№2

日付:2004/1/2

タイトル:キル・ビル | KILL BILL VOL.1

監督・脚本:Quentin Tarantino

劇場名:横浜日劇

パンフレット:あり(\800)

評価:-

 

濱マイク・シリーズの舞台ともなったこちらの映画館に一度足運んでみたく、この日は「ジョゼと虎と魚たち」を観た後に、黄金町に移動しました。

 

横浜日劇


在りし日の横浜日劇(何でも最終日の様子らしいです)

いい写真ないか探していたら、gauchoさんのとても素敵な写真 も見つけました。

 

振り返ってみると、ここ数年映画を観るのはシネコンかミニシアターがほとんど。たまにそうでない映画館に行っても、小奇麗に改装されている中、この映画館は違いました(笑)。

座り心地の悪い椅子に、前の観客の頭が邪魔になる配置(この日は客もまばらで助かりました)。街の雰囲気と相俟って、ガラの悪い客が煙草を吸っていてもおかしくないような、そんな雰囲気(僕が中学生の頃は、福岡では実際にそういう客いました)。いやぁ~、ノスタルジックという感情よりも、なんだか荒んだ気分になるというか、今の恵まれた環境が本当にありがたいと感じました。

 

でもってこの映画、いやはやなんとも、この映画館で観るに相応しいと申しましょうか、破天荒な血飛沫迸るシーンに呆れました。一緒に観たコは、これ1本でタランティーノ監督を見限り、私がVOL.2を観た後にその落差を幾ら説明しても耳を貸してくれませんでした。 

 

2008年9月21日

いつものようにTSUTAYA DISCASにてレンタルしたDVDで再見(届いたの4月だぞ!!!)。

「ジャッキー・ブラウン」、そして本作品を観て思いましたが、割と細かい事には頓着しない監督なのでしょうか。そこはかとないご都合主義的な展開が目に付き、私にとっては鼻に付きます。

 

別に日本刀を機内に持ち込めていようが、昔の香港のように飛行機が東京上空を低空飛行していようが、そんな事は一向に構わない。それがこの作品の世界観なのだから。

 

ただ、例えば2人目に復讐を遂げられる(映画では最初に殺られる)”コッパーヘッド”(ヴィヴィカ・A・フォックス)が拳銃をぶっ放すシーン、完全に”ブラック・マンバ”(ユア・サーマン)の意表をついているにもかかわらず、何故外してしまうのか?

私はこういう作品に於けるリアリズムの創出に、殺し合う過程の駆け引き含めた綿密性、整合性が欠かせないと考えます。この点に於いて、この作品の見所でもある殺し屋同士の一騎打ちのシーンで、こういった安易な”隙”を見せられてしまうとテンション下がります。

 

”コットンマウス”(ルーシー・リュー)を、その一味ごと殺しまくるシーンは、様式美として完成された”殺陣”を見慣れた日本の観客にとっては、その稚拙なチャンバラ劇に退屈してしまいます。

もう一つ、例えば「椿三十郎」にしろ「柳生一族の陰謀」での十兵衛(千葉真一)と小笠原玄信斎(丹波哲郎)の立ち合いにしろ、達人同士の勝負は一瞬で決まるもの。散々手下を殺しまくった後なのだから、尚更ここは日本の剣術における一騎打ちの醍醐味をちゃんと踏襲して欲しかったと言いたい。その辺の美意識を判ってないんだよなぁ。・・・脳みそ食われる猿の如く頭を切り取られるルーシー・リューの姿は、タランティーノ監督の日本映画に対する”リスペクト”とは如何なる部分に対してなのだろうと思ってしまいます。

 

本作品、冒頭に「深作欣二監督へ捧ぐ」とのテロップが出ますが、オマージュとは捧げる側の身勝手な行為なのだと改めて感じました。

 
 
 
 
 
パンフレット
・イントロダクション
・ストーリー
・キャラクター
・クエンティン・タランティーノ監督インタビュー
・ゴミ溜めから生まれた映画 町山智浩(映画評論家)/井口弘史(イラスト)
・インタビュー ユマ・サーマン
・プロダクション・デザイン 種田陽平インタビュー
・キャスト・インタビュー
・キャスト・プロフィール
・コスチューム・デザイン 小川久美子インタビュー
・プロダクション・ノート
・アニメーションについて
・楽曲について
・『キル・ビル』辞典
・スタッフ・プロフィール