4年前の今日、2013年2月6日は朝から雪が降っていました。

その日は私がガンの手術を受ける日でした。


お腹を開いてみなければ、どの臓器を切除するか分からないと言われていて、

卵巣だけになるのか、卵巣と子宮の両方になるか、リンパ節も取るのか、

その辺の事は手術の経過を見ながら、その都度先生が主人に説明をし、主人の判断で同意書にサインをする事になっていました。

私は手術が終わって目覚めてから、全ての結果を知る事になっていました。


私達夫婦はその頃ちょうど、子供を授かりたいと切望していました。

だから私は、卵巣を一つだけなら持っていかれても仕方がないと思っていました。

どうか、他の臓器を持っていかないで!と手術前から強く願っていました。


手術時間は5時間半位だったと後から聞かされました。

術後の痛みは半端なくて、麻酔が覚めてからずっと一睡も眠る事が出来ませんでした。

これまでに沢山の手術を受けてきましたが、一番最初に受けたこの時の痛みが一番強烈だったと思っています。


手術を無事に終え、痛みもピークを過ぎた頃、私は手術の結果どの臓器を取ったのか、

知りたくて、知りたくて仕方ありませんでした。

だけど、本当に知りたい事ほど聞くのが怖くて、家族の顔色をうかがったり、タイミングを見計らいながら、

家族の誰かが私にとって嬉しい情報をもちかけてくれる事を期待していました。

でも、誰も手術の結果について触れてくれなかったんです。

私から聞かない限り、沈黙がずっと保たれたままなのではないかと思うくらい、誰もその事について話をしようとしませんでした。

だから、、、

やっぱり、子供を授かる事が出来ない最悪な結果になったんだろうなって、心のどこかでは思っていました。


思い切って母に「ねぇ、どうだったの?」って、聞いてみたんです。

この時、主語や目的語はなく、言葉をきちんと形にして聞く事がとても怖かったのを覚えています。

でも、母の顔色は一瞬にして変わりました。

そして、一瞬見えた母の顔色で私は全てを理解しました。


「シキュウと…ランソウを…取ったのよ。」

機械が喋っているみたいに、変なリズムの言葉に聞こえました。

私は「あぁ、やっぱり…、やっぱり…」と、一生懸命冷静に受け取ろうとした瞬間、

涙が急激に流れてきて、その涙をしばらく止める事が出来ませんでした。


私は術後2週間、S病院でお世話になりました。

私はこの間、自分の体の傷や痛みよりも、子供を授かる事が出来なくなった現実に絶望していました。

でも、、、

術後の病理の結果によって、この後もっと「絶望的な事」が知らされました。

一番最初のブログ「腹膜膜種 ~闘病 今日まで~」で、その「絶望的な事」から描かれ、始まっています。


次回は手術の時の事について、もう少し書きたい事があります。




今まさに、手術に臨んでいる方、(抗がん剤)治療を受けている方、副作用が辛く悩んでいる方、術後の体調が優れない方、、、

様々な状況の中で、沢山の方々が病気と向き合い闘っているという事を、

私はブログを始めてから今まで以上に感じるようになりました。


ブログを始めてから、改めて自分の病気と深く向き合い、健康を意識するようにもなりました。


私のブログを読んでくださっている皆さんが私を応援してくださっているように、私も皆さんを応援したいです。

その気持ちが毎日、どんどん大きくなっています。

どうか、想いが届き、叶いますように。