私は大学時代、第2外国語としてフランス語を取りましたが、その後留学先はドイツ語圏に行ってしまったため、フランス語は全く出来ません。
しかし、フランス語やその後勉強したオランダ語の持つリズムや音には、大変惹かれます。
言葉はその民族の文化ですから、ヨーロッパ音楽を主流に弾いたり教えたりしているわけですから、その民族の間で生じた言語と音楽の関連性を感じることがしばしばあります。
特に、私は大学時代よりピアノ以上にオペラや声楽曲に慣れ親しんできましたので、意味はわからずとも、その言葉の響きの持つ香りとでもいいましょうか、そのようなことに触れることにより、少しでも、その音楽そのものが持つメッセージを理解するうえでプラスに作用しているように思います。
しかし、私が思うに、あくまでも音楽は音楽です。確かにドイツ歌曲の世界のように言葉の持つ重要性というものを否定できない一面もあります。例えば、ディートリッヒ・フィッシャー=ディースカウのように、言葉の持つ意味合いを重要に捉え、ある意味では音楽そのものよりも言葉を優先的に考え歌う歌手もいますが、やはり先ほども申したように、音楽は音楽なのです。
その曲の歌詞の意味を知ることは重要ですが、実際に作品を聴くときには、歌詞を聴く、言葉そのものを聴くのではなく、音楽そのものを聴くべきだと考えております。
クラシックの場合、発声が他のジャンルの歌とは全く違いますよね。マイクがなくても大きな劇場で声が聴こえるように発声をします。これは、ピアノの音と同じであり、一般的な奏法で弾く音は基音が目立ってしまうので、例えて言うならば、地声でオペラのアリアを歌っているのに対して、ロシアピアニズムの奏法で弾く音は基音を含んで倍音を響かせるのですから、「ピアノのベルカント」と呼ばれるようにオペラの発声に似ている音で歌わせるのです。
倍音で奏する、歌われる響きというものが、広い会場でも届くのであり、その倍音が豊かなために、面白い現象が起きます。
広い会場で聴いている聴衆は、響きに包まれるために心地よさを覚えるはずですが、基音が目立たなくなるために、歌の場合、言葉そのものが聴こえなくなり、歌声のみが聴こえてくるということになります。それにより、言葉を聴かずに、純粋に音楽として聴くことになるわけです。
これは、私のフランス人の友人が言っておりましたが、フランス人にもかかわらず、オペラの発声でフランス語を歌われると、何を言っているのかは聞きとれないそうです。
私たち日本人にとって、ドイツ語やフランス語は母国語ではありませんから、なお一層聞きとれないわけです。どうせわからない言葉なのですから、純粋に音楽を聴く、歌詞を聴いたり、意味を考えながら聴くことは、何か聴き方として間違っているように思うのです。
ですから、私自身、日本のポップスの歌を聴く時でさえも、歌詞は聴きません。歌詞など聴いていたら、音楽が聴こえなくなってしまうのです。それよりも音楽そのものを聴いて、音楽の持つ力、メッセージを聴くようにしています。
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