2015年(昨年)7月に救急車で運ばれ、その後病院を退院してから、
不思議と嘔吐の時間が少なくなり、私は穏やかに過ごせる時間が増えていきました。
食事を再びチャレンジし始めた9月、外出の練習も試みるようになりました。
再び感じる外の世界は、私にとってワクワクする、とても輝かしい景色でした。
主人のお休みの土日を利用して、主人が実家に来てくれて、車でドライブに連れ出してくれました。
私は必ず、エチケット袋とマスクとタオルと飲み物を持って出掛けました。
一番最初の外出は、実家から車で2、3分のところにあるホームセンターでした。
外出の練習初日は、ホームセンターに到着するまでのほんの2、3分の間に気分が悪くなり、
ホームセンターの駐車場で、持参していたエチケット袋に吐いてしまいました。
結局、嘔吐が止まらず、ホームセンターの中には入らずに、嘔吐が落ち着いてからUターンして実家に戻りました。
そして、実家の自分の部屋まで、両手と両足の4本を使って2階へ上がったのを覚えています。
疲れたのと、気分が悪くなったのが重なった為か、息切れがひどくて、そのままお布団に倒れ込みました。
翌週、それでもまたワクワクして出掛けました。
次は、実家から車で2、3分のところにあるスーパーに連れていってもらいました。
これより以前、病院帰りにも1度他のスーパーに立ち寄った事があったのですが、お店の入り口で焼き芋を焼いている臭いで嘔吐が始まり、
その時も結局スーパーの中には入れずに、車の中でエチケット袋を抱えて吐いてしまった経験がありました。
スーパーへのお買い物はその時以来でした。
入り口を突破して、果物やお野菜、お菓子などを見ていると、ものすごく興奮し、心が弾みました。
しかし、かごを持って商品を見ている途中、やはり気分が悪くなり、1度スーパーの外に出て、持参していたエチケット袋に吐きました。
そして、しばらく吐いてからまた店内に戻り、買い物を続けました。
久しぶりに見るスーパーの商品が物珍しくて、まるで「浦島太郎」になったような気分でした。
商品を「見て」、「選び」、「買う」と言う、ただそれだけの事なのに、
興奮がおさまらず、私はその時、「あと2、3時間ここにいたいな」と言ったのを覚えています。
その後も毎週、実家から近場の色々な所へ 連れていってもらいました。
初めは往復5分の外出から、少しずつ外出時間と距離が増えていきました。
私が外出から帰宅すると、いつも母が「今日はどこに行ってきたの?」と目を輝かせて聞いてきました。
私は子供に戻ったような気分でしたが、外出先での事を母に語れる事がとても嬉しかったです。
私はこうして今日までの約1年の間に、主人に車で連れていってもらうだけでなく、
平日も母と近所を自分の足で散歩するようになりました。
実家近くの坂道を初めて散歩した時は、抗がん剤の副作用で、重たく、痺れている足が上がらなくて、
ものすごいエネルギーを使い、息切れが激しく、2、3歩歩いては立ち止まり、何度も何度も休みました。
そしてその時も、坂の途中で嘔吐したのを覚えています。
あれから1年が経過します。
私は今年、何度「幸せ~」と言う言葉を使ったでしょうか。
「幸せ」なことが、こんなにも日常生活の中に溢れているとは、この病気をしなければきっと気付かなかった事だと思います。
幸せを感じるハードルが下がったと言えばそれまでですが、それはそれでとても幸せな事なのだと思いました。
師走(12月)に入り、数年ぶりに年末の慌ただしさを感じながら生活しております。
要領もとても悪いのですが、抗がん剤の副作用が残っている事によって、以前のような動きは出来なくなりました。
手足のしびれがひどいので、お料理も、食器洗いも、お掃除も、移動も、、、何をするにもスローペースになりました。
でも、鼻歌をうたいながらお料理をしたり、お洗濯をしたり、お掃除をしたり、以前より確実に家事を楽しんでやっております。
最近、ブログの投稿ペースも遅くなってしまい、すみません。
昨年までは味わえなかった世間の慌ただしい師走の空気を感じながら(それがとても嬉しくて)、
不器用で欲張りな私は、昨年まで出来なかった沢山の事にチャレンジしています。
「今年中にやりたい事」のリストを作り、毎日着実にこなしております。
皆様にとって、慌ただしさの中にも充実した実りある今年ラストの12月を過ごす事が出来ますように願っております。
ブログも引き続きどうぞ宜しくお願いいたします。
先日、例の実家近くのホームセンターで、可愛らしい「ポインセチア」を購入しました。
この「ポインセチア」を見た全員の方の願いが叶うといいなぁ、なんて本気で思いながら写真を投稿してみました。
この「ポインセチア」が、不思議なパワーと、沢山のエネルギーを放出してくれますように!
