気がつけば、児玉源太郎シリーズを16回も連続で書かせて頂いておりましたが、タイムリーな話題でもあり、掲題のようなことを今週は挿入させて頂きたいと思います。
児玉源太郎シリーズは1回お休みさせて頂きますね
m(_ _)m

さて、世間ではすっかりお盆ですね・・・。
私も人並に、55歳の若さで早くに亡くなった父と、すでに他界している両家祖父母への供養の思いを捧げておりますが、そんなお盆の時期になると毎年ノイジーマイノリティーがヒステリックに騒ぎ始めてしまい・・・本来静かに祈りをささげるべき様々な行事が続く中での季節感を根こそぎ破壊してくれていますが、今回はそんなことについて少し言及したいと思います。

そのうえでですが、誤解を恐れず刺激的なことを言うようですが、
靖国神社はそんなに「大した神社」
ではありません 。
日本には、皇統2700年近くの神道の歴史の中で、建立から1000年をこえる神社がザラに存在し、建造物としても文化の生き証人としても、世界的に極めて貴重な文化財としての神社仏閣がいたるところに存在します。

一方で靖国神社は、その前身である東京招魂社から数えても建立されたのが明治2年。つまり1869年。
たった140年の歴史しかありません。
日本の神社仏閣の格から考えると極めて新参であり、一部の俗説では1000年を超えてからがやっと神社の格が語れるとする神社仏閣マニアからすると、ある意味においては「大した神社ではない」とされるのも、受け入れざるをえない指摘でもあると思います。

では、日本人にとって靖国神社は軽く扱うべき存在なのでしょうか。

靖国神社もともと、明治維新後の日本の内乱期において、国家に功績のあった戦死将兵を弔う場として建立されましたが、その後日本が日清・日露戦争などを経る過程で、国難に殉じた将兵・・・それはまさに国家の礎たる、護国の御柱そのものでありますが、それら先人の御霊を招き、弔う場所と性質を変えて参りました。

帝国主義の時代には、日本に限らず世界中の国に血税(=兵役)があり、国家は国民に安全を保障する一方で、国民は平和を担保するための防衛戦争に応召し、参加する義務を負うことになります
そして皆がこの義務を等しく果たすことで、日本は明治維新以降の厳しい帝国主義時代にも独立を守り、繁栄を勝ち取ることができました。

その中には歴史に名を残した児玉源太郎のような英雄もいれば、徴兵に応じ戦争の最前線に立ち、まだ未成年の若さで敵弾に斃れ殉職した名もなき兵士も多くいます。
日本政府は国家としてそれら国民に、血の税を要求する代わりに、殉職後には靖国神社に御魂を招き、永代にわたりその功績をたたえることを約束しました。

それが、靖国神社の基本的な性格です。
いわば、護国の礎となり殉職をした兵士の名誉と武勲を子々孫々まで記録に刻み、お祭り申し上げることを国民と日本政府は約束したのです。

これらの約束の下、あるいは民族的なDNAがそうさせるのか・・・
昭和戦争における上層部の拙い戦争指導にもかかわらず、日本の兵・下士官は物量・作戦・戦略・武器・・・あらゆるものに勝る米軍を相手に、時には戦略の失敗を戦術のリカバリーでひっくり返すようかのような局地戦の奮闘を見せ、死を恐れず、靖国に還ることを信じて、果敢に敵弾に立ち向かい、尊い命の御霊を散華されました。

それこそ、子々孫々にいたるまでの日本のために、自身の命の炎を燃やした戦いが有益であることを確信して・・・。

一度でも靖国神社にお参りを申し上げ、実際に祭神たる戦没者の全御霊を掲示し、その戦いの記録を詳細に残す「遊就館」に足を立ち入れると、日本人として全身に鳥肌が立ち、感謝の誠を捧げても全く足りない思いに捉われます。
そこに残るのは、とても学生や20代の若者が残したとは思えない達筆の遺書。
達観した両親や国家への想い。
国防への使命感・・・。

しかるに、今の日本政府は命の代償を求めたそれら国民との契約を順守しているでしょうか。
靖国に眠る護国の礎となった数百万に及ぶ、後顧の憂いなく散華した英霊に、恥じないお祭りを申し上げているでしょうか。

政府を預かる内閣総理大臣ですら、それら英霊に対し、失礼極まりないいわゆる「政治的配慮」をしている今の日本で、誰が「最近の若者は・・・」などと上から目線で説教ができるでしょうか。

今の日本をこんな堕落した国家に導き、現政権のようなアンモラルで恥も外聞もない政治手続きを用いて選挙を戦った政党に政権を与えたのは、ほかならぬ私たち日本人です。
少し勉強すれば誰でもわかる嘘を積み上げた彼らのマニフェストを信じ投票した日本国民は、怠慢そのものであり、民主党や個人の政治家への責任転嫁は恥の上塗り以外のなにものでもありません。
もちろん、民主党に投票しなかった国民も決して批判を免れるものではありません。

