(山陰デスティネーションキャンペーン 急行「白兎」篇)。
白兎
( はくと / でも、私たちは しろうさぎ ww )
と、本題に入る前に。。。
なかなか思うように記事の更新がつづいていませんが
それだけ時間がない、そしてなにより体力的にも余裕がないわけで、、、
私、結構( めちゃくちゃww )動いてます
結果、もともと体力なんてないほうなのでwww
身体はボロボロ、いつもぶっ倒れる寸前までいっちゃってます
てなことで、いつもは大体月に1Aしか打っていないところを
思い切って昨日クリニックでお尻に筋注。
前回はちょうど2週間前に1A打ってもらっているので
通常の倍( 2cc * 2本 / 月 )身体に入れたことになり
ここまででなんとか持ち堪えたいところなんだけど。。。
ちなみに、前回は製品にB肝ウィルス感染の可能性が出てきて
しばらくの間投与中止になっていたからその間あいだは開いていました。
では、本題に入りましょうか
さて、前記事の翌々日、私たちは再び静岡県内、
東名、、、ではなく1国のバイパス上に居ました。
( 前回同様高速代ケチって倹約、便乗ではございますが。。。 )
今回目指すのは山陰、鳥取エリア。
しかしながら、今回のこの行程が距離的な面のみならず
半端なく大変で超絶的に体力が奪われました。
私たちが現地に滞在した日は終日土砂降りの雨、
その翌日に猛烈な勢力で列島を縦断した
台風24号の影響がすでに出ていました
そして、台風の影響はおめあての列車にもおよび
翌日設定の復路分はウヤ( 運休 )、
結果、私たちの計画も変更を余儀なくされ
その分の穴埋めとして信州エリアを廻ってきたもんだから
最終的に0泊2日丸々48時間ぶっ通しの行程になりヘロッヘロでした
で、今回は高尾からスタートしてオール下道、
途中休み休み進んでおよそ15時間、ようやく福知山線・谷川に到着。
記憶をちょこっと辿ってみるとww私たちみたいに関東から進んでくると
私の地元の名古屋市内は名四国道( R23バイパス )で通過し
その後三重に入ってからは名阪国道( R25バイパス )を通り
奈良?京都?県内に入ってからはこれまでの大雨の影響が
未だ残っているところもあって山道を大幅迂回、
そんな中なんか目の前の道路上に鹿さんが立っていて
真っ暗な中ライトで照らされたその姿に一同びっくりしながらも
なんとか市街地( 確か六地蔵とかの地名を覚えてる、奈良線だね。 )に出て
その後はしばらく京阪電車と並走して( ちょうどこの頃、土砂降りの中
夜が明け始めあたりが明るくなってきたっけ。 )京都市内に入り
R9に突き当たったところで左折、それに乗って亀岡まで進み
その先で山陰線とはお別れして福知山線沿線を目指したんだったかな。
谷川~柏原
沿線に到着した後は先着部隊の身内軍団メンバーと連絡を取り合って
私たちはまずはこんな感じでアングルを切り取ることにしたんだけど
福知山線も宝塚・尼崎口と違ってずいぶんローカルなイメージなのね。。。
石生~黒井
少し進んで、現在は山陰線の城崎まで電化されているから
ここでもまだ直通の特急電車もやって来るんだね。
上川口~福知山
イソクロのあとはたしか唯一w高速に乗ったんだっけ、
雨はますます酷くなるばかりで露出も全然なかった気がするけど
靴が濡れまくってツルッツルの中脚立に登って必死に構えてからよくわかんない中
これまた必死にシャッターを切った( アンダー目に。 )カットを現像したらなんとか救い上げられたよ。
そして、おめあてを追いながら
私たちも豊岡市内に入り、、、
次カット以降は非電化区間( 城崎~ )をイメージして
城崎の先、竹野方面を目指したんだったかな。
竹野~佐津
城崎から先の鈍行は豊岡発の単行の気動車がメインみたいで
( 途中踏切待ちしているときに通過した上り列車は2連だったけど。。。 )
通信ケーブルはあるけどとりあえず非電化区間のさらにローカルになった中でお見送り。
香住~鎧
そして、香住の鉄橋、当該前に鉄橋を渡って行った
豊岡行き単行気動車( 後追い )の方が雰囲気が出てていい感じかな。
岩美~大岩
そして、ラスト、全然露出がなくって鬼暗な上に当該は結構暴走してきたので
どうなることかと思ったけどとりあえずカンバンもしっかり止めることができてました。
このあと、当初の計画では鳥取で1泊して翌日設定の復路の記録をする予定だったんだけど
冒頭に述べたとおり台風の影響をモロに受けて列車自身が早々にウヤ( 運休 )決定。
そこで、なぜか翌朝長野に到着する「 カシオペア紀行 長野行き 」の記録をすることになって
前夜に続いてオールナイト、しかもまた、基本下道で次の撮影地へ。。。
( つづく )
参考