不思議と嘔吐の時間が少なくなり、私は穏やかに過ごせる時間が増えていきました。
食事を再びチャレンジし始めた9月、外出の練習も試みるようになりました。
再び感じる外の世界は、私にとってワクワクする、とても輝かしい景色でした。
主人のお休みの土日を利用して、主人が実家に来てくれて、車でドライブに連れ出してくれました。
私は必ず、エチケット袋とマスクとタオルと飲み物を持って出掛けました。
一番最初の外出は、実家から車で2、3分のところにあるホームセンターでした。
外出の練習初日は、ホームセンターに到着するまでのほんの2、3分の間に気分が悪くなり、
ホームセンターの駐車場で、持参していたエチケット袋に吐いてしまいました。
結局、嘔吐が止まらず、ホームセンターの中には入らずに、嘔吐が落ち着いてからUターンして実家に戻りました。
そして、実家の自分の部屋まで、両手と両足の4本を使って2階へ上がったのを覚えています。
疲れたのと、気分が悪くなったのが重なった為か、息切れがひどくて、そのままお布団に倒れ込みました。
翌週、それでもまたワクワクして出掛けました。
次は、実家から車で2、3分のところにあるスーパーに連れていってもらいました。
これより以前、病院帰りにも1度他のスーパーに立ち寄った事があったのですが、お店の入り口で焼き芋を焼いている臭いで嘔吐が始まり、
その時も結局スーパーの中には入れずに、車の中でエチケット袋を抱えて吐いてしまった経験がありました。
スーパーへのお買い物はその時以来でした。
入り口を突破して、果物やお野菜、お菓子などを見ていると、ものすごく興奮し、心が弾みました。
しかし、かごを持って商品を見ている途中、やはり気分が悪くなり、1度スーパーの外に出て、持参していたエチケット袋に吐きました。
そして、しばらく吐いてからまた店内に戻り、買い物を続けました。
久しぶりに見るスーパーの商品が物珍しくて、まるで「浦島太郎」になったような気分でした。
商品を「見て」、「選び」、「買う」と言う、ただそれだけの事なのに、
興奮がおさまらず、私はその時、「あと2、3時間ここにいたいな」と言ったのを覚えています。
その後も毎週、実家から近場の色々な所へ 連れていってもらいました。
初めは往復5分の外出から、少しずつ外出時間と距離が増えていきました。
私が外出から帰宅すると、いつも母が「今日はどこに行ってきたの?」と目を輝かせて聞いてきました。
私は子供に戻ったような気分でしたが、外出先での事を母に語れる事がとても嬉しかったです。
私はこうして今日までの約1年の間に、主人に車で連れていってもらうだけでなく、
平日も母と近所を自分の足で散歩するようになりました。
実家近くの坂道を初めて散歩した時は、抗がん剤の副作用で、重たく、痺れている足が上がらなくて、
ものすごいエネルギーを使い、息切れが激しく、2、3歩歩いては立ち止まり、何度も何度も休みました。
そしてその時も、坂の途中で嘔吐したのを覚えています。
あれから1年が経過します。
私は今年、何度「幸せ~」と言う言葉を使ったでしょうか。
「幸せ」なことが、こんなにも日常生活の中に溢れているとは、この病気をしなければきっと気付かなかった事だと思います。
幸せを感じるハードルが下がったと言えばそれまでですが、それはそれでとても幸せな事なのだと思いました。
師走(12月)に入り、数年ぶりに年末の慌ただしさを感じながら生活しております。
要領もとても悪いのですが、抗がん剤の副作用が残っている事によって、以前のような動きは出来なくなりました。
手足のしびれがひどいので、お料理も、食器洗いも、お掃除も、移動も、、、何をするにもスローペースになりました。
でも、鼻歌をうたいながらお料理をしたり、お洗濯をしたり、お掃除をしたり、以前より確実に家事を楽しんでやっております。
最近、ブログの投稿ペースも遅くなってしまい、すみません。
昨年までは味わえなかった世間の慌ただしい師走の空気を感じながら(それがとても嬉しくて)、
不器用で欲張りな私は、昨年まで出来なかった沢山の事にチャレンジしています。
「今年中にやりたい事」のリストを作り、毎日着実にこなしております。
皆様にとって、慌ただしさの中にも充実した実りある今年ラストの12月を過ごす事が出来ますように願っております。
ブログも引き続きどうぞ宜しくお願いいたします。
先日、例の実家近くのホームセンターで、可愛らしい「ポインセチア」を購入しました。
この「ポインセチア」を見た全員の方の願いが叶うといいなぁ、なんて本気で思いながら写真を投稿してみました。
この「ポインセチア」が、不思議なパワーと、沢山のエネルギーを放出してくれますように!