2009年。アメリカ。"My Sister's Keeper".
  ニック・カサヴェテス監督・脚本。
 『ジョンQ-最後の決断』に引き続いて、医療の問題を題材にしたニック・カサヴェテスの渾身の一作。
 言葉の定義どおりのヒューマンドラマで、主に家族をめぐる人間と人間との関係が描かれる。人間と人間との関係は会話や、ふれあいなどで交わされる。
 スクリーンが平面なのでもっとも映画らしいのが視線の交錯する場面となり、スクリーンは視線の交錯を上手に描くことはできないので切り返しショットと呼ばれる技術が使われるが、
 この映画は切り返しショットのお手本のようにすばらしい。
 そういったものをニック・カサヴェテスは、若くして亡くなった父親であるジョン・カサヴェテスの映画を見ることで学んだのかも知れない。
 ヒューマンドラマというのは、こういう風に作りなさいというお手本ともなり得るだろう。
 法廷と病院が主な舞台となっているので、せりふが法律用語や医学用語だらけのヒューマンドラマというのも珍しい。字幕担当は戸田奈津子氏だったが、たぶん医学や法律の専門のアドバイザーがいたのだろう、不自然な翻訳は特に見当たらなかった。
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映画の感想文日記-sisterskeeper
 「要するにベタな難病もの映画でしょ?」とか、「泣かせ映画の典型でしょ?」とかいういやみは気にしないことにしよう。
 こんなさわやかなヒューマンドラマを「泣ける映画」と呼ぶこと自体は最大の侮辱行為に値する。(流れる音楽がどれもさわやかで良かっただけだろう?といういやみも気にしない。)
 これはニック・カサヴェテスの映画なのだから、妹のゾエ・カサヴェテスの『ブロークン・イングリッシュ』のときと同じく、最大の賛辞を送って、すぐれた点を発見しようとするのが、ジョン・カサヴェテス映画に取りつかれた者のするべき唯一の行動であるはずだ。

 第一に、これは「泣ける」映画では全くない。「泣ける」映画と呼ばれる映画は、泣いたらそれでおしまいだが、この映画では泣かないことだって可能だ。
 泣くよりも大切な思考の活性化を与える映画が、この『私の中のあなた』だった。「泣ける」とか「泣けない」とかがいかに愚劣なジャンル分けに過ぎないか、ということもこの『私の中のあなた』は明らかにして見せる。

 人間と人間との関係の描き方、特に家族の物語について、この映画を見た者は考えをめぐらせることになる。
 同時に、死にゆく者と残された者との関係についても考える。そんなときに涙を流そうが流すまいがどうでもいいことで、映画とはまったく無関係なことがらだろう。

 登場人物の視線がみんな優しすぎないか、とか、物語がスウィート過ぎないか、何となく舞台劇っぽく見えないか、など気になる点がないわけではなかったが、
 久しぶりのアメリカ映画の大傑作であることには間違いないだろう。
 出演者は誰もが好演しているが、キャメロン・ディアスのノーメイクっぽい母親役の熱演や、少し大人っぽくなったアビゲイル・プレスリンの法律用語や医学用語を駆使しての熱演もすばらしかった。
 チョイ役ながらゾーイ・デシャネル(来年2010年初頭に話題になるはずの映画『600日のサマー』の主演)の姉のエミリー・デシャネル(こちらは『ブギーマン』第1作目で印象深い)も出演している。

 ニック・カサヴェテスも妹のゾエ・カサヴェテスも残念ながら父親のジョン・カサヴェテスのような映画監督としての才能には恵まれておらず、生涯をかけても父を超えることは不可能だろうが、
 それぞれに持ち味があり、ややスウィートなニック、ややリアル志向のゾエともに素晴らしい映画を今後もおくり続けてくれるに違いない。
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