9月4日(金)、目黒のBLUES ALLEY JAPANにて大沢樹生くんのライブ。
樹生くんいわく、単独ライブの開催は15年ぶり。
以前は光GENJIの曲は徹底的に避けていたけれど、今は違う。
要所要所でエピソードに交えてグループ時代の懐かしい曲を歌ってくれた。

すべてはここから始まった『STAR LIGHT』
大阪城ホールで号泣して歌えなかった『裸のままKissを』
死産の長女を送るときに車内で聞いたという『荒野のメガロポリス』
アンコールに『ガラスの十代』
そして最強の『NIGHT WALKER』

46歳になった今、さすがにバック転はできないけど(やったら死んじゃう!と樹生くん笑)
動きはキレキレで、すごくかっこよかった!

今年の8月は諸星和己くんも『STAR LIGHT』を歌った。
佐藤アツヒロくんも『ガラスの十代』を歌った。
別々に歌っていても、確かに同じ時、同じ場所で、同じ曲を歌っていたメンバーで、ファンも同じ記憶を共有している。
そのことに、ものすごい感動をおぼえる。

先日のあっくんのイベントのときも、赤坂晃くんの舞台のときも思ったけど、
メンバー自身が楽しそうに笑っている顔を見ているのが、ファンは何よりうれしい。
樹生くんもとても楽しそうに歌って、笑っていた。

8月30日は、光GENJI佐藤アツヒロくんの誕生日。
恵比寿ガーデンザルームにて、「ATSUHIRO BIRTHDAY Happy Event2015」が開催された。
あっくんが42歳って、他のメンバーの年齢を聞くよりもインパクトが大きいのは
メンバー最年少だからかしら。

イベントではソロ曲を数曲アカペラで歌ったり、光GENJIの曲をカラオケ的に歌ったり、
ローラースケートを『愛だけ』に乗せて披露したりと充実した内容で、ファンはもちろん、
あっくん自身がとても楽しそうだったのが何よりうれしかった。
あっくんは歌いたい。ファンは歌を聴きたい。
あっくんの集客力だったらライブを開催することは不可能ではないはず。
なのに、できないのは事務所の事情だろうけど…、うーん残念。
今のところは、来年のバースデーイベントを待つしかない。

ところで久々のジャニーズ事務所主催イベントに行って、統率力と組織力の高さに改めて感心。
人もお金もかかっている。良い意味でも悪い意味でもジャニーズは「すげぇな~」と。
最後、握手であっくんがお見送りしてくれるのだけど、そこに配置されているスタッフの数といったら。あっくんは要人か!? ってくらい笑
一人1秒もないスピードで、あっくんも流れ作業的ににこなすしかなかったのが残念だったな。個人的には、集合写真撮影よりも5秒でいいから一人ひとりと接する時間を増やしてほしい!


記念品のラムネに付いていたあっくん自筆のメッセージ。
10パターンも書いたらしい。こういう心遣いもあっくんらしい^^


8月19日(水)大船渡~陸前高田~気仙沼~松島へ
今回、東北旅行を決めたきっかけは、今年の3月11日、TBSラジオ「荻上チキSession22」を聞いたことにあった。
確か、福島・宮城・岩手からそれぞれ、被災された方の当時と今を語ってもらうものだった。
「震災を忘れないでほしい。被災地で被災者の声を聞いてほしい」という話が強く印象に残った。

気仙沼に住む旦那の知人を訪ねた。旦那は4年ぶり、わたしは初対面。
2階に職場、3階に住居を構える彼らの建物は沿岸部に位置している。2階まで浸水したものの、奇跡的に流されることはなく、被害のなかった3階で暮らしながらも、今後のことが何も決まらないまま4年が経過したという。
今年になって、道路のかさ上げ工事のため年内に引越し、建物を取り壊すことになった。
築25年の建物は、とても立派でキレイ。十分に暮らしていけるように見えるのだけど、1階、2階は残念ながら使える状態ではなく、地下に至っては未だ水に浸かっているというから、仕方ないのか…。

メディアでは伝えられない、想像を超えるリアルな話をたくさん聞かせてもらった。
たとえば、震災直後に女性が化粧をしていたり、スカートを履いていたら非難されたという例がある。心情としてはわからないでもないけど、まるで戦時中だ…。
ここで仔細に書き上げたらキリがないけど「東北の人は我慢強い」なんて報道には呆れ果てたと、彼らが憤るほど現実は厳しかったそう。

津波の被害に遭った沿岸部を車で走ってみると、建設中の堤防をあちこちで見ることができる。
街から海が見えない。壁に塞がれる生活。これで本当にいいの? 人々は戻ってくるの? 
そんな私たちの疑問を口にすると、彼らの答えは迷いなくNO。
「巨額なお金をかけてあんなものを作ってもムダ。それより道を広くして“逃げ道”を作ってほしい。
30分あれば高台まで十分に避難できるのだから」
と。

「テレビで見るのと、現場で自分の目で見るのでは全然違う」
よく聞くこの言葉の意味すら、自分は理解していなかったことに今回気づいた。



陸前高田にある「道の駅 高田松原」の跡地。見上げると津波到達地点14.5mと印がある。実際にあの高さまで津波がきたと想像すると、怖くて足がすくみ言葉を失う

奇跡の一本松への道中。あちらこちらで、避難指示の標識が見られる

津波浸水区間の道路標識。地元の方はもう見慣れたものかもしれないが、わたしには新鮮に映った

気仙沼の防潮堤工事の様子

テント場「松島町役場野外活動センター」
宮城県宮城郡松島町根廻字上山王6-1
市営のキャンプ場で持ち込みテント1張り500円。原則は16時までにチェックイン。この日は運良く宿泊施設に利用者がいたため、警備員の方が終夜いらっしゃり、遅くなっても大丈夫とのこと。結局、到着したのは21:30過ぎ。キャンプ場のほうは私たち以外の利用者はなかったので、他の方に迷惑をかけずに済んだことが救いだった。
トイレもまあまあキレイ。20:30までなら隣接している入浴施設を使える。
(写真撮り忘れた!)




