ギャビン・ライアル『深夜プラス1』 | 文学どうでしょう

文学どうでしょう

立宮翔太の読書ブログです。
日々読んだ本を紹介しています。

深夜プラス1 (ハヤカワ・ミステリ文庫 (HM 18‐1))/ギャビン・ライアル

¥882
Amazon.co.jp

ギャビン・ライアル(菊池光訳)『深夜プラス1』(ハヤカワ・ミステリ文庫)を読みました。

なんとも素敵なタイトルだと思いませんか。原題は”MIDNIGHT PLUS ONE”です。このタイトルは基本的には、ミッションの制限時間を指しています。

”MIDNIGHT PLUS ONE”までに、ミッションをクリアしなければなりません。もちろんただそれだけではなくて、ラストシーンでこのタイトルに新たな意味が加わって、作品の余韻は素晴らしいものになっています。

『深夜プラス1』は一般にはあまり知名度はないと思いますが、実はかなり有名な作品なんです。ミステリのジャンルで、好きな小説ランキングの中に必ず入ってきます。

ミステリやハードボイルドの要素もありますが、ジャンル的には、おそらくアクションですね。『トランスポーター』みたいな感じです。

トランスポーター [DVD]/ジェイソン・ステイサム,スー・チー,フランソワ・ベルレアン

¥1,890
Amazon.co.jp

『トランスポーター』は凄腕の運び屋が思わぬ事件に巻き込まれていくという物語で、車、守るべき人物、迫り来る敵、という要素が『深夜プラス1』と共通しています。

『深夜プラス1』は、ある人物を護衛しながら、目的地まで車で運ぶというミッションを描いた作品なんです。

正直なことを言うと、ぼくは高校生の頃に『深夜プラス1』を読みかけて、半分くらいで挫折したことがあります。「なんだこれ、つまらん」と放り投げました。

今回も途中までぼんやり読んでいたんですが、後半からラストにかけて、ぐいぐい引き込まれました。『深夜プラス1』は面白いですよ。やっぱり名作でした。

最後まで読み終わって、本を置いた時に、じんわりと心に染み渡るものがあります。

『深夜プラス1』というのは、1回目に読んだ時よりも、2回目に読んだ方が面白く、再読する度に面白さが増していくという、めずらしいタイプの小説だろうと思います。

それがなぜかと言うと、『深夜プラス1』はストーリーが面白い小説ではないからです。乱暴な言い方をすれば、ミッション自体はどうでもいいんです。護衛している人物が生きようが死のうがどうでもいい。

普通こういう物語というのは、「守らなければならないなにか」を必死に守ろうとすることによる面白さがあります。つまり読者もそれを「守らなければならない」と思うから、感情移入ができるわけです。

『深夜プラス1』はそれとは少し違っています。圧倒的に主人公のルイス・ケイン、そしてその相棒のハーヴェイ・ロヴェルのキャラクターに打たれる小説です。彼らの抱えているもの、信念みたいなものが、かなりいいんです。

ストーリーの面白さではなく、キャラクターに深みがある小説なので、何回読んでも面白いですし、かえって何回も読めば読むほど楽しめる小説だと思います。ぼくも何度も読み直したい小説になりました。

あらすじ紹介のあとで、そのキャラクターの深みについてもう少し書こうと思います。

作品のあらすじ


こんな書き出しで始まります。

 パリは四月である。雨もひと月前ほど冷たくはない。といって、たかがファッション・ショーを見るために濡れて行くのには寒すぎる。雨がやむまでタクシーはつかまらないし、やめば用はない。数百ヤードの距離だ。いずれにしてもぐあいが悪い。
 結局、ドゥ・マゴに腰をすえて杯を傾けながら、表のサン・ジェルマン通りで青信号と同時にグラン・プリのようなスタートをきる夕方のラッシュの騒音を聞いていた。(5ページ)


カフェにいる〈私〉は、戦時中の自分のコードネームが壁のスピーカーから流れるのを聞いて、ひやっとします。「ムッシュウ・カントン、ムッシュウ・カントン、電話口へどうぞ」(5~6ページ)というアナウンス。

電話ボックスに入ると、電話をかけてきた相手は昔の知り合いでした。かつてレジスタンスの資金係りをしていたアンリ・メランという弁護士。実はアンリは隣の電話ボックスから電話をかけていたんです。

〈私〉は冷や汗をぬぐい、アンリと旧交を温めます。アンリがなぜ〈私〉の所へやって来たかというと、仕事を依頼するためでした。

マガンハルトという金持ちの男を、ブルターニュからいくつかの国境を越えて、リヒテンシュタインまで車で運ぶ仕事。報酬は1万2千フラン。

マガンハルトには敵がいて、マガンハルトをある時間、ある場所に行かせたくないんです。その見えない敵の罠で、マガンハルトは婦女暴行の罪をでっちあげられ、フランスの警察からも追われる身の上です。

