とおごです。
これは好みの問題でしょうが、「バトルロワイヤル」小説、映画、ともにあっさり過ぎるな、と思うことがあります。
両者の共通点からはじめます。まず、一種の拉致監禁物、SM小説の王道のひとつ。さらにサスペンスの王道でもある。
が、その根拠が、贅沢を言うと物足りないです。ある種の全体主義国家の法律に基づく。それがもうひとつほしい。ひとつは、もっとばかばかしいことで惨殺されるという方向、もうひとつは、何でそうなるか誰も理解していない状況で殺し合いをさせられる。
前者では「鬼畜大宴会」という名作があります。なんだかよく分からない新左翼らしい集団が、リーダーの逮捕で方向を見失い、大リンチ大会にいたるという、浅間山山荘事件を彷彿とさせる構造。それがすばらしいのは、どこにでもある文化住宅、ご町内で行われるという点。日常での大虐殺大会は、筒井康隆の「三丁目が戦争です」(後に永井豪がコミックにしています。幼馴染の美少女の引きちぎられた手が振ってくるシーン、いまだに覚えてます)団地と一戸建てとの些細な争いが、全面戦争になる。永井豪も「ハレンチ学園第一部」で、教育団体とハレンチ学園との死闘を描き、小学一年生が素直に先生の言いつけどおり突撃をして、機関銃の弾丸に踊らさればらばらになるシーンを描いてます。デビルマンの、シレーヌ合体、首狩りなどとともに名シーンです。
今回お勧めしたDVD[すべての犬は天国に行く」はその流れを含みます。
同時にもうひとつの流れも含んでおり、殺し合いにいたるさまが、さらにばかばかしく、不気味になってます。

先を急ぎました。もうひとつは「ワタリ」白戸三平のコミックです。その中で出る、死のおきて。
これは凄い、違反したら殺されるのは分かるとして、死のおきての内容を知ったら殺される。死のおきてに近づいても殺される。命令を下す上忍も中忍も中身を知らない。
実はこれがサスペンスを、長時間演じる秘訣が隠されてます、が、ここでは触れません。
よく分からないことが3年前にあり、男は皆殺し、女は強姦されたり、
しかしその後、女は、男が生きている振りを村を上げて行う。その理由を知ろうとすれば破滅する。
さらに、それとは無関係に殺人が起きる。

もともと劇団健康でお笑いと、父の死や金属バット殺人事件、朝日新聞社社員射殺事件とギャグとを等価にあつかい、、お笑いだけでも主義主張や心情に迫る演劇では零れ落ちる部分を救い上げてきた劇団。
その、支離滅裂なようで、でも法律や道徳などと違う次元で異様な世界が、そこで生活し続ける人の異様さが見えてくる。

お笑いが、コメディが一瞬にして怪談になる。数秒~数十秒で崩れお笑いになる、ファンタジーになるが、そこの流れは続き、瞬時に怪談がちらほら見える。なので最後のヨカナンの首状態が、怖いがでも心地よいという状況を作り出します。
犬山犬子は大好きな女優です。「カラフルメリイ」のころもよかったですが「牛の人」1984年ごろ、政権交代の夢があふれていた時代ならではのギャグですが、ラーメンズ(すみません、舞台で見たことはないです)の台本をはるかに超えた、ぶっ飛んでかつスタイリッシュな笑いを連発してました。劇という枠組みを最大に生かして、その後の「フローズンビーチ」初演、凶暴で、殺人をしないと落ちちけない凄腕のヒーラーという役見事でした。「温室」「労働者M」など地味な役をしても、じわりとしのびよるものがある。
怖さとは何か、よく知る劇団であり、それも武器にする女優。素敵です。