ウイリアム・アイリッシュ『幻の女』 | 文学どうでしょう

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幻の女 (ハヤカワ・ミステリ文庫 (HM 9-1))/早川書房

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ウイリアム・アイリッシュ(稲葉明雄訳)『幻の女』(ハヤカワ・ミステリ文庫)を読みました。

ミステリファンにアンケートを取ると、今だに上位にランクするであろう海外ミステリの名作です。ハヤカワ・ミステリ文庫の『ミステリ・ハンドブック』でも堂々の第1位を獲得しています。

1942年に発表された、わりと古い時代のミステリということもあって、今読むとずば抜けた傑作という感じは正直しないだろうと思います。読んで感じるのは、斬新さではなくもはや既視感だろうと思うので。

ただ、シンプルかつ物語に引き込まれる面白い作品なので、現在でも十分に楽しめるミステリです。傑作というよりは、娯楽作と呼ぶのにふさわしい作品なのではないでしょうか。手に汗を握る、はらはらどきどきの物語です。

『幻の女』は、ある男が妻殺しの罪に問われてしまうという話です。アリバイを証明できるのは、その日にたまたま一緒にいた女だけ。ところが、お店でも街中でも、何故かその女を目撃した人がいないんですね。

男の死刑執行の日が迫る中、男の親友は男の無実を証明するために、「幻の女」の行方を追って行って・・・。

この小説がここまで読者の心をとらえているには、2つの大きな理由があります。まず第一に、「幻の女」の行方を追うというストーリーが、ミステリ的にとても興味深いものであること。

「幻の女」は、一体どんな女なのか? 何故姿を消してしまったのか? どうして誰も女の姿を見た者がいないのか? そもそも「幻の女」は、本当に実在したのか?

いなくなった誰かを探していくというストーリーは、ミステリでは結構あるんですが、「限定された誰か」を探すのではなく、まさに「幻」としか言いようのない存在を探していく所に、この作品の大きな魅力があります。

オレンジ色の帽子をかぶっていたということ以外、「幻の女」の手がかりはほとんどまったくありません。この非常に曖昧な「幻の女」の像が、作品全体をぼんやりと漂っていて、印象がないだけにかえって生まれる深い印象があります。

誰かを探していくミステリというのは、その誰かを見つけるまでは膠着状態が続く物語なわけですから、下手すると中だるみしてしまうことがあります。

しかし、『幻の女』にはある仕掛けがあって、読者の緊張感を最後まで持続させることに成功しています。その仕掛けにこそ、この作品が読者の心をとらえて離さない第二の理由があります。

『幻の女』の章のタイトルにはこんなことが書かれているんです。たとえば、第1章は「死刑執行前 百五十日」です。物語が進んでいくごとに、この日にちがどんどん少なくなっていくんですね。

そう、死へのカウントダウンが書かれているんです。これはもう本当にスリリングですよ。もう残された時間が少ないのに、まだ「幻の女」を見つけられないという、非常にやきもきした気持ちにさせられます。

やがて少しずつ見つかっていく手がかり。はたして、「幻の女」を見つけ出し、親友の命を救うことはできるのでしょうか。

作品のあらすじ


こんな書き出しで始まります。

 夜は若く、彼も若かったが、夜の空気は甘いのに、彼の気分は苦かった。(9ページ)


言及されることも多い、有名な書き出しです。町中がデートをするカップルであふれる中、スコット・ヘンダースンはなんだか不機嫌そうな様子です。何か嫌なことがあったらしいんですね。

バーに入り、スコッチを注文したヘンダースンは、燃えるようなオレンジ色の帽子をかぶった女の存在に気が付きました。

ヘンダースンは女に、「ここに『カジノ座』のショウのとびきり上等な切符が二枚あるんです。AA列の通路がわの席ですがね。いかがです、つきあってくれませんか」(15ページ)と声をかけます。

お互いに名前や住所など個人情報を一切教えあわず、食事をして、ショーを見たらそのまま別れるという約束をします。面白そうだと思ったのか、女も同意してくれます。

2人は「白い館」というレストランで食事をし、ショーを見た後、最初に出会ったバーで乾杯をして別れます。「もう気分が落ちついたのだから、家に帰って、彼女と仲直りしたらいかが?」(35ページ)と女は言います。

