【「再会」の続きから】

※本当に重い話になりますが、私の過去の本音です。
その過去があっての今の私がいる事を知っていただきたいので、書く事にしました。
どうかご了承ください。




友人のお店で大学時代の友人と久しぶりの再会だった。

お酒も入って、お話も盛り上がる中、
ぶっちゃけた質問がありました。

「正直、諦めた事、死にたいと思った事はなかったの?」って。

「言っちゃっていいのかな?」と思ったけど、言っちゃった。

明るく、前向きでいる事だけが取り柄だと思ってきたから、言ってはいけない事だと思ってきたけど、言ったらスッキリしたんです。



ありました。

「死にたい」って思った事がありました。

1度ではなく、そんな状態が続いた時がありました。

私にとって何が辛かったかって、
それは「止まらぬ吐き気と嘔吐」だったんです。

寝ても覚めても嘔吐への恐怖で頭がいっぱいでした。

結局は1年以上嘔吐から開放されなくて、先生からも「多分、一生治らないかもしれません。」と言われた時は、本当にどん底でした。


お水すら飲む事が出来ない。

食べられない。

歯磨きも、お手洗いも、洗顔も、入浴も、着替えも、外出も…当たり前の日常生活が何も出来ないんです。

なのに、どうして起きている時間全てが嘔吐で苦しまなくてはいけないのか、

しかも、それが治らないなんて、やりきれない怒りでいっぱいでした。

そうしたら、生きている必要性が見出だせなくなって、私は毎日変な事を考えるようになりました。



両親が留守の時に“いなくなりたい”と思いました。

両親がいない時に何度も暗闇の中の自分が囁きかけてきました。

でも、結局は帰宅した両親の事を思うと、私はいなくなれなかったんです。

最終的に私が自分を取り戻せたのは、母のある一言でした。


毎晩、毎晩、私を襲う嘔吐で眠れなくて、心身ともに折れてしまった時、私はか細い声で母に言いました。


「私はもうこれ以上、誰の為にも頑張れない。もう、死んでもいいかな?」って。




私がそれまで頑張って来れたのは、「両親よりも先に死ねない」、と言う気持ちが一番大きかったんです。


実は私の母は、私がガンになる約1年半前にすい臓ガンになりました。

その時私はその事実を受け入れられませんでした。

自分がどんな事になろうとも、絶対に私が母を守ろうと思いました。

正直、自分がガンになった時よりも、母がガンになったのを聞いた時の方がショックが大きかったのを覚えています。

子供がこんなにも親を想うのに、私を産み、私を育ててくれた親は、もしも自分よりも先に子供が逝ってしまったら、どんなに悲しむだろうか、気がおかしくなるのではないかと思いました。


だから、私は絶対に死なないと決めました。

その為にはどんな事も受けて立とうと思いました。

だけど、その力も枯れる時が来ました。



私の衝撃的な一言に、母は

「じゃあ、一緒に死のうか…。」

と、私よりさらにか細い声で言ったんです。

どんな事をしてでも、あの時母を生かしたいと思った私が、今は母の命までを道連れにしようとしている。

自ら命を投げ出す事は出来ないって、ハッとしました。

私は母のその一言で、例え先が長くはなくても、力尽きるまで闘おうと思えるようになりました。

それから私は再びあらゆる事を試したり、苦渋の選択をして、自分の気持ちが強く、そして前を向けるようになってから、少しずつでしたが気付いたら良い方向に向かっていました。

そして、時間はかかったけれど、原因不明だった嘔吐も今はなくなり、念願の食事も出来るようになり、自分でも信じられないような今日(奇跡)が今ここにあるのです。





友人のぶっちゃけの質問に対し、この内容を友人に告白しました。


みんなで何だかしんみりしてしまいましたが、私は改めてあの時の事を思い出し、「嘔吐」に悩まされた地獄の日々を乗り越えて、「今」がある事を、これからも忘れずに強く生き続けていきたいと思いました。





P.S.  ちなみに、私の大切な母はすい臓ガンになってから今年の夏で5年を迎える事が出来ました。

先日、最後の検査を受けに一緒に病院に行ってきました。

お陰さまで、定期的に受けてきた検査を今年の7月をもって卒業する事ができました。

自分の体も辛い中、付きっきりで私の看病をしてくれた事、心から感謝しています。


今、病を抱えている全ての方に、必ず明るい光が訪れて、ご快復されますよう心からお祈り申し上げます。