写真64:水牛もガンジス川で
これは何でしょうね??
水面にたくさん黒いものが。
バラナシ(Varanasi)のガンガー(ガンジス川の事)にて、
水浴びする水牛たちです。
バラナシのガンガーではたくさんの人が沐浴をしますが、
水牛までとは~(笑)。
ヒンディー語で沐浴場の事を「ガート(Ghat または Ghaat)」と言います。
ガートは水際に階段状に造られていて、
そこから水の中へ降りれるようになっています。
インドではガンジス川沿いに限らず、ほかの川や池や湖などにも
水が溜まった場所があれば、必ずと言っていいほどガートがあります。
近くに川などがない場合は人工の池が造られていて、そこにガートがある程。
それほど、ヒンドゥー教徒にとって「沐浴」というのは大切らしい。
しかし川であれ、池であれ、人工の溜め池であれ、
今だかつてきれいな水を見たことはないんですが・・。
(私の価値観から見てですが)
きれいではない、どころか、「ちょっとパス!」って思うくらい汚い・・。
水の色は必ず、泥色か、緑泥色です。
「清流」というものに特別な何かを感じる日本人の私としては
いまいち「私も沐浴しよう!」という気にならないです。
でも、ヒンドゥー教徒にとっては
「清濁すべてを包み込んで流れる母なるガンガー」ですからね。
汚れなきこと、ピュアなことに神聖さを感じる日本人とは
ずいぶん感覚が違うようで、インドに住んでいると
「水」をきっかけに「神聖とは」についてよく考えさせられます。
「すべてを包んで流れる母なるガンガー」なんていうと、
一瞬「うわぁ・・・・なんかいいな~」と思いますが、
全てというのは、あくまでも全てですから、
無数の死体、人や動物の糞尿、ゴミ、あらゆるものです。
バラナシのガンガーの底は、人骨だらけだそうです。
それから死体ですが、焼かずに生で流すのは
妊婦・疫病患者・子供の死体です。
疫病患者は私たちの感覚からすると、
「最も焼却(for 滅菌)せねばならない」死体ではないかと思うんですが・・・。
実際、バラナシでガンガーの連なるガートを散歩していると
人間の死体らしきものが浮いているのが見えます。
人々が沐浴し、洗濯し、歯なんか磨いているすぐそこで。
目の前に古タイヤが浮いていると思ったら牛の膨れた死体だった事もあります。
そんな「聖なる」ガンガーにザッパーンと飛び込み、口に水を含み
「プ~ッ」なんて噴水みたいに吐き出している人を見ると
やはり、「私には無理です・・・」と複雑な気分になりますよ。
でも、インド人にとっては「聖なる」川なんですから。
時々、バラナシなどでは激安の中古サリーが売られているんですが
(破れていたりもする)
誰かが川に浮いている死体から剥がしたサリーっていう場合があるそうな。
「何でもあり」「金にならないものはない」インドですから、
そうやって死体からサリーを剥いでは売って、小銭を得る人もいるんです。
そんなガンガーですが、
近眼的に観察している限りは今書いたとおり、
「ちょっとなぁ・・・・・」とか「解せない、分からないっ」と思うんですが・・、
やはり、朝の沐浴とお祈りの風景や、夕方のプジャ(儀式)を見たり
インドでいろいろな体験をした後に、ある時ふと
バラナシのガンジス川で見た風景を目に浮かべると・・・、
その時
「あぁ、あれは確かに ”母なる” ガンガーだな~」と
なんとなく感覚で分かるんです。
全てを包み込む”母なる”ものというのは、
ちょっと遠くから見た時、ちょっと時間が経た後、
初めて「あぁ、そうだったんだな」と分かるものなのかもしれないですね。
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