藤沢周平『橋ものがたり』 | 文学どうでしょう

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橋ものがたり (新潮文庫)/新潮社

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藤沢周平『橋ものがたり』(新潮文庫)を読みました。

ぼくは美術館や博物館に行くのがわりと好きなんですが、中でもお気に入りなのが、両国にある江戸東京博物館なんです。

江戸東京博物館の素晴らしい所は、単に資料が展示されているだけでなく、当時の物などが再現されていて、実際に触ったり、持ったり、乗ったり、体験できるということ。

ぼくなんかでも、大人げなく結構はしゃいじゃったりなんかするので、お子さんを連れて行くと喜ぶでしょうし、或いはカップルのデートスポットとしても、意外とおすすめですよ。

そんな江戸東京博物館に、江戸時代の日本橋が再現されたものがあります。

その再現された橋を通って思うのは、現代の日常生活においては、橋と言うものは、それほど意識されないものであるということ。

自動車や電車など、速いスピードで動く乗り物での移動が当たり前の現代社会では、自分が今橋を渡っていること、つまり川の上を通っていることを、あまり考えませんよね。

しかしそれは、江戸時代の人々にとっては違ったはずなんです。

ただびゅんびゅん通り過ぎるだけのものとは違い、橋は本当に人々がすれ違う、生活に密着したものだったろうと思うんですね。

橋の上でドラマが生まれ、橋で隔てられたこちら側とあちら側でドラマがあったに違いないんです。

そんな橋にまつわる物語を描いたのが、今回紹介する『橋ものがたり』です。

橋が描かれるということは、生活が描かれることに他なりません。江戸時代の庶民の平凡な生活に起こった、ささやかながら重大な出来事が描かれていきます。

10編の短編が収められた短編集なのですが、江戸の町で暮らす人々の人情を描いた、しみじみとしたいい短編ばかりです。

作品のあらすじ


『橋ものがたり』には、「約束」「小ぬか雨」「思い違い」「赤い夕日」「小さな橋で」「氷雨降る」「殺すな」「まぼろしの橋」「吹く風は秋」「川霧」の10編が収録されています。

「約束」

錺(かざり)職人の修業に励んでいた21歳の幸助は、年季奉公を追えて、自宅に戻って来ました。

幸助は期待と不安の入り混じる気持ちで、萬年橋に向かいます。七ツ半(午後5時)に幼馴染のお蝶と待ち合わせをしているから。

約束を交わしたのは、5年前。幸助の3つ年下のお蝶は、今では18歳になっているはずです。

お互いに奉公に出るので、離ればなれになってしまうことが分かった幸助とお蝶は、5年後に橋の上で再会することを約束したのでした。

はっきりと口に出しては言わなかったものの、幸助の年季が明けて一人前になったら、所帯を持つのだと、お互いにそう思っていたはずです。

しかし、約束の時間になっても、橋の上にお蝶の姿は現われず・・・。

「小ぬか雨」

裏口の戸を閉めに行ったおすみは叫び声をあげそうになります。見知らぬ男が土間にうずくまっていたから。

「すみません、お嬢さん。声をたてないでください」(48ページ)という男は、どうやら誰かから追われているようです。

両親が亡くなった後、面倒を見てくれていた伯父も亡くなり、おすみは一人で暮らしています。

勝蔵という下駄職人との結婚が決まっていますが、恋らしき恋を知らず、未来にも何の希望もないおすみ。

見知らぬ男をかくまうことになったおすみは、粗雑な勝蔵とはまったく違うそのやさしい様子に、いつしか心惹かれていくのですが・・・。

「思い違い」

指物職人の源作は、勤め先に向かう両国橋の上で、いつも朝と夕方に18、9歳の若い女とすれ違います。

23歳の源作は、女性に対して不器用な性分で、なんとなくその若い女のことを気にしてはいるものの、特に何が出来るわけでもありません。

ある時、その若い女が男たちに囲まれている所を助けてやりました。乱暴な男たちにぼこぼこにされてしまったものの、それが縁でその女、おゆうと話すようになります。

そんな中、親方の娘との縁談が持ち上がりました。縁談を受けるべきかどうか迷った源作は、おゆうが働いていると言ったそば屋を訪ねます。

ところが、そば屋の主人はおゆうなんて娘は知らないと言って・・・。

「赤い夕日」

若狭屋のおかみさんをしている23歳のおもん。

夫の新太郎が女を囲っているという噂を奉公人から耳にして、不安になったりもしますが、何不自由ない幸せな生活を送っています。

ある時、兼吉という若い男が訪ねて来て、「斧次郎は病気で、ひと眼おもんさんに会いたいと言っております」(131ページ)と告げました。

斧次郎は博奕打ちです。おもんにとっては、幼い頃から育ててくれた父親代わりの存在であり、そして、肉体関係もあった父親以上の存在。

5年前、おもんが若狭屋に奉公することになった時に、斧次郎はおもんの将来を思って自ら縁を切ったんですね。

「永代橋のこっちに、俺がいることは、もう忘れるんだぜ。どんなことがあろうと、橋を渡ってきちゃならねえ」(139ページ)


