2010年。アメリカ。"TINY FURNITURE".

 レナ・ダナム監督・脚本・製作・主演。

 大学を卒業したレナ・ダナムが高名な写真家の母(ローリー・シモンズ)と画家の父(キャロル・ダナム)に6万ドルの製作費を出資してもらい、家族や友人、知人に協力を依頼して作ったマンブルコアに影響を受けた自主映画。

 レナ・ダナムを初めて認識したのはSNLのミニコント集みたいなクリップをYouTubeで見たときだが、当初から苦手な感じがあった。顔をひと目見てうかがわれる性悪さ、腕の刺青も怖ろしいイメージと、迂闊に話しかけると噛みつかれそうな印象がある。『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』でブラッド・ピットに顔面を壁やテーブルに打ちつけられて血まみれで死んでいく姿を見たときは、これこそレナ・ダナムの死にざまにふさわしい、さすがタランティーノ、わかってるじゃないか、とひそかに快哉を叫んだものだった。

 しかし、尊敬する作家や批評家がこぞって今もっとも注目するべきはレナ・ダナムしかいないと繰り返し書いたり語ったりするので見なければ、という強迫観念に捕われていた。

 レナ・ダナムの性格の悪さは群を抜いており、平気で嘘をつくし、自分の欠点を指摘されると逆切れして、誰かれ構わず当たり散らす。しかし、演出家はレナ・ダナム本人だということを忘れがちになるほどにレナ・ダナムのキャラクターの性悪さはずば抜けている。脚本もレナ・ダナム本人が書いている、つまり自分自身をクールに分析する能力を持ち合わせている。
 レナ・ダナムのキャラクターが余りにいやな人物で反省した振りはするものの、振りだけなので同情の余地もない。妹(作家・LGBT活動家のサイラス・グレース・ダナム)や母親のキャラクターにも特に心惹かれる要素はない。誰にも感情移入できない物語だが、これがとてつもなく面白い。

 この映画を作った時のレナ・ダナムは24歳で、そのことには驚きしかない。自分の身を切り裂いて、生々しい血を流しながら語るようなレナ・ダナムの物語の率直さには心を揺さぶられる。日本の私小説みたいに家族や友人たちを巻き込んでしまってトラブルに発展しそうな要素もある。

 ここまでやる勇気と度胸、覚悟を持った唯一者であるレナ・ダナムの物語に匹敵するものが他にあるのか、と考えてもすぐには思いつかない。サラ・ポーリーの『物語る私たち』は匹敵するかも知れない。 

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  公式サイト(日本)

 

  アメリカでは大学を卒業して実家に戻るということが負け犬であることを意味する、ということを知り、まあそりゃそうか、それがノーマルな感覚だ、と元パラサイト族の私は思った。

 撮影はレナ・ダナムのニューヨークの実家を使って行われており、NYのセレブリティの生活を垣間見ることができる。いい年齢をして当てもなく実家に戻ってきたレナ・ダナムの悪戦苦闘する姿を描いたコメディ調の青春残酷物語。

 隠し事は何もない。24歳当時のレナ・ダナムの欲望が率直に語られている。時給の低い仕事なんて嫌だ、映像メディアで脚光を浴びて両親みたいにお金持ちになりたい、自由なセックスを手に入れたい。周囲からレスペクトされる存在になりたい、

 しかし家族や周囲の人々は彼女を軽視してぞんざいに扱う、ネットに投稿した学生時代の自主製作ビデオには辛らつで否定的なコメントしかない、知り合った男とのセックスは路上のマンホールの中で散漫に行われる。

 かつてヒッピーでフリーセックス主義者であったらしい母親が20歳の頃に書いていた日記を発見したレナが母親にマッサージをしながら語りかける場面で映画はちょうど良い按配に幕を下ろす。

 この作品は『GIRLS/ガールズ』のプロトタイプのようなものだろう。セックス描写の痛々しさと生々しさに閉口して第4話あたりで見るのを中断している『ガールズ』を見直すことにしようと思った。