8月18日(火)宮古~遠野~大船渡へ

遠野にある荒川駒形神社へ向かう道は「本当にこのまま行き進んで大丈夫か!?」と不安になるような獣道。(途中、郵便局の車と行き違ったので、少し安心)
突き進んでいくと、鳥居がいくつも並び、ひんやりとする空気を感じる神社に行き当たる。
ここは「阿曽沼氏の家臣であった佐々木氏が馬産の神を祭ったことに始まる。遠くからの参詣者も列を成し、多くの信仰を集めた。奉納された多くの鳥居や絵馬はその証であり馬産地遠野を代表する神社である」(『遠野遺産』平成23年度版公式ガイドブックより抜粋)




この神社で一人のおじいさんと出会った。
2週間に一度、見回りをかねて出向いていらっしゃるのだとか。東北なまりが強く、あまり何をおっしゃっているのか聞き取れなかったのだけど、遠野や神社について聞かせてくださった。
境内に置いてある台帳に記帳すると、年に一度お払いをしてくれると聞き、丁寧に記入する。
おじいさんが、車で30分くらいのところに馬を放牧している牧場があるから、ぜひ見たほうがいいと薦めてくれたので、早速向かってみた。

向かったのは荒川高原牧場。この辺は圏外でスマホのナビも全然使えない。
迷いながらも、突如目の前に広がる牧草地に圧倒され、遠くに馬の集団を発見!
「馬産」を発展させてきたこの地の歴史に、ほんの少し触れたような気がする。


今回の旅にあたり、柳田邦男の『遠野物語』を読んでおいた。
岩手県遠野地方で古くから伝わる伝説や民話について書かれたもので、ザシキワラシや河童、雪女や山男についての話。
あの山奥でおじいさんに出会えたのも、何か神秘的なチカラを感じずにはいられなかった。

テント場「フレイアイランド尾崎岬」
遠野から釜石方面へ一気に南下し大船渡へ。
フレアイランド尾崎岬はテント1張り500円、お風呂利用料200円/1名。海沿いの高台にあって、見晴らしも良く、整備もしっかりされたキレイな市営キャンプ場。
管理人の方もとても親切だった。


ここは津波の被害に遭わなかったため、敷地内に、流されてしまった赤崎中学校の仮設校舎が建てられていて、元キャンプ場だった広場は校庭として使われている。
早朝、校舎を窓からのぞいてみたら、中は案外しっかりとした造りで、仮設っぽい感じはしなかった。高台にあるためか、多くの生徒は1台の専用バスに乗って登校してくる様子が見えた。




8月17日(月)盛岡~久慈~宮古へ
2013年NHK朝ドラ「あまちゃん」のロケ地となった久慈。
現在、BSで再放送されているとはいえ、本放送終了から2年経って、どんな様子なのかと少し心配していたのだけど、平日にもかかわらず観光客で結構賑わっていた。
道の駅くじでは「あまちゃん」のサントラがエンドレスに流れていて、テンション上がる、上がる!
ちなみに、道の駅に併設している地元のスーパーでは、お刺身や漬け物など、新鮮でおいしいものがリーズナブルに入手できた^^

向かいにある「かでっ亭」というおにぎり処で、念願のまめぶ汁(400円)とおにぎり(150円)をいただいた。ドラマの中では「中途半端でビミョーな味」と評されていたまめぶ汁。
私には美味だった☆(ちなみに、おにぎりが感動的においしかった!)


三陸鉄道は1時間に1本くらいしか走っていないので(しかも乗車賃が高い!)、残念ながら乗ることも、走っている様子を見ることもできなかったけど、ベタに聖地巡礼を楽めた。

駅前デパート(ドラマでは観光協会)の壁面には、今も潮騒のメモリーズの看板が


三陸鉄道の久慈駅舎内はあまちゃん一色

駅周辺から小袖海岸(ドラマでは袖が浜)へと場所を移すと、完全に観光名所となっていて、無料の駐車場にもかかわらず案内係の方が、とても親切・丁寧に誘導してくれた。
ドラマとは造りが違うけれど、海女カフェもある。

アキたち海女クラブがウニ漁をしていた場所


「いつでも夢を~♪」と歌いながら降りて来た坂道


春子が落書きをしていた灯台(観光客はここには登れない)


ユイちゃんが「アイドルになりたーい」と叫んだトンネル(堀内駅)


久慈から宮古方面へと沿岸部を車を走らせると、いよいよ被災地の空気を感じてきた。
海沿いに高い堤防が建設中だったり、「過去の津波浸水区域」という標識があったり。
比較的、被害は少なかったらしいけど、確実にこの地も被災したのだと知らされた。

テント場「タイマグラキャンプ場」にたどり着けず…
宮古市江繋(タイマグラ)
宮古市のタイマグラにあるキャンプ場は、テント1張り500円で利用できる。
ここへ行くことを楽しみにしていたのだけど、久慈からの移動が思った以上に長く、途中で雨まで降り出す始末。結局たどり着けなかった。