ページ)というのが実際の所のようです。

ある時親友、飯沼倫之丞の妹の波津が助八の元を訪ねて来ました。乱暴者の夫から逃げだし、実家に帰ったものの、夫がまだ追いかけて来るというのです。

剣はほとんど使えない倫之丞と波津の元夫が揉めているのを見て、助八は「その果たし合い、代役ではいけませんかな」(356ページ)と名乗り出ました。

助八は父親譲りの香取流の達人だったのです。

しかし、「伝えた技は、わが身を守るときのほかは、秘匿して使うな。人に自慢したりすると、のちのち災厄をまねくことになるぞ」(362ページ)という亡父の言葉通り、腕を見込まれてしまった助八は、上意討ちを命じられることとなり・・・。

とまあそんな8編が収録されています。映画『たそがれ清兵衛』とも重なりますが、「祝い人助八」の、本当は相手のことを想っていても、再婚を断ってしまう展開にやきもきさせられますね。

わりと同じパターンの物語が多いですが、出世のためでなく、石高を元に戻してもらえるようにごますりをするという「ごますり甚内」と、達人ではあるものの、年をとっていてちょっと心配な「ど忘れ万六」が設定としてとりわけ面白いです。

かっこよさで言えば、「うらなり与右衛門」でしょう。他の話はわりと命じられて戦う話が多いのですが、「うらなり与右衛門」は少し違います。

うらなりのような顔をしているのに、強いというギャップがいいですね。

個人的に一番好きだったのは、「日和見与次郎」です。従姉への淡い恋心、いつも日和見の冷めた人間が動き出すという所が面白いです。

そして何よりも、奥さんとの瑞江との関係性がとても印象に残りました。

元々許嫁ではあったものの、与次郎の父親の代で百石から五十石に減らされましたから、本来は結婚出来ない所だったんです。

それでも瑞江の父が譲らず、なんとか結婚したんですが、瑞江としてはさぞかしがっかりしているだろうと与次郎は思っているのです。

子供も産まれましたが、かつての明るさはなくなり、「無口で、めったに笑顔をみせない女」(293ページ)になってしまった瑞江と、うまくいっていないと考えている与次郎。

ところが、瑞江の心の内は与次郎とはまた違うんですね。それが明確に分かる場面があるので、ぜひ注目してみてください。

読みやすく面白い短編集なので、興味を持った方はぜひ読んでみてください。

明日は、山田風太郎『忍法忠臣蔵』を紹介する予定です。