懐かしのしょう油ラーメン
昨晩これを作って食べました。
実は、香港でしょう油を買ったついでに、いくつか買ったものがあります。
たとえばこれ、、。
以前、制作失敗談
を記事にしました。あのときメンマを作りたかったのは、懐かしの味、しょう油ラーメンを作りたかったからです。
そこで今回は売っているメンマをトッピングに使い、昭和40年代のしょう油ラーメンを作ることにしました。
まずスープなんですが、いつも手鍋で作ってる、簡単豚肉と顆粒コンソメで作る、、のでは無く、本格的に鶏ガラ、、のようなものからスープを作りました。
これ、わりと簡単に作れるんですよ、、。
話は10年ほど前のことなのですが、時々ラーメンが食べたくなって堪りませんでした、、。いや、インスタントじゃなくって、ラーメン屋さんのラーメンが、、。
そこでふと思い出したのが、まだ存命中だった麺好きの親父です。
小さい頃、記憶の中ではほんの数回ですが、親父は鶏ガラでスープを作り、メンマやチャーシュー、なるとも入った、ラーメン屋で食べるものと同じラーメンを作って、家族に振舞ってくれました。
まだ近所に日本食屋も無く、自分で作るか、、と思い、国際電話で親父に訊いてみたんです。
なんでも、当時、近所のアパートに夜鳴きそばの屋台を営んでいる人がいて、夕方になるとアパートの前に屋台を出し、仕込みをしていたのだそうです。
それを散歩に行くふりを装い、屋台の横で足を止めては観察を繰り返し、作り方をおぼえた、、といことでした。
そこからスープを作るまでの話を聞くと、その先は食卓に自家製ラーメンが並んだ、自分の記憶につながっていきます。
思い起こしてみれば、インスタントラーメンじゃない、ラーメンってご馳走の部類に入りましたからね、、当時は、、。ラーメンがご馳走と言うよりは、外食そのものが贅沢でしたから、、。
で、スープの作り方さえ聞いてしまえば、あとは生ラーメンと作り方同じです。近所のスーパーで日式生麺が売っていたので、それで作れます。
まあ、国際電話でしたので、親父殿が思い出すのに要した時間、、"あ~~"とか"ええ~と、、"なんてのを聞いてる時間を考えると、結構な授業料になりましたけど。
問題は鶏ガラが手に入らなかったんですよ、、。仕方がないから、豚の排骨(あばら骨、リブです)を使ってつくりました。
これが美味かったですね、、。珍しく親父を尊敬しちゃいました。
調子に乗って、でかい寸胴鍋を購入し、工場の職員を自室に招きいれて、振舞ったりしたものです。
さて、それから10年ほど経ったわけですが、今回突然ラーメンをスープから作りたくなったのは、、
これが冷蔵庫で凍っていたんですよ、、。
以前、から揚げを作るときに
、肉を下ろした鶏腿の骨です。
これを鶏ガラの代わりに、スープの出しに使おうと思いました。
作り方は先ず、、
鍋が小さいですが、ジャガイモ、たまねぎ、ニンジンを良く洗い、丸ごと入れます。そして例の骨、、。
ネギの青い部分も入れます。これは臭み取りのため、、のようです。
で、水を張って煮込みます。煮込んでいると屋台の匂いが漂ってきました。
2~3時間煮込むとこんな感じです。
麺も、いつもの紅焼牛肉麺ではつまらないので、日式生麺を買ってきました。
どんぶりには調味料を入れておきます。しょう油、塩、胡椒とごま油、、すべて適量で、、。
麺が煮えたら、熱いスープをどんぶりに入れ、麺を入れます。すばやくトッピングをして出来上がり。
日式のチャーシューが無いので、ハムを切って入れました。懐かしい昭和のしょう油ラーメンです。
鍋が小さいため、スープが少し濁りました、、。
裸電球に照らし出された、赤いのれんを思い出しますね、、。
最近はこういう、しょう油ラーメンが東京ラーメンなんて言われるみたいです。
他の地域でしょう油ラーメンは食べたこと無いですが、確かに東京の下町では、トッピングもきまってこういう感じでした。
時々ラーメン食べ歩きのサイトなんかを見ますが、東京のラーメン屋さんを紹介しても、あまりこういうのは見ないような気がします。
こんな古風なラーメン作っても、競争の激しいラーメン業界、勝ち抜けないでしょうからね、、。
それでも遠く離れた中国で、過去を懐かしんで、こんなラーメンを自分で作って食べる日本人がいます。不思議なものですね、、。