そう、ヘンダースンは一緒にショーを見るはずだった奥さんとケンカしてしまい、むしゃくしゃした気持ちから、偶然に出会った女を誘ったんですね。

さて、ヘンダースンが自宅に帰ると、驚くべきことが起こっていました。なんと奥さんがネクタイで首を絞めて殺されていたんです。

もうすでに警察官が何人か集まっていて、ヘンダースンは詳しい事情を聞くために連行されてしまいました。警察の疑いはヘンダースンに向けられています。ヘンダースンには奥さんを殺す動機があるからです。

実はヘンダースンはキャロルという恋人が出来て、奥さんと離婚したいと思っていたんですね。離婚の話し合いが上手くいかず、ヘンダースンと奥さんは口論になったわけです。

ヘンダースンのアリバイを証明するために、刑事とヘンダースンは、事件当日のヘンダースンの足取りを再現してみます。

ところが、不思議なことに、誰一人女の姿を見ているものはいないんですね。バーテンダーも、タクシーの運転手も、ヘンダースンが出会った人々すべてが、ヘンダースンのことは覚えていても、女のことは覚えていないというんです。

ヘンダースンはパニックに陥ります。

「彼女のドレスの衣ずれの音。しゃべった言葉。香水のほのかな匂い。コンソメの皿に彼女のスプーンがふれたときの、かちっという響き。椅子を後ろへずらしたときの、かすかな音。彼女がタクシーを降りたときの、頼りない車体の小さな揺れ。彼女がグラスをとりあげたとき、ぼくの目に映ったあのリキュールは、いったいどこへ消えたんだろう。下におろされたグラスは、空になっていたんだ」
 彼は拳をひざに叩きつけた。二度、三度、四度、五度と。
「彼女はいた、ぜったいに、いたんだ!」(103ページ)


ヘンダースンは自身のアリバイを証明することが出来ず、有罪が確定してしまいます。あとは死刑執行を待つだけの身の上のヘンダースンの所に、バージェスという刑事が訪れます。

バージェスは、ヘンダースンの有罪に疑いを抱いているんですね。嘘をつくならもっとうまい嘘をつくだろうと。バージェスは、警察としてはもう動けないけれど、誰か信頼出来る人に頼んで、女の行方を探し続けることをすすめます。

「誰でもいいが、熱情をもってそれに打ちこめる人間であることが必要だ。信念だ。精力だ。金や名誉では動かない人間、きみがスコット・ヘンダースンだから、という理由だけでやってくれる人間」(133ページ)はいないかと聞かれ、ヘンダースンは1人の親友を思い出します。

こうして、石油会社の仕事で南米に行っていたジャック・ロンバートの元へ電報が届けられます。親友の危機を耳にすると、すぐさまやって来たロンバート。2人はかたい握手を交わします。

ヘンダースンの死刑執行まで残りわずか18日。警察や弁護士でさえ見つけられなかった女を短期間で探し出すことは、不可能と言ってもいいくらい、極めて難しいことです。ロンバートもその難しさを口にします。

 ヘンダースンは手をだして、口ごもるようにいった。
「お別れの握手をしてくれないか」
「なんのために? ぼくは明日またくるぞ」
「じゃ、ぼくのために、一肌ぬいでくれるっていうのか?」
 ロンバートはふりかえると、睨みつけるような眼で相手を見やり、そんな愚問はかえって迷惑といわんばかりに、
「ぬがないなんて、だれがいった?」
 と、腹立たしげに怒鳴った。(155ページ)


こうしてロンバートの必死の捜索が始まります。女についての手がかりが見つかりそうになると、思いがけぬことが起こり、手がかりは消えてしまいます。最後の手段として、ロンバートはあるアイディアを思いついて・・・。

はたして、女を見つけだし、ロンバートは親友の命を救うことができるのか!?

とまあそんなお話です。死へのカウントダウンが刻まれていく中、「幻の女」の行方をひたすら追っていくという物語です。

探偵や刑事が事件を捜査すると、他人事とまでは言いませんが、やはりどこか「仕事」という感じはあるだろうと思います。

しかし、この小説では親友の命がかかっているわけですから、ぞくぞくするほど肌で危機感を感じるというか、もう必死さが全然違うわけですよ。

思わず物語に引き込まれてしまう名作ミステリです。興味を持った方は、ぜひ読んでみてください。

明日は、ジョルジュ・シムノン『闇のオディッセー』を紹介する予定です。