「愛と自由がシナプスを結合させる」~児童虐待防止のスローガンに | 子どものこころと身体をケアする専門家☆不登校、特別支援児の駆け込み寺。

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東京都庁内保育所「とちょう保育園」が開園されました。

朝7:00から夜10:00までの延長保育可能。

共働きなどで仕事に専念出来るから

夜遅いのは助かる!と言うのもわかりますが、

【子供の脳の発達】について知ってて欲しい。

保育士もセラピストもママにはなれませんから💦


livedoorニュース BLOGOS田中俊英2016年10月02日 14:52 付より引用

「愛と自由がシナプスを結合させる」~児童虐待防止のスローガンに

■「愛」と「自由」

『クーリエ』のネット記事を読んでいると、このレポートが目に止まった(子供の脳の発達に最も影響するのは「遺伝」でも「早期教育」でもなかった! 各国の専門家が解説)。

子どもの力を、その人の人生全体を伸ばす力の源泉は乳幼児期にあり、それは各種の早期教育でも習い事でもなく、「愛」と「自由」がポイントなのだそうだ。

「自由」の重要性をまず述べたあと、同記事にはこんな記述がある。

【もう一つ幼児の発達に必要なのは、「愛情」だ。

子供の脳を発達させるシナプス結合は0~3歳の間に特に活発で、

脳の約80%がこの時期に完成すると言われている。

ハーバード大学児童発達研究所の所長ジャック・ションコフによると、

このシナプス結合をもっとも活性化させるのが、

大人との愛情ある交流なのだという。

幼児の笑顔や声に大人が反応し、幼児がそれに対してさらに別の反応をする

──両者の間にこのような相互作用が生まれると、

シナプス結合が活性化し、子供の脳の発達を促すのだ。】

「身近な大人(主として親)の愛情が乳幼児の脳のシナプスを結合させる」というこの研究結果が、逆説的ではあるが、愛のない/愛が歪む虐待・貧困家庭に「第4の発達障がい」が多いという事実も説明している。

第4の発達障害とは、浜松医大・杉山登志郎医師(発達障害のいま (講談社現代新書)2011/7/15 杉山 登志郎著 ほか)提唱のカテゴリーで、古典的自閉症でもアスペルガーでもADHDでもない、児童虐待を原因とした発達障がい的状態があるのだという指摘だ。

このカテゴリーを創設しないことには、虐待・貧困家庭に顕著に見られる発達障がい的状態を説明することは不可能だとのこと。

それは僕も実感している。何気ない雑談のなかでは鋭い指摘をする被虐待ハイティーンと接していて、独特のアンバランスさを感じている。

彼ら彼女らは、明らかに、軽度の知的障がいあるいは学習障害的状態にあることはある。

その一方で、独特の切れ味ある発言をしたり、頭の回転が早かったり、アート的感性が豊かだったりする。

その一方では頻繁なリストカットなど、境界性人格障がい的状態も併せもち、全体的にアンバランスなのだ。いずれも背景に児童虐待の体験を持っている。

■乳幼児期のシナプス結合

元々は才能と感性豊かな子ども・若者たちが、苛烈な虐待体験のなかでシナプスの接合の不具合等の脳内異変に晒され、第4の発達障害としか表現できないハンデを持たされている。ここに、貧困・虐待家庭特有の「連鎖」が重なり、第4の発達障がいをもつ親が虐待を受け継いで行なうことにより、その子どもも第4の発達障がいとなる。

虐待や発達障がい支援をしていると、親子ともども第4の発達障がい的状態を抱えていることも珍しくなく、それはこのような一子相伝的引き継ぎの哀しい実態がある。

また支援の体験以外にも、貧困家庭の中に軽度の知的障がい的ハンデを抱える人々が少なからずいるということは、だいぶ前から僕にとっては謎だった。

そのすべてが児童虐待ではなく、通常の知的障がいの方々であったのだろうが、もしかすると中には、児童虐待を起因とする知的な遅れをもった人々も含まれていたのかもしれない。

いずれにしても、乳幼児期の過酷体験が、乳幼児期のシナプス結合に大きな影響を与えることは十分納得できる。

■ジョンや、太陽の塔を日常に

『クーリエ』が指摘するように、脳の発達にとって「愛」と「自由」が大きな比重を占めるのであれば、貧困支援のなかにこの2つの要素を積極的に入れていくことが望ましい。

対象年齢0~3才の乳幼児の親たちと、保育所の職員たちに、「愛」と「自由」の重要さを啓蒙していくことがポイントだ。

具体的には、今僕が書いているこのブログ記事のようなかたちで啓発したり、行政やNPOがセミナーを開いたり、メディアへの積極発信によってマスメディア(主としてテレビ)で取り上げてもらったり。

この「愛」と「自由」は実は、おカネはあまり必要ではない。もちろんおカネの裏付けがあったうえでモノやチャンスに満ち溢れた「愛」と「自由」があることはあるが、貧困でも「愛」と「自由」は現実化させられる。

具体的には、「愛」と「自由」を含むさまざまなアート作品に子も親も接する。親たち自身が、セミナーを通して、リジットな自らの価値を相対化する等、だ。

毎日ジョン・レノンとRCサクセションとジョニ・ミッチェルをかけ、岡本太郎「太陽の塔」のレプリカを部屋の隅に置くだけでもいい。

それら「愛」と「自由」が作品化したものを日常化するということだ。

ただし、このように貧困でも工夫次第で自分の子どもに「愛」と「自由」を伝達することは可能だが、当欄でも度々触れるように、貧困家庭ほどボキャブラリーが少なく紋切り的価値を抱いている(「貧困親」~アンダークラスのコアと再生産)。

その少ない語彙と堅い価値を破るのは容易ではないものの、「愛」と「自由」の持ち方によっては君たちの子どもは幸福になるんだよ、と若い貧困親たちに説くことはできる。

若い親たちには最初はピンとこないかもしれないものの、粘り強くスローガン的に説いていけば、少しは理解してくれるかもしれない。また、太陽の塔のパワーとジョンの声が、リジッドな思い込みを砕くかもしれない。

つまり、「愛と自由がシナプスを結合させる」。虐待防止のために、もうこのスローガンでいいんじゃないかなあ。★