エーリッヒ・マリア・レマルク『西部戦線異状なし』 | 文学どうでしょう

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西部戦線異状なし (新潮文庫)/レマルク

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エーリッヒ・マリア・レマルク(秦豊吉訳)『西部戦線異状なし』(新潮文庫)を読みました。

ドイツ文学の傑作とされている、戦争ものです。戦争を扱ったものは、ぼく自身の領域をちょっと越えてしまっているような気がします。

完全なエンタメとして、歴史やSFで描かれる戦いは、それほど苦手でもないんですが、実際にあった戦争がモチーフになっていると、やはり独特の重みというものがあるので。

戦争はよいことだ! ということを言いたい小説というのは、やっぱりほとんどなくて、戦争はこんなに悲惨だったんだ、とか、二度と戦争は起こしてはならない、など、そういったテーマになりやすいわけです。

『西武戦線異状なし』も、どちらかと言えば戦争の悲惨さをテーマにしたような小説です。タイトルの意味が最後に分かるんですが、ぼくはちょっと鳥肌が立ちました。

出兵した〈僕〉と友達たちの戦地での生活が描かれていきます。友達が足を切断したり、死んでいったり。人の死を目撃したり。

〈僕〉という、一人の若者の視点で物語が紡がれていくので、その点は読みやすいです。ミッション的なことがあるわけではないんですよ。敵を倒してバンザーイ! という話でもありません

一番の読みどころは、〈僕〉という人間の気持ちがどのように変化していくか、というところです。ちょっと引用してみます。

僕らは十八歳であった。この世界と生活とを愛しはじめていた。しかるに僕らはその世界と生活とに向って鉄砲を射たなければならなかった。その第一発として射ち込んだ爆弾は、実は僕らの心臓に当っているのだ。僕らは仕事と努力と進歩というものから、まったく遮断されてしまった。僕らはもうそんなものを信じてはいない。信じられるものは、ただ戦争あるのみだ。(128ページ)


文学が好きな〈僕〉ですが、その文学が目の前の現実でばらばらと崩れていきます。最終的に〈僕〉がどのような心境になっているか、そういうところを気にしながら読むとよいかもしれません。