a meal glad ~YUMMY~ -3ページ目

泣けるかな

 

葬儀の日…

 

喪主としての挨拶や色々な段取り、母の事などを考えていたらいつの間にか朝に成っていました・・・

 

病気が発症してから約20年位、一番最初はショックで涙が出たが通院・入院の繰り返しにも慣れてきてだいぶ落ち着いた日々が有った。

 

食事制限も最初は数年で体重も落ち、制限も落ち着くかと思ったが、隠れ食い等でかなり長い期間が過ぎていた、後半は私も妻も疲れ始め喧嘩が耐えない日々・・・

 

どちらかの方を保つ訳でも無かったが気がつくと、かなり私には負担が大きかった(TVの様には逝かない)最後の方は私も諦め、何か有っても…と言う気持ちに…

 

そんな日々母に何か有ってもその時に

 

泣けるのかな?

 

そんな感情の時が続きました・・・

 

親なのに、薄情な息子です

 

 

葬儀は順調に終わり最後の別れと挨拶…

挨拶はイッパイ考えたが緊張でうまく出来たか?覚えていない…

 

出棺も時も(ホール移動)涙は出なかった。

 

食事を済ませ、暫くするとアナウンスが流れ移動する

初め私と妻と姉が案内され、母のもとに行きました、その姿を一番最初に目に入ったのは痛がって歩けなくなった足の所・・・

結構太い骨だった…

思わず、シッカリしていたから未だ…と思った時に涙が出てきた…

 

来て頂いた方々にお骨を収めてもらい、式会場入り口で挨拶をして来て頂いた方々を見送りった後帰宅しました。

 

 

自宅には姉も一緒に帰ってきて暫くしてから甥と姪が来て、やっと落ち着き夜まで過ごしました。

 

そう言えば火葬の際扉が閉まる習慣、出てきた言葉が

 

バイバイ 

だったな

 

 

 

 

 

 

母の戒名です。

優献院和顔妙恵信女

 

 

色々と候補が有った中で母の印象に合ってると思った、和顔の文字が入った戒名にしました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

和顔

 

数日間でしたが自宅に帰ってきた母、病院に来れなかった兄妹や姪っ子や昔から仲良くして頂いた友人が母に会いに来てくださいました。

 

その間接客や葬儀社の方との打ち合わせ、親戚等に連絡と色々慌しい日々でした。

通夜葬儀とも葬儀社さんのお陰で(社長が姉の同級生)一週間後に決まりました、隣市の火葬場の小ホールで行うことで、父方の親戚(宮城)の部屋も有り火葬の際の移動もホール無いだけで済む事なので、安心です。

 

弔問客等は少ないと思い家族葬とかも有りましたが、我が家の代表としてきちんと通夜葬儀と行うことにしました。

 

葬儀屋の方との打ち合わせの合間にお坊さんが自宅に来てくださり(我が家は霊園で檀家はない)生前の母の事などを聞き戒名等の参考にしたいとの事でした、後日数個の戒名が教えられその中から、もしくはその他にもと言ってくださり、妻と色々見て決めました。

 

 

通夜は父方母方の親戚・母の友人等が来てくださりアッという間に式が終わり、食事の席では来てくださった方に挨拶をしていて義理父に

「少し座って食事をとりな」

と言われてしまいました (⌒_⌒;

やっと席に付きビールを一口、目の前にある料理を一つ二つ口にした所で妻に

「個々の部屋は何時まで居て良いの?」と聞くと

「もう時間だってさっき言われた」

「え!!じゃもう行こう」

という事で父方の親戚(泊まり)と係の方に挨拶をして、帰宅しました…

 

慌ただしく通夜を終えもうひと頑張りと、自分に言い聞かせ次の日に備えました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

75/49 後

その後

数時間経っても大きな変化も無く、時折ビンかの声・ひ孫の触感でのおかげで呼吸器の数値が上がったり・下がったりの状態なので、案の定病室内で厭きてきた旦那と共に下のコンビニで一息してくれば?と姉に伝えた。

 

束の間の家族での病室内…妻は時折母の声を掛け、私は暫し目を閉じ休憩状態・・・暫くして姉たちが戻ってきて(旦那が)暇そうにしているのも有り、甥っ子に、

「このままの状態だときっと夜まで持ちそうだから、親父と一緒に戻る?」

と聞いた際甥っ子も父親の行動に疑問を思っていたので、 

「そうする。」

と答え自宅に戻った…

 

朝昼とロクに物を口にした無かった私達は、姉に母を任せて食事を取る事にした。

 

病院内だと気持ちが落ち着かないので、隣のファミレスに行った。

久しぶりにファミレスでの遅い食事、母の事や病院の事などを話ゆっくり食事をしました、病院のコンビニで飲み物を買う際

「アイスでも買ってバーチャンの口に付けてやるか?」

なんて事を話していて,符と携帯に目をやると、姉からの着信とメールが頻繁に付いていた、少し気が緩んでいて何時も携帯を目の前に置いておくのだが、ファミレスではウッカリしていた…

 

慌てて病室階に向かうとドアの外まで聞こえる姉の声・・・

部屋に入りモニターを見ると、数値がすべてゼロ・・・

声を掛けるが、反応もなく ナースコールを押したが看護婦が一度来てすぐ戻ったそうだ・・・

 

暫くして医者と看護師が来たが、それっきり母の体・モニターは、反応することはなかった。

 

母の姿を見て

「ゴメンネ ちゃんと出来なくてゴメンネ  最後の最後にちゃんと側に居てあげられずにゴメンネ ゴメンネ」

 

それしか言葉が出てこなかった・・・

 

看護師が先生(院長)を呼んで良いですか?と聞かれお願いした。

 

午後4時過ぎ遺書の宣告を受け、ミニターを外す事になり待合室に移動した・・・

 

その間看護婦に言われ下の警備室で車や葬儀社の手配を済ませ、綺麗に体を拭いて貰った母に会いました、

 

その後下の霊安室に向かう途中甥っ子が来てくれ一緒に下に降り院長(主治医)看護婦・看護師さんに挨拶を済ませ車で帰宅するのですが、母の部屋にベット等が其の儘なので一晩葬儀社さんの冷暗所に預けることに為りました。

慌てて来てくれた甥っ子には、

「すまない、俺の考えが甘くお前を帰してしまって最後にバーチャンに会うことが遅くなってすまない、」

としか言えませんでいた。

 

母を見送った後先生方に挨拶をして妻は自宅に向かい私は会社向かいベットを吊り上げる為の車で帰宅し母の部屋の片付を済ませ、終わったのは21時近く・・・

 

ビンカも何かに気がついたのか?オトナシクしていました、次の朝母が帰ってきて線香を上げたり団子を作ったりと色々葬儀社の方と打ち合わせをして久しぶりに少し寂しいけど家族全員が揃いました。