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18:ローヴァー・グラン【下】



次の日の早朝の清々しい空気の中、僕は研究所に向かった。
誰もいない自然公園はとても澄んでいて、ちらほら妖精が見え隠れする。

研究所の前にはチェチーリエが居て、僕を待っていたようだった。

「おはよう、リノ君」

「……チェチーリエ。博士に言われてきたのか?」

「うん。博士とのお話の時は、外で待っているけどね。誰か居ないと研究所の中に入れないでしょう?」

「………」

チェチーリエはいつもの様な元気の良い様子では無く、どこか落ち着いている。
僕は彼女に案内さgucci バッグ 新作
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れ、昨日訪れた研究所の中の庭に向かった。



「やあ、グラシス君。おはよう」

「おはようございます」

テール博士は、そでにそこに居た。

「よく一人で来れたね。奥方は少し拗ねたのではないかね?」

「い、いえ……ベルルはまだ寝ています。でも、面倒を見てくれている人が居るので……」

人と言うか犬と言うか。マルさんにベルルを任せて来た。

「まあ、座りたまえ。君とは二人で話がしたかったんだ。……妖精の申し子……いや、あのベルルロット様について」

「………様?」

「ああ……」

テール博士は妖精と会話していたその場からスクッと立ち上がると、僕の方を向く。


「彼女はもしかしなくとも、旧魔王の娘だろう?」


テール博士の突然の言葉に、僕は思わず見開いた瞳のまま、瞬きが出来なかった。

「な……なんでそれを……」

言ってしまって、ハッと口を押さえる。

「グラシス君が驚くのも無理は無かろう。でも、私は彼女を見た時から、そうだろうと確信していたんだよ」

「そんな……なぜ……」

僕は混乱していた。それは王宮の秘密ではなかったのか。

「私は彼女の“母”を知っている」

「ベルルの……母?」

「ああ。ベルルロット様はとても“あの人”に似ている。あの人も、妖精たちに愛される妖精女王であった……」

テール博士は、懐から何かを出して、僕の前にコツンと置いた。

「………?」

それは四角い……緑と透明のマーブルな正方形。サイコロサイズ程のガラス細工の様で、美しい。
金色の鎖が取り付けられていて、まるでペンダントの様に施されている。

「何です? これ」

「……それも魔法結晶の一つだ。超貴重なものだがね」

「………超貴重?」

「ああ。綺麗な正立方体をしているだろう。緑色と透明のマーブル。これは魔法結晶鉱山三つにつき、一つ出てくればラッキーと言う程貴重なものだ。そして、この小さなサイコロ程の大きさの中に、約100万もの妖精が息づいていると言われている。すでに役目を終えた妖精たちがね」

「……ひ、100万……!?」

脅威的な数字だ。

「我々妖精学者は、このタイプの魔法結晶を“立方庭(キュービック・ガーデン)”と呼んでいる。この結晶は遥か昔から、歴史上に何度も影響を与えてきた石だ。なぜなら、妖精の申し子は必ずと言っていい程、何かしらのきっかけでこのキュービック・ガーデンを手にしてきたからだ」

「………キュービック・ガーデン……」

僕はその、小さな四角い石が放つ、異様な存在感から視線を逸らす事は出来なかった。
本当に小さな小さな、ただのもの言わぬ石なのに、何故か僕を見ている気がする。ひしひしと、気配を感じるのだ。

「この石の魔力は当然計り知れない程大きい。……だが、私はこの石を君に授けようと思っているのだよ」

「……は!?」

変な声が出てしまった。
僕は石と博士を見比べた。

「言っただろう。その石は……あるべき者の所へ行く運命なのだ。そもそも、それは私のものでは無い」

「で、ではなおさら……っ。いったい誰のものなのです」

「………“あの人”だ。ベルルロット様の、母上……旧魔王の妃だよ」

「…………」

一瞬、頭が真っ白になって、その真っ白のまま目の前の立方体の石を見つめる。
そして、ジワジワと疑問が浮かんできた。

ベルルの母親の……石……?

「いったいなぜ、博士が?」

「それは……聞かないでくれ」

「……そんな。ならば、とても信じられません……」

「………」

僕は落ち着こうと思って、一つ深呼吸をした。
何故こんなに心がざわつくのか、分かっているつもりだ。目の前のキュービック・ガーデンと言う石の魔力のせいだ。

テール博士は少しの間黙っていたが、小さく語り始めた。

「……12年前、その石は私の元にやってきた。ある男が持って来たのだ。……その男は魔王の側近だと言っていた」

「12年前?」

「ああ、そうだ。魔王の討ち取られる、ちょうどその時期だ。“あの人”は、私にこれを託された。添えられていた手紙には、これを将来娘ベルルロットの元にと……。娘を、一番大切にしてくれる人の元に、と書かれていた」

「…………」

テール博士は僕に、その手紙を見せた。
確かにたった一文だけ、そう書かれている。


「君は、ベルルロット様を一番大切に思っている男かね?」


テール博士の、シンプルな問い。
当然、そのつもりだ。彼女は僕の妻である。

「……はい、僕は……彼女を大切に思っています。彼女は僕にとって、大切な妻です」

「………」

テール博士の視線はどこか探る様なもので、僕は何故か緊張した。

「それは、ちゃんと女性として、愛してると言う事かね?」

「………へ?」

女性として愛しているのか?

