福建炒飯 | らおぱんと呼ばれて

福建炒飯

恒例の昼食に取った出前です。

またしても炒飯、、なんですが、今回のはちょっと変っています。

それゆえ特別な興味を持っていましたので、お米の問題が解決しても食べてみたくなりました。

一言で表すと、餡かけ炒飯です。

今まで食べたことがあるのは、覚えている限り一度だけなんですが、やはり18年ほど前に飲茶のついでに食べました。

一緒に食べた福建戸籍の香港人が言うには、福建省では見たことも無いのだそうです。

これも地名付き料理にありがちの奇妙な話で、日本の広東面や天津丼みたいな話がこちらでもあるようですね。

似たような話で、こちらにはシンガポール炒飯というのがあります。本場の味を楽しみにして、香港人がシンガポールへ行くと、現地にはそんなものが存在しないという事実を知るのだそうです。

福建炒飯を18年前に食べたときは、ガラスの器の中に平らに盛られたご飯があって、その上に器の縁一杯まで、具の入った餡が満たされた状態で出されました。

これだと炒められた飯の状態を見ることが出来ないので、普通のご飯に餡をかけた、おじやのような料理かと思ったものです。

どこが炒飯かと思い、それ以降、食べることはありませんでした。実は炒めた飯の上に餡がかかっている、と知ったのはつい最近のことで、そんな手間がかかったものなら、もう一度食べてみたいと思っていたのです。

出前で取る場合、餡がかかった状態で持ってくるとは考え難いので、どういう詰め方で持ってくるかも、興味があります。

恐らくカレーのように、餡と炒飯の容器を分けて持ってくるのだろうと勝手に予想しました。

その日の出前は、いつものおばさんでは無く、なぜか若いにいちゃんが持って来ました。出前の入った袋もえらく威勢のいい扱いをしてくれます。

そして、期待を裏切ったように、福建炒飯に該当する容器は一つだけでした。

恐る恐る開けてみると、、、。


らおぱんと呼ばれて-福建炒飯

前部方向からの写真。

らおぱんと呼ばれて-福建炒飯2
ホカ弁型発泡容器、、、。う~ん、その手があったか、、、。

しかし、この容器の仕切り、低すぎる様ですね、、餡が炒飯まではみ出しています、、。

おまけに、持ってくるときの扱いがラフすぎたのでしょう、容器の外まで餡まみれでべっとりでした。

こういうときは、さながら弁当食べる飯場のオヤジみたいに、広げた新聞紙が威力を発揮します。

さて、例によって具です。

餡の中には以下の具が入っていました。


らおぱんと呼ばれて-福建炒飯3

一番上に単独で牢名主のように、横たわっている大きいものは、鶏肉、、それも腿肉のようです。

そして真ん中の段、左から、袋ダケ、にんじん、叉焼。

にんじんがすべってしまい、叉焼に寄ってしまいました。この写真が一番ピント合っていたので、仕方が無く使いましたが、餡がかかっていて輪郭がボケてるために、多少のピンボケは気にしても意味無いかもしれません。

最下段、左から、貝柱の干物、セロリ、そして蝦。
貝柱は餡の表面に、糸ミミズのように見えるものです。セロリはえらく大きく切ってますよね、、。

まあ、、あんまり言っちゃいけないことかも知れませんけど、、釣った魚の胃内容物を取り出して並べているようでした、、。だってヌルヌルなんだもの、、。

そのヌルヌルの餡ですが、粘度はこれくらい、、わりとサラッとしています。


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で、炒飯部分は単なる玉子炒飯です。パラっと炒められていて、これだけ単独で食べてもそれなりに美味しいですね。


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さあ、いよいよ具の入った餡を、炒飯にかけます。カレーのように別容器に入っていれば一気にかけられますが、仕切りを隔てて隣りどおしだとレンゲでしゃくって、ちびちびかけるしかないです。



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ちびちび、ちびちび、、、ああめんどくさい、、。

そろそろ良いかな?、、まあ、こんなもんでしょうね。


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なんか残飯みたい、、、。

よく大陸の工場で工員が食べていた、鉄腕飯を思い出しますね、、いまでも食べているところあるのでしょうけど、なぜご飯とおかずを別々に、盛って食べないのか不思議に思ったものです、、。

あるとき工員と並んで食べてみて自分なりに理解が出来たのですが、飯がぼそぼそで、ぶっかけにして汁気を行き渡らせないと食えたものじゃないです、、。

一瞬、そんな懐かしいことを思い出させてくれました。いずれにしろ食欲を二の次に追いやるような外観です。

味は美味しいです。アレだけ具が放り込んであるので、不味いことは無いですね、、。

ただ、食感というものが大事ですから、早い話がもうすこし粘度の高い餡を期待していました。

中華丼や皿うどんにかかっているくらいが理想でしょうか、パラっとした炒飯の上に乗った状態で口に運べるような、、、。

そうでなければ結局、飯に沈んで汁掛けご飯になってしまい、炒飯もおじやのようにふやけてしまいます。

18年の時を経て、そうか、炒飯をおじやみたいにして食べるものだったのか、、と認識を新たにしました。