小さな私を大切にする | 日々の暮らしを重ねる

日々の暮らしを重ねる

心の真ん中は、深い森の中にある泉のようで
みつけた!と思ったり、見えなくなったり。
だけど日々の小さな営みの中から見出す
喜びやときめきは深い森の泉のきらめきなのかもしれないな…
などと思う今日この頃。
そんな日々の徒然を重ねてゆきます。

最近、よく火傷をします。
小さな火傷ですが、水ぶくれになったり、
ちょっと治るのに時間がかかったりします。

火傷は
「自分の事を責めすぎ」
というサインのこともあるそうです。

インナーチャイルドの存在を知って
自分の感情の動きが、前より感じられるようになりました。

純粋で無垢なインナーチャイルド。
それは誰の心にも住んでいるのだそうです。
いつも一緒にいる小さな私。

その私が感じることを
大人の私は無意識に
責めたり、
叱ったり、
しらんぷりしたり…。
無意識だけど
小さな私は傷つくのですね。

例えば小さな失敗でも
責められたら
とても大きな失敗をしてしまったように感じる。

周りの人達が
おおらかに受け止めてくれても
当の私が、小さな私を責め続けたら、
誰にも許してもらえなかったように感じるのだろう。


知らない間に
たくさん責められて
もう
失敗しないように
もう
叱られないように
どんどん緊張していく私。
それは小さな私でなく、
現実の大人の私がそうなってゆくのです。


みんなが
私を責めているように感じたり、
みんなに私が
ダメなやつと言われている気がしたり、
何でもないことが
全部
自分を否定するものに
感じられてしまう。

そんな悪循環。

「誰も
そんなこと
思っていないよ。」

そう言われても
信頼することが出来ない。

そんな
苦しい気持ち。
持っている人は
いるでしょうか?

ここまでじゃなくても
自分の事を責めてしまうこと
あると思います。

いろんな事が
怖くなって
失敗したくなくて

必要以上に準備を整えようとしたり、
丁寧にしたり、
へりくだったり。

それは
失敗した時のための
保険にもなるから、
言い訳になるから。

全く反対なことが
薄い紙の表裏のように
背中合わせになっている。

それは
苦しいね。


その苦しみが
人への攻撃や
厳しさに
変わってしまうこともある。

それは
もっと苦しい。


だけどね
小さな私を大切にし始めると
かさぶたか
はらりと剥がれるように
少しずつ少しずつ
不安や恐れから
解放されていきます。

小さな私は
心に住む
純粋で無垢な私。
そしてあなた。

過去に戻れなくても
あの時の気持ちを受け入れられたら
小さな私は癒される。

「私はここにいても、いいんだね」
って。

そんなつきあい方を教えてもらって、
日々
小さな私を感じている。
時々忘れて責めてしまう日もある。

でも、
心のモヤモヤや
哀しさを
どこからやって来るのか、
感じられるようになってくる。

「あの時の
あの体験が
私の体をこわばらせるのか」

そう知ることができると
こわばっても
仕方ないよねって思う。


「あの時の失敗は
そこからやって来る
不安によって起きたんだね。」

そう気づくことができる。


何日も
どんより落ち込んでしまうこともある。
責めてしまう日もある。

落ち込みながら
その底へ着くと
絡んだ糸を少しずつほどきだす。

たとえいっぺんに
ほどく事が出来なくても
ほどけた分だけ

小さな私も
大きな私も
自由になっているんだ。