今年の4月にシルヴァン・カンブルランが常任指揮者となって、

なかなかに賑やかな話題を振り撒く読響 ですけれど、
7月定期でようやくそのシルヴァン・カンブルランの指揮にお目にかかれたのでありました。


読売日本交響楽団 東京芸術劇場マチネシリーズ7月


思ったよりも颯爽とした印象で、後姿のシルエットはモンキー・パンチ描くところの人物、
つまりは足が細くて長い(結局ルパン三世か)…そんな印象を受けたわけでして、
それに違わず指揮ぶりも、そして演奏も颯爽とした感じでありました。


とりわけ、一番最初のベルリオーズ 、序曲「ローマの謝肉祭」は、
きびきび具合がとっても好感の持てるところだったのですね。
メインはムソルグスキーの「展覧会の絵 」で、
オケ一同も新任指揮者の期待に応えようと頑張っているようです。


ところで、そのラヴェル 編曲版の極彩色「展覧会の絵」を聴きながら、
そういえばと思ったのは、「展覧会の絵」にもいろいろなバリエーションがあったよなぁということなんですね。

まずは独奏ピアノによるオリジナル版。
これは、例えばスビャトスラフ・リヒテルのソフィア・ライブに収められた伝説的名演?もありますけれど、
意表をついているのがワレリー・アファナシェフの演奏かと。これは、遅いですよお。


展覧会の絵~ライヴ・イン・ソフ/リヒテル(スビャトスラフ) ムソルグスキー:展覧会の絵/アファナシエフ(ヴァレリー)


アファナシェフ自身が、曲からのインスピレーションで戯曲「展覧会の絵」
(CDのライナーノートに掲載されてます)なんつうのを書いてますから
これに合わせるべき演奏の形なのかもしれませんけれど。
とまれ、ピアノ版はやはり淡彩の趣きではないかと思えますね。


オーケストラ・バージョンでは何と言ってもラヴェルということになりますけれど、
もう一つ忘れてならないのは、ストコフスキーによる編曲でしょうか。



チャイコフスキー:交響曲第5番/組曲「展覧会の絵」/ストコフスキー(レオポルド)


最初のプロムナードが弦楽合奏で荘重に?始まるあたりから、
なんとか独自性を出そうとしているストコフスキーの苦心が伺えます。

(ただ、一緒に入っているチャイコフスキー 5番も好きなようにいじってしまってます…)

さしずめラヴェル版がフォーヴィスム の展覧会だとすれば、ストコフスキー版は新古典派でしょうかね。


クラシック音楽をやさしく大衆に伝える伝道師を自認していた(であろう)ストコフスキーが
あんまり奇を衒った編曲しようはずもないわけでして、
先日バッハ の曲のオケ編曲をエルガーのものとレスピーギ のものを聞きましたけれど、
ストコフスキーが編曲したものがいちばん古典っぽいのかも。

エルガーのが、鳴り物含めて凝ってる(凝りすぎ?)と思えるのは不思議ですが…。


さて、それだけで終わらない「展覧会の絵」には、吹奏楽編曲の全曲版もありますね。
「キエフの大門」とか一部だけなら、よく吹奏楽コンクールにも登場してますけれど、
これは日本人の高橋徹・編曲版でして、吹奏楽のホワホワ感からすると、印象派展かなと思ったり。

(もはや廃盤ですかね…)


Pictures at an Exhibition/Emerson Lake & Palmer 展覧会の絵/冨田勲


さらに異色なところでは、プログレ版「展覧会の絵」。
エマーソン・レイク&パーマーが大胆に挑んだものですが、これはコラージュ を見る思いですね。


そしてもうひとつが、冨田勲 によるシンセサイザー版。
これはもうカートゥーンの原画展、というよりアニメを付けたらぴったりでしょうし、
そうでなくてもアニメが思い浮かんでしまいます。
卵の殻をつけた雛の踊りは、どうしたってトゥイティーとシルベスターの追いかけっこですよね。


とまあ、思いつくままに挙げてみましたけれど、展覧会にはいろんな企画があるわけでして、

それと同じように「展覧会の絵」にもあれこれ楽しみがあるということでしょうかね。