それきり会わなかった斧次郎が病気だという知らせ。おもんは夫に内緒で会いに行くことを決めたのですが・・・。

「小さな橋で」

10歳の広次は、友達が遊びに誘うのを断って、夕ご飯の仕度をしています。

4年前に父親が突然姿をくらませてから、広次の家はなんだかおかしくなってしまったのです。

母親のおまきは飲み屋で働いているので帰りが遅いですし、16歳の姉のおりょうは妻子持ちの恋人が出来て、広次が迎えに行かなければ、なかなか帰って来ません。

そんな暮らし中、林のはずれで、何人かに追われている男を見かけた広次は、「あ、ちゃんだ」(188ページ)と、それが自分の父親だと気付きました。

父親も広次に気付くと、お金を渡し、「おれはすぐ江戸を出るが、もう二度と江戸に戻れねえ身体になった」(191ページ)と言い残し、去って行きます。

家に帰った広次を待ち受けていたのは、思いも寄らぬ出来事で・・・。

「氷雨降る」

50歳を過ぎて、商売からも引退した吉兵衛は、何だか虚しい気分になることの多い日々を送っています。

跡を継いだ息子の豊之助はやり手ですが、昔からの付き合いなどに左右されないその厳しいやり方は、吉兵衛にすら「そんなに儲けて、どうするつもりだ」(207ページ)と思わせるようなものでした。

ある時、吉兵衛は橋の上から川を覗き込んでいる若い女を見かけます。昔馴染みの飲み屋で酒を飲んで帰る時にも、まだ女はそこにいたのでした。

そのまま放っておけないと思った吉兵衛は、女に事情を聞き、知り合いの飲み屋に置いてもらえるように頼んでやります。

しかし、やがてその女を探して、物騒な連中が辺りをうろつくようになって・・・。

「殺すな」

27歳の吉蔵は裏店(うらだな。それほど立派ではない長屋のこと)に帰って来ると、自分の家には帰らずに、一軒先の小谷善左エ門という浪人者の家を訪ねました。

「あいつ、どうでしたかい。今日はどっかに出かけるような気配は、ござんせんでしたかね」(247ページ)と尋ねますが、別段変わった様子はなかったと聞いて一安心です。

吉蔵が気にしているのは、女房のお峯のことです。お峯がいついなくなってしまうかと、気が気でないんですね。

それと言うのも、お峯は元々は船宿のおかみさんだったからです。

お峯は、そこで働く抱え船頭の吉蔵とひそかに関係を持つようになり、3年前に二人で示し合わせて逃げ出して来たのでした。

逃げ隠れしてひっそりと暮らさなければなりませんし、吉蔵の稼ぎはそれほどよくありませんから、生活はいつまで経ってもよくなりません。

愛欲に満ちた生活が落ち着いてしまうと、お峯は段々と吉蔵との生活に飽きてしまったようです。そして吉蔵は吉蔵で、お峯との別れを考えないでもありませんが・・・。

 ――いっそ別れるか。
 別れてやり直すか、と思った。そうしたらさぞさばさばするだろう。まだやり直しがきく年だ。だが、そう思ったとたんに、お峯への未練が衝きあげてきた。さくら色の耳たぶや、少しも形の崩れない乳房が頭の中にちらつき、本所のはずれに、人眼をしのんで所帯を持ったころの、心がはずむようだった日々が思い出されてきた。吉蔵は溜息をついた。(259ページ)


ある時、吉蔵は自分の元主人であり、お峯の旦那である玉木屋の利兵衛と再会してしまい・・・。

「まぼろしの橋」

呉服屋美濃屋に育てられた18歳のおこうは、美濃屋の跡取り息子である23歳の信次郎との結婚が決まりました。

血は繋がっていないものの、兄と思って育って来た相手との結婚ですから、何だか変な気がするものの、それはそれでうれしい出来事です。

おこうは、5歳の時に橋の所で捨てられたんですね。最近、後ろ姿しか覚えていない本当のおとっつぁんのことが、ぼんやりと思い出されるような気がしています。

「会いたいというほどでもないの。ただ、自分がしあわせだから、あのおとっつぁんはどうしているかしらと思うのよ。橋を渡って行った背中が、さびしそうに見えたもんだから、そう思うのね」(284ページ)


