誓い、裏切り、血と涙。
それは極道だったのか、それとも友情だったのか。


シネマな時間に考察を。

『モンガに散る』 Monga
2010年/台湾/141min
監督:ニウ・チェンザー
出演:イーサン・ルアン、マーク・チャオ


シネマな時間に考察を。 80年代。躍動する台北一の歓楽街モンガ。

この街に降り注ぐ、赤々と滾る熱い情熱と若さの迸るエネルギーが、ぶつかり合い溶け合っては沸々と弾けて蒸発する。萎えることのないパワーが次々と雑多の路地に溢れては返り、あの頃街はどこまでも煌々と輝いていた。


エネルギッシュな疾走感にほろ苦い青春のグラフィティを滲ませて、 黒い社会に足を踏み入れた少年らの高揚感を力強くも軽やかに描きながら、深め合う瑞々しい友情の絆をコラージュしていく。


血の契りを交わした5人の厚い友情。

それが壊れる時がこようとは誰も予想だにしなかった。ヤクザな世界に身を染めながらも、彼らが仲間同士で屈託なくふざけ合い笑い合う、

その笑顔があまりにも眩しくて。あまりにも愛しくて。

だからこその結末が、哀しい。


シネマな時間に考察を。 最後にモンガに散った血しぶきは、彼がいつか見たいと願った桜の花びら。彼の人生で初めて得られた本当の仲間との輝かしい日々が今、赤く弾けて宙に舞う。駆け抜けるように生きたここモンガで、彼の命は儚い桜の花の如く舞い散った。モスキートの伸ばした腕に応えようと歩みよったモンクに、彼は何を見ただろう。そこに友情はまだ、生きていたのか。


モンクのドラゴンに対する思慕は、シネマな時間に考察を。 恐らく友情を越えて隠し続けた愛もあっただろうと思わせる。幼い頃からいつもほぼ対等に生きてきた。こぶし1つ分だけドラゴンに面目を保たせてきたのは、自分が誰より彼の近しき存在で居たかったから。一方で父親同士の不対等に人知れず苛まれてもいた。他の仲間達のように単純ではいられなかったモンクの複雑を思うと、ただただ切ない。


シネマな時間に考察を。 暴力と青春、裏切りと絆。
退廃的なイメージは排し、あくまでもみずみずしく切り取ったエネルギッシュな質量と、スタイリッシュでファッショナブルな視覚的質感もあいまって、絶妙のバランスで見事に仕上がっている。これはある意味アジアでしか描けない底力であり、歴史的地理的背景による台湾の持つ特殊性がドラマの中に垣間見られることもまた見逃せないエッセンス。娯楽性の高いスタイルも嫌味なく適度に取り込み、一方で映像の中に同じ時代の日本の郷愁すら感じさせるのは、台湾の親日性にも起因しているのだろう。


これらの画面に溢れる色彩と、勢力抗争の行方を負うドラマの導線が、141分という長尺でありながら寸分の隙もなく作品を引き締めている。モスキート、モンク、ドラゴンの他の2人の存在にもう1歩厚みがあったなら尚よかったのだが、突っ走ってゆくばかりのこの物語の中で、モスキートと娼婦が過ごす癒しの時間がひとときの佇みと清涼感を与え、ドラマに甘い膨らみをもたらしてくれる。


シネマな時間に考察を。 血を裏切る凄惨なラストシーンでありながら、
どういう訳
かそこへ甘酸っぱい切なさが運ばれる。
心にどこか爽やかな風すら感じさせながら。


5本の指で握られる固いこぶしが1つとなる。
青空の下の塀の上に腰掛ける5人の姿を回想しながら、
あの日確かに紡いだ友情がまだ、
この街に儚くゆらめいているのを微かに感じていた。


モンガに散った赤い花が、最後の笑顔に溶けてゆく。



『モンガに散る』:2011年2月1日 三宮シネフェニックスにて鑑賞