北海道で、小学2年生の少年が、置き去りにされて行方不明になり、ほぼ1週間後に無事に保護された事件は、多くの人に驚きを与えました。

行方不明になってからというもの、メディアでは連日捜索の模様が報道されると同時に、「しつけ」のありかたや、親の姿勢についても様々な論評がなされました。

有名な教育評論家(尾木直樹など)は、山の中に子どもを置き去りにしたことにかなりの反感をもって「あれはしつけではない」と言い切り、保護者の逮捕(虐待による)にまで言及しました。

また、他の評論家は「そもそも私はしつけという言葉が嫌いなのだ」と言って、しつけそのものを否定する発言までが飛び出しました。

そのような報道をみていると、このような評論家たちは、本当に何もわかっていないのだなと、思わざるを得ませんでした。

そしてこのような評論家たちが、日本の教育に関する言論をリードし、ますます日本の教育を悪くしているのだなと感じたのです。

そもそも発端は、家族と一緒に公園に遊びに行って、車や人のいる方に石を投げた、というこの少年の行動に始まったことです。

おそらく、保護者は口頭でも何度も注意をしたのでしょうが、それを聞き入れず、その子がいわゆる「親のいうことを聞かなかった」のだろうと思います。

このようなことは子育てをしていれば、普通の親は日常的に経験していることです。この事件について親がわが子の恐怖心に訴えて、その行動を反省させようとしたことは、通常の親であれば、手段は違えどよくやっていることだろうと思います。

その意味で「今回の親がやった行動は、やりすぎの面もあるかもしれないが、親を責める気にはなれない」という一般的な意見こそが、まさしく教育する側の素直な感想なのです。

尾木ママこと尾木直樹などは「しつけは言葉で説得して言って聞かせなければならない、恐怖心などに訴えることはしつけではない」などと発言していたようですが、全く子どものリアルな現実がわかっていないか、まともに子どもと向き合ったことのない人の発言です。

今の教育の現場の抱える困難は、教師や親が正しいことを言葉で言っても、それが素直に聞き入れられることがないことに起因しているのです。

それは学校では教師の、家庭では父親や母親の権威が、すでにずっと以前の日本の社会の現状とはまるで異なるほどに薄れてしまっていることによるもので、必ずしも教師や保護者の個人的な資質に依存した問題ではないからなのです(もちろん個人的な資質に依存した問題もあります)。

私も一人の親として、この事件の成り行きを毎日いたたまれない気持ちで見守っていました。少年の安否もそうですが、親の気持ちを考えると気が気ではありませんでした。

まだ少年の行方不明状態が続き、保護者が不安と恐怖の中にあるときに、保護者を責め立てるような言論を平気でメディアで吐き出せる評論家たちに非常ないらだちを感じました。

少年は幸いなことに「保護者のしつけの賜物」で、驚異的なサバイバル力を見せて無事に生還しました。

日曜日に家族で公園に行って、外で遊ばせ、一緒に遊ぶような家庭ですから、保護者が本気で子どもを遺棄しようとしたわけでもなかったでしょうし、すぐに戻ったところをみると本気で置き去りにしようとしたわけではなかったことは明白なのですが、保護者を犯罪者扱いするようなメディアや評論家の対応は大きな問題だったと思います。

また「しつけ」という言葉が嫌いなどという無知な言論を吐く評論家は「しつけ」が「躾」、つまり身を美しくするものであるという本当の意味も知らないのでしょう。しつけを否定したら、それは教育の根本を否定することにつながるということさえわからなかったのだろうと思います。

少年が見つかり、親が会見し、謝罪し、子どもが親に「許してあげる」という形でこの事件は終結したのですが、本来ならばまず謝るべきはこの少年だという論調を作り出さなければなりません。

人や車に向かって石を投げることは、他人を傷つけ、場合によっては死に至らしめる可能性のある行為です。これは厳しく戒められなければならないのです。

それがまずなされるべきことであり、親のしつけの部分に焦点をあてすぎて、子どもを被害者にしてしまってはならないのです。

小学2年生であれば、人や車に向かって石を投げることが悪いことであるということはわかるはずです。ですから、まずこの子どもにしっかりとそれを謝罪させた上で、保護者がその行き過ぎを謝るというのが順序です。

