2011年を振り返る。 | (´・ω・`)ショボーン ときどき (`・ω・´)シャキーン

2011年を振り返る。

今年は色々と本気で考えさせられた一年であり、来年に引きずりたくないので書いておこうと思う。

なぜSankandoを離れてシフォンを新たに立ち上げることになったか、
またM2に対してどう思っているか、疑問に思っていた人もいるかもしれない。

もともと、子供の頃から人を楽しませることが好きだった。
小学生は工作、中学はプログラム、高校で映像。
自分の作ったエンターテインメントを人に楽しんでもらうことが好きで、
ずっとそれを仕事にしたいと思っていた。

一度、新卒正社員でプログラマーにはなったものの、金融関連のシステム運用という、娯楽と無縁の仕事に不満が貯まり、やりたいと思うことをやろうと、
当時ハマっていたオンラインゲームのGM求人を見つけて、株式会社ガイアックスにアルバイトとして就職した。
そこで出会ったのがM2だった。

オンラインゲームが流行り始めたばかりの2004年。
運営として確立されたノウハウもなく、ほとんどが手探りが多かった。
自分が入ったガイアックスもオンラインゲームが初めてでまだノウハウがない。
その代わり、提案できる環境を会社が与えてくれていたので、
自分がユーザーならこういう運営をしてほしい
という観点で、できることは何でも挑戦した。

M2が正式サービスに入るころには、契約社員に昇格。
当時、M2は台湾で開発されていたが、日本で正式サービスを迎えた頃には本家台湾でのサービスが終了。
本国での開発が終了したと同時に、日本向けの開発も大きく縮小された。
開発をする手が確保できなければ、不具合の改善やアップデートができなくなる。
日本サービスに対するサポートも薄くなり、アップデートも進まなくなった。
それでもある程度の権限や工数を日本側で引き取る交渉をし続け、一定のイベントのみは日本側でできるようにし、サービスの存続をはかった。
ただ、この運営方法も、開発会社や運営会社のそれぞれの事情があり、
一平社員GMである自分が、雇用されている会社に現実的な選択肢として提案できる中で最善と考えたというだけで、直らない不具合を抱えている状態でプレイしている
M2のお客さんや、もともとオンラインゲームを遊んでいた一ユーザーでもあった自分の感覚からすると大きな不満や不安の残る状態のままでの運営になった。
最初に思っていた、楽しめるサービスを提供して、人に喜んでもらうというレベルからは程遠い状態になってしまったが、できることを続けていった。

2005年から2006年にかけて日本でのパンヤや韓国ネクソンのカートライダーの盛り上がりを受けて、オンラインゲーム業界内でカジュアルゲームブームがあった。
「ちょっとした時間で遊べるオンラインゲームを」
そして、「どこよりも早く」とその手のゲームを買ったり作ったりする運営会社が増えた時期だった。

カジュアルだから売れるのではなく、面白く続ける理由があるからこそゲームが遊ばれる。
折角ゲーマーが多い現場であっても、そういう意見は上層部まで届かないことが多く、自分がいたガイアックスでも、十分な検討や準備がないままで、新規事業への投資があった。
しかし、「流れに乗った」だけの事業というものは成功せず、結果として多額の資金をカジュアルゲーム運営につぎ込んだが、安定した運営ができる状況にはならず、オンラインゲーム事業を別の企業へ売却され、別企業の子会社になることとなった。

オンラインゲーム事業が売却され、自分が所属していた部署がそのままUTDという会社になったため、GMリーダーのようなポジションから肩書きが部長になったが、肩書きは変わってもやることは大きく変わらなかった。
負債を抱えたまま事業譲渡により設立された会社だったので、とても安定した事業基盤がある状態で再スタートができる状態ではなかった。
その後のUTDの状況は、買った親会社がどう料理するかにかかっていたが、1年経たずに清算の判断が下された。
M2とストーンエイジは、当時は何とか採算が取れる状況だったが、ストーンエイジはライセンサーだったデジパークが引き上げ、M2はサービスを終了することになってしまった。

所属部署、会社の人の入れ替わりが多い中、サービス立ち上げから運営移管、終了まで残っていたのは自分一人。
自分が長くかかわってきたタイトルから離れるということが考えられなかったが、それでも会社の清算の決定がされてしまっては、自分ではどうしようもない。
どれだけ自分なりにお客さんに遊んでもらえるようにタイトルのことを考えて運営しようとしても、一社員では、会社の決定を覆すことができない。
この時は、経営に対する発言権が無いことが悔しくて仕方がなかった。

