ガストン・ルルー『オペラ座の怪人』 | 文学どうでしょう

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ガストン・ルルー(長島良三訳)『オペラ座の怪人』(角川文庫)を読みました。

『オペラ座の怪人』は、みなさんご存じの作品だろうと思います。そうです。仮面を被った黒マントの男と、若くて美しい歌姫の物語。

劇団四季など、ミュージカルとしても人気がありますよね。ぼくはミュージカルはまだ見たことはないんですよ。その内見てみたいものです。

『オペラ座の怪人』は何度も映画化されていますが、2005年に日本で公開されたジェラルド・バトラー主演版が、一つの決定版と言ってよいだろうと思います。

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この映画は、もうまさに豪華絢爛という雰囲気が素晴らしいですし、キャストがそのまま歌を歌っていますから、歌の場面にも迫力のある、なかなかに面白い映画でしたよ。

さて、ぼくは「みなさんご存じの作品」と書きましたけども、タイトルとなんとなくの内容を知っている人は多くても、意外と原作を読んだり、ミュージカルを観ている人は少ないんじゃないかと思うんですね。

これは大チャンス! この機会にぜひ読んでみて下さい。小説を読んだら、ちょっぴり自慢できるかも知れませんよ。

何しろ1909年に発表された小説ですから、内容や小説のスタイルとして、古臭さを感じる部分も多いです。回りくどい場面の描写が多いので、所々退屈な箇所もあります。

でもやっぱり、時代を越えて愛され続けている名作だけあって、うまく説明出来ない魅力のある作品なんです。燃えるような愛と、激しい情熱と、圧倒的な絶望と、深い悲しみが描かれた物語。

そして、ミュージカルや映画と原作とでは、かなり印象の違う作品でもあるんです。なので、「ミュージカルや映画なら観たよ」という方も、折角なのでガストン・ルルーの原作もあわせて読んでみてください。

いくつかの出版社から翻訳が出ていて、ぼくも別の翻訳で読んだことがありますけども、この角川文庫の長島良三訳が、本自体もわりと新しいですし、訳文も読みやすいので、個人的にはおすすめです。

ミュージカル版と原作とでは、原作の後半は謎のペルシャ人の手記になっていること、細部の設定が違うことを除いても、かなり大きな違いがあります。

それは、〈オペラ座の怪人〉に感情移入できるかどうかです。これは観客の受け止め方によっても違うと思いますが、基本的には、〈オペラ座の怪人〉が抱える苦しみや悲しみに共感する人が多いだろうと思うんですね。

つまり、ミュージカル版の物語構造というのは、すべてがうまくいくには何かのピースが足りなくて、そのために不協和音が鳴ってしまうという、一種の悲劇になっているんです。

足りないピースというのは、もちろん〈オペラ座の怪人〉が何故マスクをしているかに関わって来ます。

ミュージカル版は、〈オペラ座の怪人〉がマスクをせざるをえないが故に生まれている、どこかロマンティックさも漂う、愛と苦悩の物語と言えます。

それに対して原作というのは、色々な意味でメアリー・シェリーの『フランケンシュタイン』によく似た怪奇譚なんですね。

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原作における〈オペラ座の怪人〉は、”人間的”というよりは、どちらかと言えば”モンスター”の領域に近いんです。勿論愛と苦悩は抱えていますが、印象としてはあまりにも怖ろしい、そしておぞましいキャラクターです。

オペラ座で次々と不思議な出来事が起こり、人間が何人も死に、その謎の中心に〈オペラ座の怪人〉がいるわけで、原作では同情は出来たとしても、共感は難しいであろうキャラクターとして描かれているんですね。

つまり、ロマンティックな物語というよりは、テイストとしてはホラーなんです。謎に満ちた恐怖の出来事が次々と起こり、その謎が少しずつじわじわと明かされていく面白さのある小説です。

クリスティーヌ・ダーエという歌姫と、ラウル・ド・シャニーという子爵との間に、”モンスター”が介入するという物語が『オペラ座の怪人』なのですが、この2人のラブストーリーはたしかにどうでもいい感じはあります。

どうでもいいと言うと少し乱暴ですけれど、身分の差という問題はありこそすれ、美男美女が惹かれあうなんて話、面白くもなんともないわけですよ。

愛したいけれど、想いは届かない。愛されたいのに、誰からも愛されない。そうした苦悩というのは〈オペラ座の怪人〉の持つ特殊な感情であると同時に、誰もが多かれ少なかれ感じるものでもありますよね。

〈オペラ座の怪人〉の悲しみの叫びはやがて、”モンスター”の咆哮ではなく、愛に飢えた男の歌になり、原作とは少し違った形で、人々の心を打つようになっていったのでしょう。