日本では、子どもが何かを事件を起こしても、学校長が謝ったり、場合によっては教育委員会が謝ったりします。通常は保護者も表には出てきません。

そうであってはならないと思います。まず謝るべきはその子どもたち自身です。あるいは直接的に保護責任のある保護者が謝るべきです。表に出たりメディアに出て謝罪する必要はありませんが、そのような場をきちんと設定し、謝罪をさせるという形式は絶対に必要なものだと思います。

いつもいつも子どもを被害者にしたり、過度に保護して守ったりする必要はありません。

「ならぬものはならぬ」のですから、それできちんと筋を通さなければなりません。

今回の事件の保護者の方の様子を私なりに想像すると、普段は優しくも必要な時は「身を以て」罰を与えたり、しつけをする親だったのだろうと思います。

この「身を以て」善悪を知るとか、怖さを知るということは非常に重要なことです。

このような保護者の教育があったからこそ、小学2年生でありながら、長期間の孤独や飢え、恐怖や不安に耐えうる力が育っていたのかもしれません。

教育というのは評論家のいうように綺麗な言葉で済まされるものではなく、子どもたちの現実や将来に責任のある保護者や教師が、それこそ「身を以て」行わなければならない業なのです。

そんなこともわからない言論人は、もうメディアに出て欲しくないと心からそう思います。

いつもいつも子どもたちの現実と対峙しているのは、親や教師なのですから。














自分に自信がないという子どもが日本には多いというアンケート結果があります。

確かに日本の子どもたちは「自己イメージ」が低いようで、自信のない子どもたちもたくさんいると思います。

私はそれがどのような理由によるのかに関して、様々な意見や考えがあることは十分に承知していますが、そこに他人との比較や、周りの人間の意見や評価に左右されやすい子どもたちの姿があるのではないかと思うのです。

一方、自分らしく生きることや、自分探しなどと言えば、社会や他人を軽視した独善的な世界に入ってしまう可能性もないわけではありません。

自分らしさを自分勝手と同じ意味に用いれば、そこには多くの不幸が発生してしまうでしょう。

私自身は、自分らしく生きることが、結局は自分も他人(周囲)も幸せにする唯一の道だと思っています。

人間にはそれぞれ個性の違いや考え方の違い、生き方の違いがあります。

その多様性をお互いが発揮していく中に、お互いに多くの学びがあり、お互いの成長のきっかけがあり、一人ではできない大きな仕事を協力して達成する可能性や喜びが広がっているのです。

私は全ての人が自分らしく生きることを究めれば、そこには全ての人が全ての人のために役立ち、幸せに共存する世界が存在する、というイメージを持ち続けています。

しかし、実際は自分らしくない生き方をして、多くの人や社会と不調和を起こし、不幸を生み出し続けている人が後を絶ちません。

自分らしく生きることは、実は非常に難しいことだからです。

しかし、子どものころから、自分らしく生きることはどのようなことなのか、ずっと考えさせる教育をしていきたいものです。最初は周りの人の模倣や真似からスタートして、やがては自分固有の何かをつかむ。

