2015年の夏が終わる頃、自分の気持ちが上向きになってきたと同時に、再び食べる事をチャレンジしようと思い始めました。

胃を全摘後すぐの頃は、食べられなくなる事を恐れて、何度も「食べる」事を試みてきましたが、

嘔吐がひどくなるに連れて「食べる」事の方が恐怖になり、しばらく長い間「食べる」事から離れて生活をしてきました。


でも本当は…ずっと食べたいと切望してきました。

今までどうやって吐かずに物を食べてきたのか、

今まで当たり前のように食べてきた事がとても不思議で、

そしてそれは、とても難しい事だったように感じるようになっていました。


もともと大食いで、食べる事が大好きだった私にとって、1日中無飲食で過ごすと言う事は、

「人生の一番の楽しみを失った」と言っても過言でないくらい、とても、とても辛い事でした。


初めはフルーツからチャレンジしました。

フルーツを噛んで水分だけを飲み込み、フルーツの実は捨てたりしていました。

徐々にフルーツの実も食べられるようになりました。

毎日のちょっとした進歩がとても嬉しくて、少しずつ食べられるフルーツの種類や量を増やしていきました。


ミカンが出始めた冬の季節になると、2、3時間おきにミカンを食べていました。

食べられる量を増やしたくて、ミカンなら手を伸ばしていつでも食べられるので、

私のお布団のそばにはいつもミカンが沢山置いてありました。

ミカンは水分が沢山あって、ビタミンも豊富なので、この冬は特にミカンを食べていた記憶ばかりが残っています。


それから、私が大好きだった甘いミルクティーをよく母が作ってくれました。

最初はある一定量を超えて飲んでしまうと、必ずと言っていいほど吐きました。

それを繰り返しているうちに、その「一定量」がだんだん分かってきて、飲み方も上手になってきました。


この時は、この日々の挑戦が楽しくて仕方ありませんでした。

でもこの頃、全く嘔吐がなくなったのではなく、体調によっては嘔吐が始まってしまったり、

新しい食べ物に挑戦すると嘔吐が始まったりしていました。

そういう時は、またいつものフルーツを食べるところから始めて、焦らずにゆっくり、ゆっくり前進していきました。


しかし本当は、私が一番食べたいと願っていた食べ物は、フルーツではなく他にありました。

食べられなくなってからずっと、もう一度食べてみたいと思うものがありました。

食べられなくなる事が分かっていたら、最後にあの味を存分に味わっておいたのに…と、

どうしても食べたいものが、ずっと心の中にありました。

それは「唐揚げ」でした。

その、食べたかった「唐揚げ」に挑戦し、ついに念願叶って食べられるようになったのは2016年、新しい年を迎えたおめでたいお正月でした。




胃を全摘してから1年以上の無飲食のブランクがあったにも関わらず、

食べられるようになってからは、ものの4ヶ月程で揚げ物を食べられるようになっていました。

悪くなる時も負の連鎖が止まりませんでしたが、

良くなって行く時も、ある時からはトントン拍子でした。

人生こんなに上手く行くのか、と思う程、この時私は良い波に乗っていました。


嘔吐が止まらなくて「食べる」事を恐怖に感じ、栄養点滴だけで生活し、食べられなくなっても、

それでも、「食べたい」とずっと願ってきました。


主治医にも、在宅医療の先生にも、

「原因不明の嘔吐は一生治らないかもしれない。」

「高カロリーの栄養点滴があれば、何も食べなくても一生生きていける」

と言われてきたけど、

それでもやっぱり「食べたい」と願ってきました。


「余命は半年、もっても1年」だと言われてきました。

「抗がん剤治療を止めたら3ヶ月もたない」と言われてきました。

それでも…それでも、やっぱり「生きたい」と願ってきました。

何度か自分を見失う時があったけど、最終的にはやっぱり「もっと生きたい」と強く、強く願ってきました。


「強く願う」と言う事は、自分の気持ちを強くし、自分の行動までも変えてしまう、ものすごいパワーが出るのだと思います。

特にこの病気をしてから、私は強く願えば願う程、どこからともなく強い気持ちと、強いパワー(エネルギー)が湧いてきたのを実感しています。


何度か自分を見失いそうになった事がある私が言うのも何ですが、

今、辛い闘病生活を送っていらっしゃる方も「強く願い」、「強い気持ち」を持って、「強いパワー」を放出し、一歩ずつ一歩ずつ前に進んで欲しいと心から願っております。

悪い連鎖があるのなら、きっと良い連鎖もあるはずです。

私もブログとともに、強いパワーを送り続けます。





次回は、ちょっとずつ「外出」を始めた時の事を書きたいと思います。