ときめきが戻ってきました。 | 日々の暮らしを重ねる

日々の暮らしを重ねる

心の真ん中は、深い森の中にある泉のようで
みつけた!と思ったり、見えなくなったり。
だけど日々の小さな営みの中から見出す
喜びやときめきは深い森の泉のきらめきなのかもしれないな…
などと思う今日この頃。
そんな日々の徒然を重ねてゆきます。

先日読んだ本の中に、こんな言葉がありました。
「日が短くなってくると、毎年こうなの。」

陰が極まる冬至に向かうためか
冬が来るからか
自分の内側を見るためか、
そう言えば秋の深まりとともに、気持ちが重くなるのかもしれません。


気持ちを奮い立たせる時も必要かもしれませんが、
なんだかその気力もなく、ゆっくりしていました。
全く内に籠っていたわけではないのですが、最小エネルギーで。


それでも仕事には行くわけで、
明るくテキパキした人や
どんな人とも、爽やかにお付き合いできる人を見ると、
なんだか自分はいつまでもこどものようだと思ったりもしました。


だけどね
自分の心の深い深い奥にある
私と言う植物に
おひさまが出ない日も
水が少ないときも
しゃんとイキイキしていなさいとは
言いたくなかったのです。

好きなように伸びたい蔓を
あっちに行ってはダメとか
真っ直ぐ伸びなきゃダメとか
そんなのは窮屈だなぁと思ったのです。



人とは
出来るだけ気持ちよく関わりたい。
だけど
人の事ばかりを考えて
気がついたら
自分がひどく不自然な形になっていたら
そんなのは嫌だと思ったのです。


何度も何度も、何度も何度も
同じような事を考えて
最後に選ぶのは
自分の心の内に従うこと。

まるで成長がないかのようだけど、
たぶん前にこの事に会った時よりも
少し深い場所でこの事を感じている。


そんなことをじっと見ていたら
いつからか少しずつ力が出てきて
じっとしていた心が動き始めました。

もうすぐ冬至。
一番夜が長い日を経て
そこから少しずつ日が延びていく。

ここから寒さは増すけれど
白く美しい根を伸ばす球根のように
冬を過ごして行く。

少しずつ
やりたいこと
手にしたいものが見えてきて
それが嬉しい。

ふわふわの針葉樹の葉っぱの絨毯の匂いや
ベランダのパンジーの女の子の香りに
ときめいたり癒される。

それから森に行って
葉の落ちた美しい樹を見上げよう。



そんなときめきを感じながら
ゆっくりゆっくり冬を過ごそう。