そのような問題意識を持ちながら他人と関わり、様々な出会いや、様々な活動を行っていく中で、自分らしさというものは少しずつ磨き出されてくるのです。

その営みに終わりはないかもしれませんが、それをいかに磨き出していくかということが、実は人間が生まれて、生きていることの意味ではないでしょうか。

それぞれの人が自分らしさの形を究めたときに、それはあたかもジグソーパズルのピースがあるべき場所に収まり、他のピースとともにさらに大きな絵になるように。

人間の個性というものは、まさにそのように作られているのではないかと思うのです。

その意味で、自分らしく生きることは、自分と他人を同時に生かす唯一の道であり、自分らしく生きることが、自分と他人を同時に幸福にする、唯一の方法なのだと思います。

そのような透明感のある自分らしさを手に入れるきっかけを、たくさん与えることが、重要な教育の役割なのだと感じます。

一人一人がそのような本質を持っているということを教えるだけでも、日本の子どもたちはもっと自信を持って生きていくことができるようになるのではないでしょうか。






小学生の時(6年時)に、教室を抜け出し、じっとしていられず、また教師の言うことにも素直に従えない生徒がいました。


大人のやることや、社会の矛盾を信用できないその生徒は当然に授業もまともに出ていないので成績は最低。


通知表では「大変よい」や「よい」などは一つもありませんでした。


学校にも家庭にも、安心できる場所を見出せなかった彼は友達の紹介から近所にある学習塾に通うことになりました。


その塾の講師が様々な人生経験の持ち主で、授業が終わってから、たくさん話をしたい彼の話をただただ聴いてくれました。


授業の時間は50分ほどですが、彼は何時間も塾にいてなかなか帰らず、心配した母親から電話がかかってきたりしたものです。


もちろん時には反論したり、言葉を言い換えたり、議論をしたりもしましたが、彼の話の内容に耳を傾け、それに肯定的評価を与えながら、ただ聴き続けたわけです。


学校の勉強や評価などにも批判的だった彼が、少しづつ勉強し始めたのはその塾に入ってから。


それから中学に上がりましたが、そのまま塾を続けると同時に、塾の講師との会話も続けられました。


よく話を聞いてみると、とても哲学的な会話で、そもそものこの社会の在り方や人間や自然の存在意義のようなものにまで話題が及び、彼が中学1年生にしてすでにかなり高度な抽象的思考のできる人間であることがわかったのです。


抽象的思考は人間の精神の進化の度合いを示すものです。


その優れた思考が、日常の学校生活や家庭生活では十分に満たされず、その表現の場所を探していたのでしょう。


言葉にして他者に理解してもらえただけで、彼の思考は現実への架け橋を手に入れました。


現実の生活がそれからみるみる変わっていき、中学では教室できちんと授業を受け、学校の成績が急激に向上したのです。


このように自分の内的世界と、現実の世界との矛盾や齟齬を抱える生徒は多いものですが、たいていはその話は受け入れられず、いわゆる大人の世界の常識に屈服していきます。


もちろん社会の常識や一般的な考え方を学ぶことはとても大切なことで、これを否定する教育家を私は信用しませんが、ただその世界の論理で子供たちの内的世界を塗りつぶすことが正しいわけでもありません。


この二つの世界に橋渡しをする必要があるのです。


その方法は、ただ「聴くだけ」。


話しているうちに自分の言っていることの矛盾や、自分の普段の行いの矛盾に気がつくことも多いので、自分で話していて、自分で勝手に修正されていくのです。


時々は思いっきり議論したり反論したりしてもいいのです。


その根本には、その子の言っていることを確かに受け止めた、理解した、という土台があるからです。


聴くだけの教育法なんて簡単だと思う人は多いでしょうが、これが一番難しいことに気がついている人は多くはないはずです。


多くの子供たちの問題行動の背後に、親や大人の問題行動(話を正しく聴けないということ)があるのだと私は思います。


そして社会全体に時間がないという時間貧乏がはびこっていることが大きな社会の病理でもあるのです。


少なくとも家庭では「裕福な時間」というものを、子供たちのために創造して欲しいと願っています。






ある保護者と面談していた時のことです。


その保護者が次のようなことを言いました。


「子供が小さい頃は、元気に育ってくれるだけで幸せだったのに、だんだんと他のうちのお子さんとわが子を比べるようになって、もっともっととどんどん欲が出てきてしまい、それを子供に押しつけていることに気づきました」


この保護者のような行動をとる親は非常に多いのではないかと思います。


学力やスポーツ、そして様々な習い事なども、本当に子供たちを伸ばすという目的ではなく、親自身の欲望の実現であることはよくあることです。


子供たちの成長や活躍を自分の幸せと感じるのは当然のことですから、私はそれを否定しようとは思いません。


健康で元気であればという基本的な幸福が満たされれば、さらにもっともっととその成長を望むことは悪いことではないのです。


ただ、そこにしばしばある種のすり替えが起きてきます。


子供が本当は望んでいないこと、子供の成長に結びついているとは思えないことを、親自身の欲求のために子供たちに要求する場合です。


中学受験などでも、親がその学校をとても気に入り、是非わが子をそこに入学させたいと思う気持ちはわかるのですが、何よりもまずその子にとってどうなのか、ということを考えなければなりません。