その後、ガイアックス時の同僚から声がかかりケイブへ就職することとなる。
女神転生IMAGINEのWEBプロモーション周りを担当。
内容としては広告、プロモーション、WEBコンテンツの改修、チャネリング企業との折衝等。
やはりここでも、雇用されている範囲では比較的自由にできる場所ではあったが、マネージャーに昇格した後、コマース事業への異動のため、一時オンラインゲームを離れることになった。
会社からの指示内容はコマース事業の健全化だった。
元々コストを抑えた事業運営というのは普段の生活や前職でコストをかけられない中からの経験もあったので、徹底したコストカット等により短期での健全化を達成した。
最終的にはこれも経営判断により事業譲渡となったが、異業種でもまずまずの成果があったことは自分の自信になっている。

その後、コマース事業の健全化は達成していったものの、会社の方針と自分の考え方の違いからケイブを離脱。
ケイブでも、世の中一般で雇用されている社員のレベルから見れば裁量権を与えられて自由にやらせてもらえていたほうではあったとは思うが、それでも仕事の進め方などで、本来サービスや現場の状況を見てそうすべきではないのに、会社の経営レベルの意向が優先されてしまうことが悔しかった。

その頃から起業も考えつつ、退職後に少し休みつつ次を模索していたころ、ケイブで知り合っていた太田氏、寺本氏より連絡を受け、オンラインゲーム事業をやりたいから力を貸して欲しいと言われた。内容はこうだった。
 ・既に終了もしくは終了検討されているオンラインゲームを引きとって
  低コストで運営する。
 ・大当たりは無いが、欲を出さなければ堅く成功率の高いビジネスができる。
 ・上場は目指さず、企業理念に則った確実なビジネスをやりたい。
 ・経営として参画してほしい。

力及ばず目の前で自分の関わっていたタイトルが終了し、経営に直接関わりたかった自分としては思いも寄らない非常に魅力的な提案だった。
コストをかけない堅実な運営、経営なら自信がある。
ケイブで2人とはほとんど一緒に仕事したことがなかったが、その考え方に共感し、
Sankandoという会社を、この3人で開始することとなった。

M2の経緯や想いを話したところ、ぜひやって欲しいと言われた。
M2終了後もInterservの担当者とはよく連絡を取っていたこともあり、すぐに台湾に飛んで交渉。
自分が信頼している仲間にも声をかけて集め、立ち上げに向けたチームも作った。
既に開発が終了してしまっていたため、ガイアックス時と違い開発権も引き取る方向で進め、交渉に半年程度かかったが契約を締結、サービス準備中である旨を発表するに至った。

しかし、同時にSankandoの方針が変わり始めていた。
新規タイトルの獲得、上場への路線変更。投資ファンドからの出資検討。
自分が参画を決めた時に聞いた方針と大きく違っている。

もともとのSankandoの事業内容であれば、投資は入れず、自分たちで賄える範囲の最小限のコストで、一度運営終了した、あるいは過去何らかの運営実績がある
「事業規模の予測のできる」タイトルを手堅く運営していくことで、爆発的な売り上げにはならないにしろ、安定した事業が続けられるはずだった。

しかし、投資会社が入れば、ゲームサービスとしての健全性はさておき、必然的に上場か株の売却を短期で目指すことになるため、当然売り上げ目標なども厳しく管理されることとなる。
もちろん、サービスを続けていくためには黒字にできるだけの売り上げは必要だが、売り上げだけに走ってしまうと、そのせいでサービスが短命に終わることもある。
地盤がない状態でタイトルを短期で増やせば、工数も分散しサービス品質も劣化する。
そういうサービスをいくつも見てきた。

また、リバースより多くの売り上げを狙うためには、日本市場に今までなかった新規のオンラインゲームの投入なども検討せざるをえない。
新規タイトルにお客さんを呼ぶためには、その規模に応じた広告に多額の費用が必要になる。
また、タイトルそのものの運営権の獲得のためには、リバース事業でやっているほかのタイトルと比べ物にならない大きな金額を最初に頭金として用意しなくてはいけない。

単純に新しいものがダメなのではなく、会社の器よりもリスクが大きくなってしまうということが問題であり、身の丈にあっているかどうかが重要。
自分としては、Sankandoを立ち上げた直後でM2もサービス開始には至っておらず、これらの状況に会社が資金的にも事業基盤的にも耐えられない状態で、この経営方針の変更には賛同できなかった。
そもそも、そういうことをしないというコンセプトだったから参画を決めたのだ。