作品のあらすじ


オペラ座の古い記録を調べていた〈私〉はやがて、様々な噂が囁かれていた〈オペラ座の怪人〉が実在したのだと確信するようになりました。

30年前に起こった、「クリスティーヌ・ダーエが誘拐され、シャニー子爵が行方不明になり、兄のフィリップ伯爵が殺害され、遺体がオペラ座の地下、スクリブ街の近くに広がる湖のほとりで発見されるという、不可解で悲劇的な事件」(7ページ)の真相を、様々な証言を元に再構成したのが、この記録になります。

ある夜のこと。オペラ座に「〈怪人〉があらわれたのよ!」(13ページ)という騒ぎが起きます。ドクロのような顔をし、黒い燕尾服に身を包んだ〈怪人〉が目撃されたんです。

〈怪人〉の後を追いかけて行った道具方主任のジョゼフ・ビュケはやがて、首を吊って死んでいる姿で発見されました。死体に駆け寄った人々は、死人の合唱のような歌声を耳にして・・・。

そして、オペラ座の舞台の上でも、ある事件が起こります。

歌姫カルロッタが病気になり、クリスティーヌ・ダーエという若い娘がその代役をつとめたんですが、このクリスティーヌが、観客を魅了したんですね。

「あんな美声、あんな名演技は、いまだかつて誰も聞いたことも見たこともなかった!」(30ページ)ほどだったんです。

観客はもちろんのこと、公演にかかわる人々すべてがクリスティーヌの歌に驚嘆します。少し前まではそれほど歌が上手くなかったのを知っているからなおさらです。

観客席で一際心打たれていたのは、ラウル・ド・シャニーという子爵でした。ラウルは幼い頃にクリスティーヌと出会っており、恋心を抱いています。

ラウルがクリスティーヌの楽屋を訪ねると、中からはクリスティーヌが誰かと話している声が聞こえました。

「クリスティーヌ、私を愛さなくてはいけない!」という声だ。
 すると、クリスティーヌは悲しげに震える涙声で答えた。
「どうしてそんなことをおっしゃるの? わたしはあなたのためだけに歌っているのに!」
 ラウルは苦しさのあまり倒れそうになり、ドアによりかかった。永久に失われたと思っていた心臓が胸にもどったかと思うと、耳をつんざくような音を立てて脈打ち始め、その音が廊下中に響きわたった。(40~41ページ)


やがてクリスティーヌが楽屋から出て行きます。ラウルは憎き恋敵が一体誰なのかを突き止めようと、楽屋に入って行きますが、なんと、そこには誰もいませんでした。

「ぼくは頭がおかしくなってしまったんだろうか?」(42ページ)と茫然とするラウル。やがてクリスティーヌとラウルはオペラ座を離れてこっそりと会い、色々と話をします。

クリスティーヌへ愛の気持ちをぶつけるラウル。クリスティーヌもラウルのことを憎からず思っている様子なのですが、どうも歯切れの悪い返事しか返って来ません。

そしてクリスティーヌはラウルに秘密を打ち明けてくれました。「ここで、父はこんなことも言ったわ――『お父さんが天国へ行ったら、〈音楽の天使〉をおまえのところへつかわしてやる』って。じつはねえ、ラウル、父が天国へ行ったあと、わたしのところに〈音楽の天使〉が訪ねてきたのよ」(98ページ)と。

ある時、誰もいないのに突然声が聞こえて来たというんですね。その〈音楽の天使〉が歌い方を教えてくれて、クリスティーヌは素晴らしい歌声を手に入れることが出来たというわけです。

勿論ラウルはその話を信じませんが、クリスティーヌは〈音楽の天使〉がいるのだと信じ切っています。

一方、最近になってオペラ座の支配人が代わったんですが、支配人たちは〈オペラ座の怪人〉の噂を信じません。なので、自分のために五番ボックスを常に用意しておけという要求も、お金を払えという要求も相手にしませんでした。

クリスティーヌに脅威を感じるようになった歌姫カルロッタもまた、「今夜舞台にあがったら、歌を歌っている最中に大きな災いに見舞われると覚悟しろ・・・・・・死より恐ろしい災いに」(119ページ)という脅迫状を無視し、舞台にあがります。

始めは何事もなく舞台は進んでいきますが、やがてカルロッタの様子がおかしくなります。まるでヒキガエルのように、ゲコッ! ゲコッ! という声が洩れるようになったのです。ざわめく場内。

驚く支配人たちの耳元に〈怪人〉の声が響きます。

「今夜のカルロッタの声の調子外れなことといったら、シャンデリアもはずれそうだな!」
 ふたりの支配人は同時に天井を見上げ、絶叫した。シャンデリアが、巨大なシャンデリアがずり落ち始め、その悪魔の叫び声に引きよせられるように、近づいてきたのだ。留め具のはずれたシャンデリアはホールの天井から落下し、観客が悲鳴をあげるなか、一階椅子席のまんなかに墜落した。聴衆はあわてふためき、われさきに逃げ出した。筆者はここであの歴史的な大参事を再現してみせるつもりはない。興味のある方は、当時の新聞をご覧になればよい。大勢の人が負傷し、死者も一人出た。(138ページ)


クリスティーヌは歌姫としての成功をおさめていきますが、〈音楽の天使〉がラウルの言う通り、天使などではなく、仮面を被った生身の男であることを知ります。その仮面の下には一体何があるのか?

