嫉妬をかわす達人・保科正之 | 柊の日々是好日

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Rion Hiragi

storyteller : researcher

前回の記事「男の嫉妬だって怖いよ!」で
「江戸時代の保科正之は嫉妬をかわすのが上手だったので、"そのうち書きます"」
と宣言したものの、そのうちと言っているうちは書き忘れる可能性大なので
今日書く事にしました。

保科正之(1611-1673)は、会津藩初代藩主で
何と二代将軍徳川秀忠の浮気相手が産んだ「将軍様の子」です!

でも浮気相手が「側室」ではなく
秀忠の乳母の侍女だったため
正之の存在は当初ごく限られた人しか知りませんでした。

(私が大学時代に放送していた大河ドラマ「徳川葵三代」では
正之の存在がバレた秀忠(西田敏行)が、正妻のお江(岩下志麻)に
「もうつまみ食いなさいますな!!」
とこっぴどく怒られていたのをキョーレツに覚えています 笑 ) 

正之はこのお江の嫉妬を避けるために
武田家の遺臣・保科正光の容姿として育てられ
それは謙虚で優秀な人格者として成長しました。

そして三代将軍家光は、
「忠誠心が高く立派な腹違いの弟」を
非情に重用しました。

絶対的な権力者にかわいがられる部下は
周りからの嫉妬にさらされるので
この状況から考えると
保科正之は幕府の主要メンバー
徳川御三家などから批判ややっかみの対象になります。

しかし、奇跡的に正之には嫉妬の炎から自分を守りました。

どうやっていたのかというと
とにかく「部をわきまえた謙虚さ」の一言に尽きます。

将軍(絶対権力者)の実弟でありながら
「いやいや、私は一家臣ですよ」
という姿勢を終始崩さなかったのです。

例えば、

正之が"菊間縁頬(えんほほ)詰め"という格式の低い席次だった時
正之の出自を知った大名は、正之を上座に座らせようとしましたが
正之はいつもと同じ様に畳廊下の縁側に座ったり

幕閣に参加しても、大老や老中のエリート
(井伊直弼や酒井忠勝など)に対して
少しも
「オレって将軍の弟だぜ?」
という風偉そうに振る舞うことは決してなかったそうです。

普通、将軍の弟となれば
その地位に甘んじるのが凡人の器ですが、正之は奢らなかったのですね。

更に、正之は90才以上の国民には一日につき玄米五合を支給する
「初・国民年金」のような事業をしたり

緊急医療制度や、悪税を廃止したりと
政策面でも手腕を発揮します。

(『保科正之』2006)

また、奢り高ぶらない姿勢と同様
「人によって言う事を変えない・嘘をつかない」
という実直なポリシーも、嫉妬をさけた要因だったようです。

決して臆する事なく
相手と折衝し
それでも尚、嫉妬されずに職責を全うした保科正之。

この生き方から学ぶ事は多そうです!