かつて僕は、一人の女性を心から愛していた。
確かに、その時の燃える様な感情と、何かが違うのかもしれない。

でも今では、もうかつての婚約者の顔が第一に出てくる事は無い。会いたいと思って、一番最初に出てくるのは、ベルルである。


「……ぼ、僕は……ベルルを愛しています……っ」


背中にドッと冷や汗をかきながら、この言葉を口にする。
は、恥ずかしすぎる……っ。

「………」

テール博士はじっと僕を見ていた。やがて妖精たちも、テール博士の視線に興味を持った様で、僕の方をじっと見ている。
何だろう……本人の居ない所で公開告白させられた気分だ。

「……よろしい。君はなかなか誠実そうだし、ベルルロット様も、君の事はとても信用しているようだった。良い関係を築いているんだな……君たちの仲が睦まじければ、きっと“あの人”も安心なさる」

あの人……ベルルの母親……

僕が頭の中で、その人の事を曖昧ながら思い浮かべていたら、テール博士は改めて立方体の石、キュービック・ガーデンを手に取って、僕に手渡そうとした。

「これは、君が持っているべきだ。……君は、ベルルロット様に、いったい何を望むかね?」

「僕は……彼女に……ずっと平穏の中に居て欲しいです。妖精の申し子だと言っても、彼女は幼いうちから色々ありすぎた。もう……優しく穏やかな生活の中で、二人仲良く生きていけたらと……」

「だったらなおさら、これは君が持っているべきだ。彼女を守りたいのなら」

博士は僕の手を取って、その手のひらの上に石を乗せ、握りしめさせる。
石は冷たかったが、それを握った瞬間、世界の色が変わる様な感覚が体を襲った。

大きな魔力が、今、僕の手のひらの中にあるのだ。

「それはベルルロット様の母親の形見だ。“あの人”が、将来ベルルロット様の夫になる君の為に残したものと言って良い。君は今、ベルルロット様の母親から、大切なものを受け取ったんだ。娘を頼むと……」

「………」

娘を頼む。

一瞬、見知らぬ美しい女性が、縋る様に僕の手を取っている様な、不思議なヴィジョンを見た気がする。

ハッとして手を見ると、やはりその手の中には、立方体の美しい石しか無いのだ。

「………」

鼓動が早い。
僕は今、とても大切なものを受け取ったのだ。

僕はその力を、重大なものだとは思うが、重荷には思えなかった。






「旦那様……っ、お帰りなさい……」

ホテルに戻ると、まだ寝巻き姿のベルルがベットの上に転がっていた。
僕が帰ってくると、バッと起き上がってうるうるしている。

マルさんは「私はちゃんと旦那様が出かけているって説明したわよ」と言いたげなつぶらな瞳具合で、その横にちょこんと。
僕はベットに腰を掛け、ベルルの頭を撫でた。

「すまないな……少しだけ、昨日のテール博士と話をしていたんだ」

「……お話? 何の?」

「………大切な話だよ」

「………?」

僕は、先ほど、たった一瞬だけ見たヴィジョンを思い出した。
大人っぽく、髪の色も透ける程薄い金髪だったが、確かにベルルに似た美しい人が、僕の手を強く握って、何かを託したあの瞬間を。

何でだろうか。僕はたまらなく思って、ベルルをゆっくり抱き締めた。
今の複雑な気持ちは、とてもじゃないけど言葉にできない。
ただただ、ベルルを幸せにしたい、大切にしたいと、その思いだけが溢れてくる。

ベルルは僕の様子がおかしい事に気がついたんだろうか。

「旦那様、どうしたの? よしよし………旦那様、よしよし……」

ベルルの小さな手が、僕の髪を撫でる。
それはとても心地が良く、ホッとする。僕は16歳の女の子に、僕の妻に、安心を覚えているのだ。


「ベルル……ずっと、大切にするよ」


小さな声で呟いたその言葉は、彼女に届いただろうか。
僕はただ、ベルルの小さな体を腕に抱き、彼女に知られないうちに一筋涙を流した。

これは、彼女の母との誓いでもある。

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