2020年。アメリカ。"Half Of It".

  アリス・ウー監督・脚本・製作。

 田舎町の高校を舞台に、孤独な中国人少女とアメフト部員の少年と学園のスター的な美女との心の交流を描いた教養小説形式のロマンチック・コメディ。

 監督自身のパーソナルな体験を形象化した物語だが、生々しさは奥に引っ込めて、古典戯曲の『シラノ・ド・ベルジュラック』の骨格を援用したドラマに、LGBTと人種差別問題を上手に溶かし込んである。

 リベラルアーツ教育の豊かさを見せつけるように、ジャン=ポール・サルトルやプラトン、カズオ・イシグロ、ヴィム・ヴェンダースなどの作品が物語を推し進める起爆剤として自然に生きている。

 シェイクスピアの『十二夜』を学園コメディに援用したアマンダ・バインズ(懐かしい!)主演の『アメリカン・ピーチパイ』を想い出した。ナサニエル。ホーソンの『緋文字』を取り入れたエマ・ストーン主演の『小悪魔はなぜモテる?』もあった。

 しかしこのドラマには『アメリカン・ピーチパイ』みたいな楽しさや面白おかしさはほとんどない。

 

 かわりに人が誰かに恋するときのひりひりする感情の揺れ動きがていねいにとらえられている。主人公以外は当初は学園コメディの典型的なキャラクターに見えていたが、アメフト部員のポールや学園の女王アスターの心の屈託が明らかにされる後半には、学園コメディはとりあえずの手段でしかなかったのだな、と気づいて主人公エリーの感情教育の物語を我がことのように噛みしめる、という仕組みになっている。

 ポールとアスターそれぞれの物語については物足りなさや矛盾点は残るものの、恋愛映画の中で愛する人を追いかけて男が列車に並走して走り続ける場面をあざ笑っていたエリーが、最後に同じ場面の主人公になってしまったときに自分自身の感情をつかみ取ることに成功するというこじゃれた終わり方で、まあいいかという気分になる。

 

 今月ネットフリックスで配信が始まったドラマだが、すでにYouTubeにはこのドラマを見て感激した10代女子たちが、この感動を誰かに伝えたいと泣きながら語りかける映像が無数にアップされ続けているという異常事態が起こっている。『13の理由』のハンナ・ベイカー・ムーブメント、『ストレンジャー・シングス』の「ホッパー署長は生きている」騒動以来の大騒ぎだが、何が十代女子たちの心の琴線に触れたのか、主人公はLGBTの中国人少女というマイノリティなのに自分のことのように思わせる何かがあるのか、よくわからないが、近年の学園コメディの中では相当に上質の部類に入ると思われるので満足したことだった。

  IMDb

   Netflix

 

 成績優秀だが孤独な中国人少女エリー(リーア・ルイス)は、周囲に心を閉ざして生きている。ある時、アメフト部員のポール(ダニエル・ディーマー)に、学園の女王アスター(アレクシス・レミール)に恋したのでラブレターの代筆をしてくれと依頼される。自らもアスターに恋していたエリーは断ろうとするが、電気代の支払期限が迫っているため仕方なく引き受ける。それから代筆のラブレターをめぐって三人の心のもつれが描かれていく学園コメディ。

 学園の女王アスターの心の揺れがいまひとつ理解できない。そもそも現実に学園の女王的な人と親しく接したことがないのでよくわからないのだろう。

 

 高校時代に学園の女王とみなされる人がいる、というシステムの不可思議さについて考えてみることがあった。学園という閉ざされた環境の中での複雑に入り組んだ人間関係の中から女王、誰もが憧れる人物が屹立する。

 卒業したとたんに崩壊する脆いシステムの上の任意の一点に過ぎない存在だったが、卒業してしばらく経過したときにふと思い出すことがあった。あの人は今どこで何をしているのだろうと思って同級生に再会したときに尋ねると、卒業後も地元にとどまり、そこで結婚して子どもも二人いるという。

 それを聞いた時には、何てもったいない、高校時代は無限の可能性を感じさせて光り輝く美女だったのに、東京に行って第一級のスターになるべき存在だったのではないのか、などと思ったものだったが、このドラマを見ながら、年寄りになりつつある今なら理解できると思った。誰かに向かって愛して、誰かから愛される、そのことの重要性に早い段階で気づいた彼女はやはり彼女自身の人生の勝利者、スーパースターそのものだった。