〈音楽の天使〉に縛られているクリスティーヌは、ラウルとともにオペラ座から逃げ出すことを決意しました。いよいよ、逃亡が決行される日。

舞台の最後の幕で、いつも以上に全身全霊を込めて歌ったクリスティーヌの歌は、観客を魅了します。「聴衆は感動にふるえながら崇高な気分に浸り、みんな、翼が生えて天高く舞いあがっていけそうな気がした」(251ページ)ほどです。

 クリスティーヌは両手を差しのべ、むき出しの肩にかかる美しい髪で、バラ色に染まった胸元を包み、神々しい叫び声をあげた。

  わたしの魂を天高く運んで!・・・・・・

 そのとき突然、場内は真っ暗になった。それはほんの一瞬の出来事で、観客が驚きの声をあげる暇もなく、舞台はまた明るくなった。
 ・・・・・・しかし、クリスティーヌ・ダーエの姿は消えていた!(251~252ページ)


クリスティーヌは一体どこへ消えてしまったのか? それは一体誰の仕業なのか?

クリスティーヌを愛するラウルは、クリスティーヌの行方を探し、謎のペルシャ人とともにオペラ座の地下を探索していって・・・。

さらわれたクリスティーヌの運命はいかに!?

とまあそんなお話です。支配人たちを脅迫し、必要とあれば人間を殺すことになんの躊躇もない怖ろしい〈オペラ座の怪人〉と、クリスティーヌに歌を教えた、姿の見えない〈音楽の天使〉。

〈オペラ座の怪人〉と〈音楽の天使〉には共通点があります。どちらも神出鬼没で、姿を見た者はほとんどいないこと。何か関係があるのでしょうか。

オペラ座を舞台にした怪奇譚なので、ホラーテイストの物語ですが、じわじわ怖さが広がって行く感じなので、ホラーが苦手な人でも大丈夫です。

『オペラ座の怪人』は謎に満ちた魅力的な物語ですから、後日譚にあたる話をフレデリック・フォーサイスが『マンハッタンの怪人』(角川文庫)で書き、前日譚にあたる話をスーザン・ケイが『ファントム』(上下、扶桑社ミステリー)で書いているようです。

ぼくはまだどちらも読んだことはないのですが、『オペラ座の怪人』の世界観に夢中になった人は、続けてそうした作品を読んでみるのも、楽しいかも知れませんよ。

おすすめの関連作品


その醜い容貌が故に、なかなか愛が実らない物語を紹介しましょう。アニメ映画を一本、そして戯曲を一冊。

まずはアニメ映画から。そうしたテーマで言えば、何と言っても『ノートルダムの鐘』でしょう。

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『ノートルダムの鐘』は、その容貌の醜さ故に、人間界から離れてノートルダムの聖堂で暮らすカジモドを描いた物語です。

ある時ついに、にぎやかな町へ飛び出したカジモド。色々な物を目にし、初めて心から愛する女性が出来ますが・・・。

ぼく自身が感情表現が下手な、不器用な人間だからかも知れませんが、心はまっすぐなのに、うまく立ち回れない人物に、どうしても共感してしまうんですよ。

『ノートルダムの鐘』は、ハンサムなヒーローを描いていないという点で、ディズニーアニメの中でも異色作と言ってよいだろうと思いますが、とても印象に残るいい映画です。

ちなみに原作は、フランスの文豪ヴィクトル・ユゴーの『ノートルダム・ド・パリ』です。

実はぼくもまだ読んだことないんですよ。その内、読んでみたいですねえ。潮出版社の「ヴィクトル・ユゴー文学館」に収録されていますよ。

では、続きまして戯曲を一冊。

エドモン・ロスタンの『シラノ・ド・ベルジュラック』をご存知でしょうか。

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剣の腕も立ち、詩人でもあり、様々な才能に満ち溢れたシラノの唯一の欠点は、鼻が長く、醜い容貌をしていること。

愛する女性ロクサーヌがいますが、ロクサーヌは美男子に恋をしています。ところがその美男子は頭が空っぽなので、恋文一つ書けないんですね。

シラノは2人の仲を取り持つために、愛に満ち溢れた言葉でロクサーヌへの恋文を代筆してやって・・・。

とまあそんなお話で、愛する人の幸せを望むことが、本当に愛するということだと教えてくれる、傑作戯曲です。

この物語のモチーフは、いまでも形を変えて、映画やマンガなどでも使われています。機会があればぜひぜひ。

明日は、鹿島田真希『冥土めぐり』を紹介する予定です。