あって いいんだよ | 日々の暮らしを重ねる

日々の暮らしを重ねる

心の真ん中は、深い森の中にある泉のようで
みつけた!と思ったり、見えなくなったり。
だけど日々の小さな営みの中から見出す
喜びやときめきは深い森の泉のきらめきなのかもしれないな…
などと思う今日この頃。
そんな日々の徒然を重ねてゆきます。

晴天の日曜日です。
ダラダラしてます(笑)

↑このダラダラしてます(笑)って、
ダラダラしてダメなヤツじゃんて思い込みですね。

ダラダラしてもいいじゃん~❤って思ったら、元気が湧いてお洗濯しちゃいました。


日々を営んでいると
ハッピーと感じられない事も多々起こります。

分かりやすい事から
複雑な事まで。

その時、私たちは
心に小さな違和感を覚えます。

その違和感がなんなのか、探るのです。

心の中は
たくさんの樹のはえた
蔦の絡まった
森のようなところです。

いろんな経験が樹であるなら
いろんな感情は蔦のように。
喜びも哀しみも
嬉しさも悔しさも
蔦のように。
その経験から
その感情から
それはなんなのか探るのです。

けれど
時々、その森で迷子になってしまうのです。

その経験が
その感情が
恐れを抱かせ
迷わせるのです。

こんな事を感じる自分は
いけないのではないか?
恥ずかしいのではないか?
未熟なのではないか?

恥ずかしいのが嫌で
未熟なのを認めたくなくて

初めに感じた違和感は
なかったことのように扱われてしまう。


そうするうちに
心の森は
鬱蒼とした
迷いの森になってしまう。


ねぇ。
恥ずかしいのはいけないこと?
未熟なのはいけないこと?

最初に感じた違和感の正体が
ほんの小さな
羨ましさや
嫉妬や
妬み
理由のわからないモヤモヤしたものだとして

それは感じてはいけないもの?

心の森は
誰にもひとつずつあって
他の誰も入ることは出来ない場所。

そこで何を感じても
誰にもわからない。

感じるのは自由。

例えば
毒を持つ草やキノコがあるように
毒と
闇と
言われる感情を覚える事があって
何がおかしい?

森の中に
哀しい気持ちの
悔しい気持ちの
妬ましい気持ちの
花が咲いたとしても

その花の毒を
使うのとは違う。

ただ、そこに咲いているのね。

そう知ることで
森に光がさす。

風が吹き
鳥が飛んできて歌うだろう。

もしあなたが
誰かや
何かに遠慮して
感情を覆ってしまっているなら
あなたの中で
好きなだけ怒って
好きなだけ悲しんで
好きなだけ妬んでいいのです。

朝が来て
夜が来るように

ポジティブな思いも
ネガティブな思いも
両方あるんです。

だから
大丈夫。