森博嗣『すべてがFになる』 | 文学どうでしょう

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すベてがFになる (講談社文庫)/講談社

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森博嗣『すべてがFになる』(講談社文庫)を読みました。

「ミステリも好き」と「ミステリが好き」というのは、似ているようで大きく違っていて、ざっくり言うと、前者は物語(人情話的な要素)を求め、後者はトリック(パズル的な要素)を求める傾向にあります。

「ミステリも好き」な読者にとっては、登場人物のキャラクターや、事件解決という結末が重要であって、トリックは副次的なものにすぎません。

それとは正反対に、「ミステリが好き」な読者にとっては、トリックがなにより重要で、物語的な要素は、ある意味どうでもいいんですね。なので、ミステリ読みはミステリしか読まない人が多いような気がします。

そんな風に質としては全く異なるはずの、「ミステリも好き」な読者にも、そして「ミステリが好き」な読者にも人気があるのが、今回紹介する森博嗣なのではないかと思います。

あっ、ちょっと脱線しますけども、森博嗣はぼくの思い出の作家なんです。ぼくはあまり専門的ではない、まさに「ミステリも好き」な読者なんですが、高校生の時に「ミステリが好き」な友達がいたんですね。

お互いに読書が好きで、結構本は読んでいるはずなのに、話がまったく噛み合わなかったのが、初めはとても印象的でした。

「ミステリも好き」な人は、単行本や文庫本ではそれなりに読んでいても、講談社ノベルズや、ハヤカワ・ポケット・ミステリにまでは、なかなか手が伸びないですよね。「ミステリが好き」な人とは、注目している作家、読んでいるものがまったく違うことが多いんです。

そんな「ミステリが好き」な友達に、おすすめしてもらって読み始めたのが、森博嗣です。他には西澤保彦や京極夏彦辺りもおすすめしてもらいました。

森博嗣の『すべてがFになる』から始まるシリーズを、当時ぼくは、随分夢中になって読みまして、犀川と萌絵のやり取りや印象的なフレーズを真似しながら、その友達と話をしたことを覚えています。

話を戻しまして。『すべてがFになる』は、トリックというか作中に潜む謎も、もちろん面白いと思うんですが、なによりも登場人物のキャラクターに魅力のある小説です。

いわゆる探偵役は、犀川創平という工学部建築学科の助教授で、助手の役割を果たすのが、大学一年生の西之園萌絵です。

建築学科ということからも分かりますが、犀川は理系です。非常にロジカルな考え方をし、いつもクールな態度を崩しません。コンピューターを思わせるような、正確さ、固さ、冷たさがあります。

森博嗣のミステリは、理系的だと評されることが多いんですが、それを特徴づけているのは、この独特の人物造型ではないかと思います。

萌絵は犀川の恩師の娘で、こちらもかなり頭がいいんです。複雑な計算を瞬時にできたりします。ワトスン的な、かませ犬キャラクターではなく、かなりいい所まで推理をしたりもします。大金持ちの娘なので、天然というか、他人と生活感覚が少しずれているような所があったりも。

13歳離れている犀川と萌絵ですが、どうやら萌絵は、犀川のことが好きなようなんです。犀川はそれを知ってか知らずか、飄々とした感じです。この2人の恋愛的要素からも目が離せません。

作品のあらすじ


真っ白い部屋で、西之園萌絵がモニター越しに真賀田四季博士と面会する所から物語は始まります。

真賀田四季博士は、萌絵に両親のことを尋ねます。萌絵の両親が飛行機事故で亡くなってしまったこと、父親の教え子の犀川先生に好意を抱いていることが、この面会の会話から分かります。

犀川創平は、N大の助教授です。萌絵は以前からの知り合いということもあって、ちょくちょく犀川の研究室に遊びに来ます。

モニター越しとは言え、萌絵が真賀田四季博士に面会して来たことを知ると、犀川は感嘆の声をあげます。それだけ真賀田四季博士に会うのは難しいんですね。西之園家が大金持ちで、親族が有力なポストについているからこそ出来る離れ技です。

真賀田四季博士は、「十代の頃から、コンピュータサイエンスの頂点に立つ天才プログラマ」(30ページ)です。まさに天才という言葉がふさわしい人物なんです。しかし、理由はよく分かりませんが、14歳の時に両親を殺害してしまいました。

裁判の結果、真賀田四季博士は無罪になったんですね。心神喪失状態だったということが認められて。実は、真賀田四季博士は複数の人格を持っている人物なんです。

それ以来15年間、孤島に作られた研究所で、研究所のメンバーとも直接は会わずに、真賀田四季博士は研究を続けています。

N大学のゼミでは、夏と冬にゼミ旅行に行くのが恒例なんですが、そのキャンプ地を真賀田四季博士の研究所がある島にしようと萌絵が言い出します。そういうわけで、犀川と萌絵、その他の学生たちは孤島に向かうこととなりました。

犀川と萌絵は、真賀田四季博士の研究所に遊びに行きます。登録された右手の形と音声でのみ開く扉、施設全体を統御しているデボラというコンピューターのシステム、物を運ぶロボットなど、やや近未来的な研究所です。

ところが、研究所ではある異変が起こっているんですね。部屋の中にいる真賀田四季博士と連絡が取れなくなっているんです。

半ば閉じ込められるように、半ば自らの意志で閉じこもるように、外部の人間とは直接会わない真賀田四季博士ですが、連絡が取れなくなるというのは、極めて異例なことです。

その時、デボラの調子が悪くなったのか、照明がちかちかし、ノイズが流れます。そして、ロックされていたはずの真賀田四季博士の部屋のドアが自然に開きます。

部屋の中には、ウェディングドレスを着て、両手両足が切り取られた真賀田四季博士の死体がありました。一体何故? そしてこの密室状態でどうやって殺害したのか?

真賀田四季博士がパソコンのカレンダーに残していた、「すべてがFになる」という言葉が表すものとは?

やがて、第2、第3の殺人が起こり・・・。犀川と萌絵は事件の謎を解き、犯人を見つけ出すことが出来るのか!?

とまあそんなお話です。研究所では仮想現実を研究していたりもするので、バーチャルリアリティーの世界で、カーレースをしたりするのが印象的でした。SFチックで面白いと思います。

真賀田四季博士も相当変わり者のキャラクターですが、犀川も萌絵も変わり者と言えば、かなりの変わり者です。

萌絵は心の傷を抱えていますし、そして犀川は、ある部分では真賀田四季博士と非常によく似ているんです。どこか精神的にぶっ壊れた所があるというか。それが、表面に現れて来ないだけに、かえって印象に残りました。

では、犀川と萌絵のやり取りで、面白く感じた場面を引用して終わります。

「大丈夫です。先生こそ・・・・・・、お疲れでしょう?」萌絵は脚を組んで言った。
「そうね、マカデミアナッツよりは、ちょっとましかな・・・・・・」犀川は真面目な顔をして言った。
 少し考えてから萌絵が言う。「マカデミアナッツ? どういう意味ですか?」
「はは、意味はないよ」犀川は笑う。「意味のないジョークが、最高なんだ」(184ページ)


「お疲れでしょう?」と言われたら、「そうね、マカデミアナッツよりは、ちょっとましかな」とぜひ言ってみてください。相手が森博嗣ファンだったら、にやりとしてくれるかもしれませんよ。

明日は、藤沢周平『刺客 用心棒日月抄』を紹介する予定です。