迫り来るガンマン、フランスの警察の捜査をくぐり抜けて、マガンハルトを運ばなければなりません。相棒として、優秀なガンマンを雇うことにします。

ヨーロッパのトップのガンマンは、アランとベルナール。その2人とは連絡がつかないので、その次の凄腕、アメリカ人のハーヴェイ・ロヴェルと組むことになります。

シトロエンDSという黒い車を受け取りに行くと、運転手が殺されています。立ち込める不安。ここでの〈私〉とアンリの電話でのやり取りが結構面白いです。

「ハロー、アンリ。悪い知らせだ。ブルターニュのきみのいとこが病気だ、たいへんな重病だ」
「まずいな、どんな具合だったんだ?」
「急だった。まったくとつぜんだった。なにかすることがあれば?」
「充分処置はしてもらっているんだろうね?」
「大丈夫だ。どっちにしても、今いるところで、一日か二日は大丈夫だよ」
「それじゃ予定通り行ってくれ。いまヴァンヌだね?」
「そう。一つだけ心配しているのは、彼の病気が伝染病かどうかということだ。だれか病人のそばにいたというような話はきいていないか?」
「きいていない。しかし朝になったら問い合わせてみよう。また電話をしてくれるね?」
「ああ。おやすみ、アンリ」
「さよなら、カントン」(56ページ)


もちろん、いとこなんかいません。車の運転手が殺されていたことを電話で話すのは危険が伴うので、こうした暗号のような言い方をしているんですね。

「処置」というのは「死体の処理」のことですし、病気について詳しく聞くということは、誰がやったか情報がないか尋ねているわけです。

〈私〉とハーヴェイは、マガンハルトとその秘書のミス・ジャーマンを乗せて、車を走らせます。すると不安要素が次々と現れてきます。

ハーヴェイが実はアルコール依存症であることが分かったんです。仕事中は酒を飲まないと決めているんですが、酒を飲まないと手が震えてきます。ガンマンとしては致命的ですよね。

アルコール依存症のハーヴェイ。何者かとひそかに電話をしているミス・ジャーマン。追ってくる警察。そして、敵方にベルナールが現れます。なんと最強のガンマン2人は敵に雇われていたんです。

はたして、〈私〉とハーヴェイは様々な障害を乗り越えて、マガンハルトを無事に目的地まで運ぶことができるのか!?

とまあそんな物語です。ミッションを成功させられるか否かもそれなりに面白いんですが、やはりなんといってもキャラクターの深さがいいんですね。

〈私〉であるルイス・ケインもハーヴェイも、かつては情報部のようなところに所属していました。まあスパイみたいなことですね。ところが時代が変わって、もう違う仕事をせざるをえない。

ハーヴェイは単なるお酒が好きだからアルコール依存症なのではなく、人を殺す仕事に精神的に耐えきれないからこそ、酒に走っているわけですね。

そしてルイス・ケイン。情報部時代のコードネーム「カントン」として、自分に言い聞かせるこんな場面が印象的です。

〈一人の男の墓碑に、この男は一万二千フランのために死んだ、と記してもだれもあざ笑うものはいまい。承知の上でやったことだと思ってくれるはずだ。一万二千フランというのは計算することができる。これでは少なすぎると言って断れば受け取らなくてすむ。
 だが、カントンであるということは計算できない。計算ずくで後へ退けない。そのために、わずか一万二千フランのためとはとうてい考えられないようなことをする・・・・・・〉(294ページ)


このルイス・ケインの心のあり方は、日本の「武士道」に近いものを感じます。もし「お前の依頼人よりも多くの額を払うからこちらに寝返ってくれ」と言われたら、みなさんだったらどうしますか。

ルイス・ケインはこの仕事をビジネスとしてやっているわけです。マガンハルトに恩があるわけでもなんでもない。合理的に考えれば、より得する方、たとえばマガンハルトを相手に渡すとか、そういうことをすればいいわけですよね。

ところがそれを絶対にしない。なぜなら、「カントンだから」です。自分が自分であるために絶対にそれをしない。この信念のあり方は、もう「武士道」ですよ。それがひたすらかっこいい。

黒澤明監督に『七人の侍』という映画があります。

七人の侍 [DVD]/三船敏郎,志村喬,稲葉義男

¥8,400
Amazon.co.jp

七人の侍がある村に雇われて、悪いやつらと戦うという物語ですが、物語の核というか、「武士道」的なもので『深夜プラス1』と共通するなにかがあると思います。

合理的に考えれば、危なくなったら逃げ出せばいいんです。ところが七人の侍というのは、逃げ出しません。なぜなら、一旦始まったら、それはもうお金の問題を越えて、自分が自分であるための戦いだからです。

『七人の侍』は西部劇として『荒野の七人』になりました。色々複雑な事情はあるんですが、まあリメイクといっていいと思います。

荒野の七人 アルティメット・エディション [DVD]/ユル・ブリンナー,スティーブ・マックイーン,チャールズ・ブロンソン

¥2,990
Amazon.co.jp

「侍」が「ガンマン」に置き換えられているだけで、流れているものは同じです。簡単に言えば、「正義」ですが、より正確に言うと、「信念」の物語ですね。絶対にゆずれないなにかのための戦い。

こうした映画も面白いので機会があればぜひ観てもらいたいですが、『深夜プラス1』はつまりそういう小説なんです。「武士道」的な小説。

自分が自分であるための戦い。それがひたすらかっこいい1冊です。日本人にも人気があるのは、こうした「武士道」的な要素が、心の琴線に触れるからだろうと思います。興味を持ったらぜひ読んでみてください。

明日は、広瀬正『マイナス・ゼロ』を紹介する予定です。