何をするにも成果を上げるためには
コミュニケーション能力が大事だと言われる。

文字にしても、言葉にしても、音楽、映像にしても
すべては相手に伝わるものとして
機能することで価値が生まれる。

デジタルであっても
アナログであっても
発信した時点で
コミュニケーションが
自ずと生まれる世界

ことにインターネットにおいては
そういう仕組みになっている

ビジネスにおける
コミュニケーション能力として必要な要素は
理論的に話ができるかという
ロジカルシンキングの重要性をよく聞く

要は、相手が理解しやすいように内容を整理して
現状問題解決に向けての思考回路を順序だてて形成し、
その解決案をイメージしやすい形でビジュアル化し
当事者意識を持たせる様に刷り込ませ
その効果とメリット十分に植え付けて
それをやらないことが
さもデメリットしか生まないという形にして
最終的に説得に落とし込むということだ。

手の込んだ優秀な人ほど
この過程は綿密で説得力がある。

断る理由をみつけるのも大変だ。


はっきり言って普段、
私は全く正反対のことをしている。

あえて、というか面倒だからというか、
そんなことする必要性がよくわからないから。

コミュニケーションは手段であって
わざわざ回りくどい説明などしたくない。
等身大で十分。

もちろん相手に伝わるように
わかりやすく説明できることは絶対的に必要。

だけど、そこに、ずば抜けた能力を発揮しようと
言葉巧みに相手を落とし込むことこそが
重要だと思い込んでいる人もいる。

そういう人の話はいつもから回っていて
聞いていても、それもそうですね。
としか言いようがないほど中身が伝わってこない。

心が動かない。

ただの説得事例を見ているような気分になる。


最近わたしが初対面で会う人には
全く力まないで、素のままの自分で
思っていることを丁寧に、丁寧に、
自分の言葉で話すようにしている。

そこにはロジカルなものというよりは
伝わってほしいという想いの方が
強いからなのかもしれない。

よく考えると
伝わってほしいという想いも
特にないかもしれない。

ただただ、感じていることが
そのままうまく外に出てくるように
変な風に変わってしまわないように
注意深く形にしているという方が
近い表現だ。

自分の感じていることを伝えるのに
そんなに相手に対して
圧力や威圧感を提示することもない。

その方が相手も話しやすいし、
相手も本当に感じていることを
ありのままに話してくれる。

きっと、大企業なんかで必要とされる
コミュニケーションスキルとは
全く正反対なんだろう。

彼らの多くは、
肩書きや、どこの大学を出たかとか
年収や、所有物など多くのものに
がんじがらめになっている。

その中に一度入ったら
二度と出てくることは出来ない。
抜け道がない。

その道はとても人の心を疲れさせ、
それでもその競争社会で脱落することは許されないので
決して途中でやめることも出来ない。


+にし続けようなんて思うことない。
+の上塗りには際限がない。

ゼロにして
本当に伝えて行くべきことだけに
花を添えればいい。

そうすればその花は
何よりも美しく価値があるものになる。

みんな、自分の何を引き出せばいいのかがわからないから
だから迷っているんだ。

自分が何を望んでいるかが
わからなくなるような社会を
これ以上作りたくはない。

なのにそれは今の社会の中にはみつからない。

みつからないものは自分で創るしかない。
創ってみるしかない。