2019年。イギリス。"White Riot".

 ルビカ・シャー監督。

 1978年のロック・アゲインスト・レイシズム(RAR)の集会について関係者へのインタビューや、当時の記録フィルム、ニュース映像などを基につなぎ合わせたドキュメンタリー映画。コロナの影響で劇場公開が中止となり配信サービスでの提供に切り替えられた。

 配給する側の思惑としては当時の若者たちの姿を通して、権力に反逆して社会を変えていく主体はあなたがた若者たちであるというメッセージを伝達したいのだろう。すでに若者ではなく非パンク的な人生を歩んできた私には居心地の悪い感じだが、もともと日本で一般的に流通しているパンクのイメージは好きではない。逆にこの映画で打ち倒すべき敵とみなされている右翼団体ナショナル・フロント(国民戦線、NF)の若者が好んで着ていたフレッドペリーのポロシャツやロンズデールのシャツなどを愛用してきた。私が愛するのは1977年から1979年あたりまでの「オリジナル・UKパンク」の音に限る。

 

 関係者へのインタビューを通して1978年の英国人の生活実態がおぼろげながらも浮かび上がる。英国で勃興していた排外主義の動き、特にNFが若者たちに支持されていく傾向に危機感を抱いた左翼のデザイナー、写真家、雑誌記者、印刷工たちが結成したRARの反撃が1978年の集会で勝利を収める。ネットやソーシャルメディアが存在しなかった時代にどう闘ったのか、それは各所で配布されるファンジンや街中に張られたポスターなどに頼っており、デザイナーの影響力の大きさがうかがわれる。
 これを見ると、自分の抱いているパンクのイメージと、実際の情況との差異の大きさを思い知らされる。パンクの理想化されたイメージとは程遠く、現実にはパンクは局所的な文化運動に過ぎない。パンクにかぶれた若者たちの大半は経済不況の中でフラストレーションのはけ口を求めるスラッカー的な教養の乏しい失業者だった。今日の我々が知っているパンクのイメージを担当したのはすでに若者ではないマルクス主義のアーチストやジャーナリストで、彼らが影響されていた1960年代からの芸術運動の流れがデザインに反映していただけのことだった。

 

 1978年のRAR集会のトリを務めたのはパンクの流れの中から登場はしたものの、音自体は古いロックのトム・ロビンソン・バンドだった。トム・ロビンソンだけが唯一の本物の左翼であったためだが、それに不満を抱いていたらしきザ・クラッシュのエピソードには笑える。中で良いギターの音を聞かせていたダニー・クストウという人が昨年病気で亡くなっている。

 先進的な左翼のイメージがあったザ・クラッシュも政治的には曖昧なところのあるバンドだったことがうかがわれる。そのためかNFの若者たちにも好かれていた。ベーシストは常にNFっぽい服を着ているし、湾岸戦争時にはアメリカ海兵隊に愛聴されたり解散前のシングル「ジス・イズ・イングランド」が右翼の若者たちの間でアンセムとして受け取られるなど日本にいると理解できない疑問が少し解消された。クラッシュの中で左翼的だったのはマネージャーのバニー・ローズで、それに感化されたボブ・ディランかぶれでヒッピーに劣等感を持つリーダーのジョー・ストラマーが西ドイツ赤軍や赤い旅団に関して現在では考えられない程ナイーブな発言を残している。

  公式サイト(日本)

 パンクも今やレコードコレクターの収集対象になっており、コレクター向けの本も複数出版されている。オリジナルのパンクの音を追い求めて、YouTubeやSpotfyなどをさまよい続けて、時間の経つのを忘れてしまうことが時々ある。当時の録音環境や実際に音楽を作る若者たちの音楽的教養の限界でどのバンドも似たり寄ったりの音でしかないのだが、ザ・フーやスモール・フェイセズその他に似たり寄ったりの音の中の微妙な感触の違いにわくわくするのだ。そもそもパンクは、音楽の知識や教養などどうでもいい、とにかく始めようという運動だった。シングルを数枚出して消えてしまった名前も知らなかったバンドをYouTubeで発見したときは興奮する。オリジナルパンクの中ではザ・クラッシュのファーストアルバムの中にある叙情と郷愁の感覚には心惹かれる。これはおそらく、近年の英国の若者を中心にした山下達郎や竹内まりやなどの1970年代のジャパニーズ・シティ・ポップのブームと同様にどこにも存在しない架空の都市への憧憬から来る現実逃避のファンタジーみたいなものなのだろう。
 UKやアイルランドのパンクの曲は英語が理解できないせいでストレートに歌詞の意味が伝わらない点も大きい。実際は大したことは歌っていないのは明らかなのだが、直接には伝わらないせいで何処にも存在しないアスファルト・ジャングルの都市のイメージが詩的に増幅される効果がある。

 

 パンクは女性の社会的地位向上を先鋭的に唱えた運動でもあった。ペネトレイションやX-RAYスペックス、ザ・スリッツ、スージー&ザ・バンシーズその他女性がフロントを務める、あるいは女性だけで構成されたバンドの音には後のニューウェイブやポストパンクにつながる要素が早くから含まれているような印象がある。今聴いても面白いのは女性が中心のバンドばかりな気がする。