以前は、クラシックに興味がなかった私でしたが、(まったく、って言っていいくらい)
・・・でも、最近の私は違ってきた。
可能の限り コンサートに出掛けて行って、生の音楽を聴きたいと思うようになってきた。
世間で“名曲”といわれるものは間違いなく素晴らしいはず。
それを知らないで、聴かないで、感動もしないで、通り過ぎてしまっては駄目だ。勿体ない。
・・・と、思うようになったから。
今夜、 日立シビックセンター 音楽ホールにて、
6:30開演
ミハイル・プレトニョフ(指揮)
ロシア・ナショナル管弦楽団 (こちら )
《演奏曲目》
♪チャイコフスキー作曲 バレエ組曲「白鳥の湖」 Op.20(プレトニョフ編纂)
♪チャイコフスキー作曲 「交響曲第4番」 Op.36
今週に入ってからというもの、
LPレコード を、毎日聴いてきました。
去る4月26日 オペラシティでも 同じ「交響曲第4番」を聴いたはず。(こちら )
ところが、 哀しいかな、感想は「オーケストラは重厚で華やかだなぁ・・」くらいだった
やっぱり、予習無し、場あたり的に聴いたのは感動って少ないってことを痛感。
いい音楽を聴いても勿体ないなぁ・・ってことが よく解りました。 反省。
・・・で、 今回は、レコードを繰り返し聴いて、説明書もじっくり読んでみました。
♪「白鳥の湖」は有名なバレエ曲なので、
ファンタジックで、華麗で、美しい音楽を心から楽しみたいと思います。
♪「交響曲第4番」については反省を元に解説書を熟読。
感想からいうと・・・、かなり複雑
この曲を作曲した年は1877年。 37歳の時。
この年はチャイコフスキーにとって波乱の年でした。
この年結婚をしたけれど、奥さんと一緒に暮らしたのは、わずか2ヶ月足らず。
それがチャイコフスキーを強度のノイローゼに追い込み、入水自殺まで謀ったいきさつもあったらしい。
・・・こういう背景があったんだと思うけれど、
天才とか巨匠とか言われる人って、考え方が普通(?)でなく、ものの考え方がずば抜けて飛んでいて、凡人には理解不能。。。
各楽章でチャイコフスキーが表現しようとした意味は以下の通りです。
第1楽章
「宿命」とは、「幸福追及の情熱を妨げる、あの運命の力」(中略)
「甘美でやさしい夢」を見ても、「所詮は夢」であって、「結局、人生とは、つらい現実と、幸福をめぐる束の間の夢とが絶えず交替しているにすぎない。安らぎの停泊地などない」のだ。
第2楽章
「優愁」の表現。つらい思い出、喜ばしい思い出と、遠い昔のいろいろな記憶が甦り、悲しみつつも甘美な気持ちに浸る。
第3楽章
「寝入りばなの脳裡に浮かぶ脈絡のないイメージ」で、「ほろ酔い気分の農民たちの絵がふと思い出され、町の歌が聞こえてくる」
第4楽章
自分に喜びがないのならば、お祭り騒ぎで喜びに浸る民衆の中に足を踏み入れよ。(中略)
「悪いのは自分なのだから、この世は悲しみだらけだなどと言うべきでない。素朴で力強い喜びはある。他人の喜びを喜ぶがいい。とにかく生きていけるのだから」
私自身、書きながらも、???・・・・・
チャイコフスキーの想いは、とっても深~~~い。
コンサートって、ある意味 “一期一会”と思う。
だから今夜は・・・ 耳はそばだて、心は研ぎ澄まして、チャイコフスキーの想いにシカと浸り、
プレトニョフ氏が紡ぎだす美しい『生の音』を、心から楽しんでみるつもり。