それは受験だけではなく日頃の子供たちへの接し方でも日常的に表れてくるものです。


子どもを育てたり、教育の仕事をするということは、いつも自分と向き合うということだと言われるのは、そのような理由からなのです。


教育的に関わることは、同時に自分がその対象から教育されることです。


子供たちに対して、もっともっとという気持ちが強くなってきたときに、それに反比例して、子供たちが無欲(無気力)になっていることがないかどうか、よく確認する必要があるでしょう。


子供の成長はその子によって様々です。もちろん一定のレベルを超えられるように努力させなければなりませんが、その子なりの成長を見て、認めてあげられる人の存在は絶対に必要なのです。


親が、自分の様々な欲望や虚栄心、見栄や羞恥心の要素(道具)として子供たちをみていないかどうか。


育てることそのものが、ある種の自己修行であるゆえんです。







中学生の時に、父親を亡くし、それがきっかけで不登校になってしまった生徒がいました。


不登校の後遺症なのか、人と話をするのが上手くなく、か細い声でしゃべる生徒でした。


結局中学校はほとんど行くことができなかったので、高校はある都立高校の定時制の高校に通うことになりました。


そこならなんとか入学できたのです。


そこは工業系の高校だったのですが、本人は高校に通っているうちに、日本史学や日本文学を学びたいと思うようになりました。


今まで、目標や将来の夢もなかったので、ただ漠然と高校に通っているだけでしたが、初めて自分の目標や学びたいことを見つけたのです。


いくつかの大学の文学部に狙いを定めて、高校2年生の冬から猛烈な大学受験の勉強を始めます。


高校では工業系の科目や実技などが多かったので、ほとんど学校の授業は大学受験に役に立ちません。


彼は塾に通うと同時に独学を始めました。


母親は、中学の不登校も高校での生活も、そして今回本人がやりたいという目標も、全てを受け入れていました。


本人がようやく自分なりの目標を見つけたので、一生懸命に働き、塾の費用や受験に関わる費用は絶対に不足のないように準備しました。



不登校の苦しい時代も、そして定時制に通っている時期も、なんとか自分自身で目標を見つけ、自分の力で動き出すまで、母親はただひたすらに何年も待ち続け、ただ見守ったのです。


塾の先生にアドバイスをもらいながら夜に日をついで勉強しましたが、もともと要領がいいわけでもなく、また高校受験の勉強も経験していなかったので、かなりの苦労をしました。


模試の成績も思わしくなく、受験の直前まで必要な全範囲を終わらせることができずに、受験に臨むことになってしまいました。


自分の学びたいことを学べる大学(全て難関校)をいくつも受験しましたが、ことごとく落ちました。


受験が終わっても塾に顔を見せることもなく、全ての試験に不合格になったのだと誰もが思っていたのです。



ある土曜日の夜に、母親と本人が塾に顔を見せました。


母親に促されて受験結果を全て報告してくれましたが、たったひとつだけ合格を勝ち取っていたのです。


塾の先生は震える思いで彼の報告を聞き、安堵のあまりその場に座り込んでしまったほどです。


彼は父親の死、不登校、困難な受験勉強を乗り越えて、自分の道をみつけ、その道を自らの努力で切り開きました。


彼の通う高校から、その大学に現役合格したのは史上初の快挙となりました。


その間の長い期間、母親はただ環境を整えて待ち続けただけですが、その母親の姿勢がなければ、彼に道は開けなかったのではないかと思います。


時間を耐えて、待つことのできない親があまりにも多い昨今、その母親は周囲の人間の中で、一番大きな仕事をしたのです。


何かと自分の子供に対してそれを保護し、干渉し、介入することを愛情だと考える親は多いものです。


しかし、ただただ、待ってあげることが、本人の成長に一番プラスになることがあるのだということを、世の多くの親たちには伝えたいのです。