国家のために自らの命を捧げ、日本の未来を信じ散華された英霊の前に偉そうなことを語れる日本人が今どれくらいいるのか。
一つのお話として、靖国神社や英霊の思いを大事に思う人は多くいると思います。
しかし、その思いを何か少しでも形にし、行動に移したいとまで思う日本人が、もしかしたらほとんどいないかもしれないということを、ひとつの悲しい事実が示しています。

どこの神社にも氏子などが神社を守り、運営する基礎的な組織として「奉賛会」というものがあります。
靖国神社にも、「靖国神社崇敬奉賛会」という組織があり、神社の運営・維持のために会員が会費を納め、英霊の思いを毎年、様々な形で顕彰しています。

今、この1億人が存在する日本で、この護国の英霊250万柱をお祭り申し上げる靖国神社の奉賛会の会員数がどの程度か想像がつきますでしょうか。

・・・たったの67,000人です。
しかも、毎年数千人単位で減少し続けています。
センセーショナルな領土問題をマスコミが報じた時だけ愛国の罵詈雑言を他国に吐く人は多くいますが、平時から歴史に関心を持ち、護国の礎となった先人を顕彰する活動を、「靖国で会おう」と言い残し、敵弾に向かっていった先人の思いを知ろうとする活動を行っている日本人がどれほどいるかを考えると、靖国神社を例にとるとたったの67000人であり、かつ毎年急激に減っている事実。
日本人は本当に、先人の思いをまじめに捉え、今を生きていると言えるのでしょうか。

総理大臣が靖国に参拝しないことを批判できるほど、国民は何を知っていて、何をしているかを考えると、私は今の状態で総理大臣が靖国に参拝できないのはある意味において当然であるとすら、思います。

日本人として先人が何を思い、命の誠を国家に捧げていったのか、という思いに関心があるのであれば、ぜひこの神社に一人でも多くの国民がさらに関心を持ってくれることを祈ってやみません。

靖国神社崇敬奉賛会
http://www.yasukuni.jp/~sukei/ 

ちょっと今日はピンポイントで語ってしまいましたが、靖国神社を御参りするたびに感じる所感を最後に一つだけ記し、〆たいとおもいます。

戦前日本人は「死は鴻毛より軽し」(人間の命は鳥の羽よりも軽い)と教えられました。
一転戦後は、「人命は地球よりも重い」と、私たちは教えられ、そして程度の差はあれ、どちらかというと後者に共感を持つ人が多いような気がします。

しかし私には、この両者はまったく同じ意味のことを示しているように思えてなりません。

つまり、死を覚悟してまで物事に取り組むべき時において、人の命は時に命を守ることよりも重いものがあり、その一方で、そうでない時に、命をかけて物事に取り組み、そして落命することは名誉ある死と言えるか。

家族や愛すべき人たちを守るにおいて命を賭して戦う時に、自分の命は鴻毛よりも軽く・・・
かつ平時において国家の繁栄を担保するために社会貢献し、社会生活を送る時には、命は地球よりも重いはずです。

今の日本人は、どのような場面でも無条件に「命は何よりも大事」と盲信することを教えられたせいで、逆に人生を大事にしていないとすら思えます。
死の時が1ヶ月後だと思えば、あなたが今日恋人とした喧嘩は取るに足らないものではないでしょうか。
わたしたちが悩んでいることは、死を1ヶ月後に控えた人間が真剣に残された時間を生きている時に、考える価値のあることでしょうか。

命が何よりも大事と教えられたことで、命と人生を思いきり安物にしてしまい、私たちは「死の宣告」をされるまで死を意識する力を日常から失ってしまい、人生の目的を見失っていることはないでしょうか。

先人を敬い、靖国に思いを馳せることは、この時期なら特に同視されるされそうですが、けっしていわゆる「反中」「反韓」を煽ることが目的ではありません。
(敢えて付言するなら、特に韓国に関して今、国家として袋小路に陥ってると個人的には思っていますが)

先人の生きざまから何かを学ぶのであれば、国家のために国民ができることは何よりも勤労と納税であり、そして子を育て、地域社会に貢献をすることです。
そのうえで、さらに自分の手のなか以上のものを変えたい、良くすることができると信じることができれば、その思いを掲げて政治の世界に飛び込み、国家の仕組みを良くすることにチャレンジするべきであると思います。

日本という国を草の根から立て直すために、国民の意識を、今度こそ、次の選挙でリセットしたい。
そんな思いを、新たにした終戦記念日でありました。

お目汚し、大変失礼しました。
m(_ _)m