cawaii!休刊に思う | 知財タイムス

cawaii!休刊に思う

雑誌「Cawaii!」(主婦の友社)の休刊が決定したそうです。
愛読雑誌というわけではないのですが、時代の流れの速さを感じずにはいられません。そして、一抹の寂しさを覚えます。(どちらかといえば、「S Cawaii!」の方が好きですが・・・)
驚くのは、10万部(08年7月~9月、社団法人日本雑誌協会HP)以上の発刊数がありながら、撤退せざるを得ないという厳しさです。この数字を鵜呑みにすることはできませんが、それでも雑誌を継続して発刊し続けていくことがどれだけ大変なのか改めて痛感します。

出版の世界といえば、著作権がビジネスの中心を占めているように思えますが、雑誌(※)に関していえば、著作権は脇役に過ぎません。もちろん、作家やコラムニスト、カメラマンといった人たちとの間では著作権が絡んできますが、動く金額の大きさは、広告料や雑誌の売上高から見れば微々たるものです。
だからといって、雑誌の中には「著作物」があまり含まれていないかというと、そうではありません。むしろ、著作権の宝庫だと言えます。写真の1枚1枚、読者投稿、キャッチコピー・・・「Cawaii!」1冊の中におそらくは何千という著作物が詰まっているのです。
しかし、ファッション雑誌の中の著作物が、発刊後しばらく経った後に利用されることがどれくらいあるでしょうか。極めて稀です。正確な数字はわかりませんが、1パーセントにも到底満たないことでしょう。
著作権が発生するにはしたけれども、それが消滅するまでの50年以上の間、誰にも相手にされず、ひっそりと生き続ける運命なのです。
ここに、著作権の矛盾があると思います。著作権法は、「無方式主義」といって、著作物ができた瞬間に無条件で著作権が発生するとしています。これは日本だけでなく、全世界でほぼ共通したルールです。ところが、この基本的なルールの源となっているベルヌ条約は百年以上前にできたものなのです。つまり、著作物が「大量生産・大量消費」されることなど夢にも思わなかった時代のルールが現在でもそのまま通用しているのです。
著作権がなければ、もっといろいろと有効活用される記事もあることでしょう。その方が雑誌にとっても、著作者や著作権者にとっても、幸せだと思うのです。
無方式主義は著作者を厚く保護しようという考えに基づいて採用されたものです。しかし、無方式主義万歳!と手放しで賛嘆できる時代はとうに終焉しています。無方式主義によって勝手に著作権を与えられたがゆえに、かえって価値あるコンテンツまでもが消えてしまう。そんな現実があるのです。

なにも著作権などなくてもいいと言っているのではありません。創作者の意思によって著作権を選択的に発生させる仕組みや、保護期間の長短を調整する制度があった方が、この時代に合っていると言いたいのです。
著作権法は、文化の発展に寄与することを目的としています。ところが、無方式主義というベルヌの足枷によって、文化の足取りが重くなっているのを感じずにはいられません。
日本が本気で知財立国を目指すなら、世界に向かってルール改革を訴えるべきではないでしょうか。


最後に、タイトルに釣られて、この記事を読んでしまった方。どうもすみません。
世の中にはこんな話題もあるのですよ・・・。さようなら。また、会う日まで。


※ ここでは、世間一般にいう「雑誌」について説明しています。学術雑誌に関しては事情が異なります。