ちらりと垣間見られた方に「ここはウィーンの話しかないわけね…」と思われてしまうとすれば、

それはまた本意にあらずということもありますけれど、

さすがに帰ってきてから2週間も経とうかという頃合いですから、

その間にも、あれこれやってる…ところではあります。


たまたま出かける前に、図書館に貸出予約をしてあった本の順番が回ってきましたので、

読んでみたわけですが、そもそもこんな惹句に釣られたのでありました。

謎解きのだいご味を存分に堪能できる仕掛け、読み手の共感を呼ぶ登場人物、そして予測できない着地点。…本好きの心をくすぐる設定と読む者を夢中にさせる魅力的な作中作、その後に訪れる読後感には、ひと言で語れない、奥深いものがある。

ここまで言われてしまうと、そりゃあこれまでまったく知らない作者のものとて、

気になってしまうものですが、よおく考えてみれば、この文章が載っていたのは

この本の発行元である集英社のPR誌「青春と読書」ではなかったかなと。


つうこたぁ、要するに宣伝文句だったわけで、

よく映画の予告編に「だまされた…」と思う者としては、「またやっちまったか」の思いがあるわけでして。


とまあ、最初から難癖付け気味ですけれど、

この本というのが、米澤穂信さんの「追想五断章」でありました。


追想五断章/米澤 穂信


必ずしも「つまんねえなぁ」ということではないんですね。

上の宣伝文句で褒めすぎ(?)と思える部分を削って残る「謎解き」「仕掛け」「作中作」といった言葉には、

確かに工夫もあるし、苦労もあったろうと。


ただ、これだけそろっても「予測できない着地点」ではなかったというのは、いささか残念なところ。

まずいのは、装丁にある絵(上にもありますが)とそれから序章。

これでもう、「おしまいはおそらく、こうね」となっちゃうわけですね。


作者にとってミステリとは?というインタビューに答えて、作者自身の曰く…

(ミステリは)読者にも勝つ可能性はあるけれど、実際に勝ってしまうと「なんで勝たせるんだ」と作者は怒られてしまう、という奇妙なゲーム。勝てるかもしれないけれど、でも勝たせない。あるいは勝ち目を与えても、それだけではすまされない人の思いなどを用意する。…サプライズだけがミステリではないな、とも思います。

なんか「こいつ、早速、勝っちゃって怒ってるよ」みたいな感じで笑ってしまうところですけれど、

後段に作者が言っているとおり、必ずしもミステリは謎解きばかりではない、

言いかえれば、ミステリ仕立てであっても、普遍的(というかな)な内容を持つ小説は

確かにありますね。


では、本書がどうか…というと、「コナン世代なのかなぁ…」と思ったり。

これで、お分かりいただけるかどうかは人それぞれなので、もっとうまく語るべきですが、

「名探偵コナン」の事件には「そんな理由で殺人事件?!」というものが多々あって、

「人」に共感というか、心の奥底に届く話にはなってないですものね。


もっとも、読み手も「コナン世代」なら問題なしになってしまうかもですが、

それはそれで、現実社会のことを考えても、そら怖ろしいことです。


と、それは余談にしても、本書で扱われる「リドルストーリー」にしても、

提示した謎を放り出せば、リドルストーリーになるわけでもないと思いますから、

少々、策に溺れた感はないでしょうか。


ここまで言っといてなんですが、「だから、読むのは時間の無駄」ということもなくて、

読んでご覧になって「いやあ、面白かったよ」と思えれば結構なことですし、

いまひとつと思えば、かえって「なぜだろう」と考えることが面白いかもしれません。


それにしても、うまく作った話というより、小説らしい小説というか、文学というか、

そういうものを欲した場合は、古典に頼るしかないんでしょうかねえ。

(あ、これは思いが先に進んでしまって、本書はミステリと知ってましたけど…)