そして、経営には参画しているものの、太田氏、寺本氏と対立すると2:1で、立場も一番下。この状況では異議があっても多数決で意見が通らない。
会社法で取締役会設置会社は取締役3人以下では勝手な離脱もできない。
この時、Sankandoの経営判断そのものが良いか悪いかというのは別として、ただの取締役というだけでは、会社の方向性を決めるまでの力が無いこと、会社法という法によるルール上の問題を痛感することになった。

M2は発表され、自分の決定で人も雇ってしまっている。サービスに対しても、雇用している人間に対しても責任があるので、会社法以前に、辞めるという選択肢はない。
経営判断に対しての意見、主張は当然続けるが、少なくとも自分の責任ある範囲は何とかしようと考え、実務部分で対応できることは進めていった。

そして今年。
省コストで運営するリバース事業という堅実なビジネスモデルの会社だったはずが、これらの状況の積み重ねによって、1億以上の投資も消費し尽くし、資金難を迎えることとなった。
8月下旬。会長から呼び出され、会社を続けるかどうするか明日までに決めてくれと言われた。
従業員の大規模リストラは決まっている。

辞任するかどうするかを悩みもしたが、Sankandoに残ったとしても立場上発言力もなければ、人がいなくなってしまっては状況を改善できるあてもない。
その時点での取締役は社外入れて5名。取締役が事業縮小によりまた3名になれば辞任もできなくなる。社員であればそういう制限もないが、役員は違う。
株主とはいえ持株比率は数%。株主の権利を利用したとしても、株主総会での発言権も薄い。
また自分の関わったサービスから離れなければならない状況が辛い。
でも、先のことを考えるとそこで抜けるという判断をするしかなかった。

ほとんどの同僚がリストラされてしまう中で、タイトル譲渡の可能性があり、残ることを決めた同僚がいた。そのタイトルの譲渡自体にも苦労しつつ、できる限り以上のことはやってくれていたが、やはり社員であり、会社の決定が優先されるため、サービスの方向性を決めることはできなかった。
それでも、M2を残していくことになった自分に対し、できる範囲のことはやってみます。という言葉をかけてくれたのが嬉しかった。

自分としてはオンラインゲーム業界に身を置いて8年目となる今年、過去に見た
自分がかかわっていたサービスに力及ばず、会社側の事情で終了していくという光景を再び見ることになった。

オンラインゲームのサービスもいつかは何かの事情で終了するとしても、Sankandoがスタート時の経営方針であれば、本来こういう形でのサービス終了はなかったと思うと、以前の終了の時よりもより悔しかった。

M2については2度目の終了を迎えることになってしまい、自分の力が及ばなかったことにも原因があり、楽しんでくれていた皆さんに本当に申し訳なくて辛い。
それでも、先日Interservより日本での再展開を検討しているというプレスリリースもあり、M2が大好きな一人として少し安心し、これからに期待している。

自分のほうは、Sankando離脱後、縁もあってすぐに仕事もいただくことができ、同僚数名とシフォンを起業することになった。
自分で起業するということは、その会社の方向性を同じ方向を向いている仲間とともに決められる。オンラインゲーム業界にアルバイトとして入り、リーダー、マネージャー、部長、取締役と経験し、それでも自分たちの想いで会社を動かせなかった。
だから、自分の中では代表取締役という選択以外なかった。

自分がかかわったタイトルを存命させることができず、お客さんからの信頼を失ってしまったり、雇用した仲間がリストラされたり、非常に辛い年であったと同時に、再スタートを切ることができたという面もあり、非常に前向きになれる年になった。
退職した仲間とも連絡を取り、それぞれ無事に就職が決まったと連絡を受けホッとした。

他人が持つ、経営に対する考え方が自分と違うこと自体は仕方のないこと。
ただ、自分の考えを議論する余地がなかったり、その議論の結果を反映できない会社に対してすべての責任を持つことはできない。
今のシフォンのスタート自体は無難な滑り出しだが、今後いろいろな判断を迫られることもあるだろうし、今のメンバーとも意見をぶつけあったりすることも出てくるだろう。
それでも、そこも含めて信頼してくれて今一緒にやってくれている仲間にはすごく感謝しているし、同じ方向を向いていければ困難があっても乗り越えていけると思う。

一緒にやってくれる仲間のため、お客さんのため、
自分が育ってきたこの業界のために来年は頑張っていきたいと思う。
そして、自分が本当にやりたかった、人に楽しんでもらう、人に喜んでもらえるという仕事をしていきたいと思う。

まだコーポレートサイトに発表できていない事業も現在、仕込みをしているので、
焦らず確実に進めていきたい。