信次郎と結婚して二月半ほど経った時のこと。おこうは、本当の父親を知っていたという50歳前後の男と出会いました。

「わたしは弥之助というものです。ひまが出来たときにたずねてくれれば、いろいろとおとっつぁんのことを話してあげますよ」(290ページ)と弥之助は言います。

もしかしたら弥之助が、自分を捨てたおとっつぁんかも知れないと思ったおこうは、弥之助の元を訪ねて行って・・・。

「吹く風は秋」

博奕打ちで58歳の弥平は、7年ぶりに江戸へと帰って来ました。

世話になった親分、喜之助をも騙す形で「鹿追い」といういかさまをやってしまったので、江戸にいられなくなり、下総の知り合いの元で身を潜めていたのです。

しかし、喜之助に見つかってひどい仕打ちを受けたとしても、旅先で野垂れ死にするよりはいいと、意を決して江戸へ帰って来たんですね。

弥平は女郎屋の前で、夕焼け空を見上げている二十三、四の年増を見かけます。そして誘われるままに、店に入って行ったのでした。

夫と子供がいる身でありながら、50両もの借金のせいで女郎になったというおさよの話を聞いて、同情する弥平。

いつか夫が身請けしてくれると信じているおさよですが、弥平が訪れてみると、夫の慶吉はまともに働くどころか、博奕で身を持ち崩しているだらしない男でした。

そんな中、弥平は喜之助から、7年前のことをちゃらにする代わりに、あることをして欲しいと頼まれて・・・。

「川霧」

永代橋の上には霧が立ち込めています。新蔵は姿を消したきり一年半戻って来ないおさとのことを思い、欄干から川を眺めているのです。

新蔵がおさとと出会ったのは6年前。新蔵が蒔絵師の年季奉公を終えたばかりの頃。

通い奉公が許されるようになりましたが、住み込みの時に比べて遅く行くようでは駄目ですから、新蔵は早起きして店に向かいます。

すると早朝にもかかわらず、橋の上に女の姿があるんですね。それも何日も続けて見かけるので、気にしていると、ある朝女が、目の前で倒れてしまいました。

それを助けてやったのが縁で、新蔵はその女がおさとという名前であること、「相手が金を持っていると見当をつけると、男をくわえこんで店を出て、外で男と寝てもどる」(368ページ)という、少しいかがわしい飲み屋で働いていることを知りました。

新蔵はおさとのいる飲み屋に通うようになり、おさとに心を寄せるようになったのですが、どうやらおさとは複雑な事情を抱えているようで・・・。

とまあそんな10編が収録されています。どの短編も非常にしみじみとしたいい話ばかりです。

どの作品もいいですが、一番印象に残ったものをあげるなら、「思い違い」でしょうか。

読んでいくと、タイトルの「思い違い」の意味が腑に落ちるんですが、そうした部分も面白いですし、おゆうと親方の娘が対照的に描かれているのがいいですね。

ある種の皮肉めいた二人の対照を背景に、純愛の気持ちが見え隠れするという物語で、人間の心の機微を描いた、人情話と呼ぶにふさわしい短編です。

「普通だったらこうなるだろうな」という点から少しずれるからこそ、笑いや涙が生まれて人情話になるわけですが、この短編集にはもう一つ大きな特徴があって、それは女のいやらしさが巧みにとらえられていること。

いやらしさというのは、単に性的に奔放という意味ではなくて、うまく説明するのは難しいんですけど、男とは違う女の論理だったり、女の生き方そのものの迫力という感じでしょうか。

特に「殺すな」のお峯がそういう感じを持っているんですが、「氷雨降る」でもそうした部分は描かれていました。

「殺すな」のお峯は、夫の元で働く年下の吉蔵に手を出して、挙句の果てにはそそのかして二人一緒に出奔したわけですよね。

そのまま一生添い遂げればまだいいですが、段々と相手に飽きてきて、隠れて暮らさなければならない日陰者の生活にもうんざりして来ます。

そうすると、元の夫の所に戻ろうかと考え出すわけです。戦々恐々として、ある種怯えながら暮らす吉蔵に比べて、このふてぶてしさはすごいですよね。

そこにぼくはいやらしさとでも言うべきものを感じるわけです。女の生命力の強さというか。

勿論、奔放な性質を持つお峯が特殊な女だとも言えるでしょうが、女性ならではのそうしたふてぶてしさというか、煮ても焼いても食えない感じが、とても印象的な短編集でもありました。

明日は、ジャック・フィニィ『盗まれた街』を紹介する予定です。