いまい農場のブログ

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兵庫県宍粟市千種町岩野邊
1990年 開業
平飼い自然養鶏約1000羽 平飼い有精卵 と 鶏肉 の生産販売
国産飼料にこだわり 輸入トウモロコシは一切不使用
農業の衰退、田舎の衰退を憂い、その実態と解決策をブログ上でも模索していきたい
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百人一歩通信第8号 できましたので、ぜひご一読ください。宜しくお願いいたします。

 この前アップしたのと、ほとんど同じですが、本日の新聞の折込にこの通信を入れていただきました。宍粟市内、12,500部くらいなのですが、さて、何人の方に読んでいただけるでしょうか。

 文章ばっかりで、取っつきにくいでしょうが、まとまって書いていると、どうしてもこうなってしまいます。

 

「明日の宍粟と日本をつくる若者の皆さん!! どうか頑張って読んでもらえないでしょうか!!」

 

 前回アップしたときと大きく変わっているところは、ウラ面の「16. 動き出していただいた市長・市当局」は、まるでなかったものです。

 また、その下の赤枠くくりのところの一番下。「農業・農地を大事にしない国は、人の命・暮らしを大事にしない。みんな共通している。農地は農家だけの問題ではない」・・これも追加しています。

 

 ぜひともまた、ご一読いただければ幸いです。また、新聞を取っておられる方は、折込広告の中に入っていますので、ぜひとも、一度探してみてください。

 

「百人一歩通信第五号」 を作りました。

 しかし、これは宍粟市内配布用ではありません。実は、配布用にほとんど同じものを作っていたのですが、印刷直前、7月6日に宍粟市では水害が起きてしまいました。お亡くなりになられた方1名、また、甚大な被害を受けられた方も多く出てしまいました。心より御冥福と御見舞を申し上げます。

 そして、このような通信を出している状況ではなくなりましたので、それは没にしました。

 それで、その中の私の考える農業政策分野だけを書き直して、新たに作ったのがこれです。

 この一枚を読んでいただければ、私の考えはだいたい分かっていただける内容になっています。

 地域の農業政策、また、地域の存続、地域の仕事づくり等々、関心のある方、ぜひともお読みいただければありがたいです。

 (写真のあとにテキストを載せています)

 

以下、テキストを載せます。

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『百人一歩通信』第五号  2018年7月

 

 市議会議員の今井和夫です。
 6月議会も終わり、また地道な研修や活動の期間です。前号(第4号18年5月)はお読みいただけましたでしょうか。いつも文章ばかりで誠に申し訳ありません。
 市議会に出させていただいて1年余り。地域が元気になるには2本柱が必要だと痛感しています。一つは地域の力を高めること。もう一つは、国による地方をしっかり維持するための政策。
 今回は、後者の、それもまた農業の確立の方法を書かせていただきます。これは私が市議に出ようと考えた原点です。
 農業に直接関係ないと思われている方も、すべてはつながっていますので、何卒お付き合いいただけますようお願い申し上げます。 

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 宍粟市の農村地域が生き残る道
若者が農林業で生活できるような国による補償を!!

私の考える農業・地域政策(その2) (前号のつづきです)

 

 1. 補助金をもらう農業はダメだと思っていた
 私は平成元年に千種町に農業をしに来ました(出身は明石市)。自然養鶏を生業として新規就農で30年やってきました。
 私が自然養鶏を選んだ理由の一つは、「補助金をもらう農業はしたくない」というものです。何も知らず「補助金は悪」というマスコミの作った世論を真に受けてました。それで自力で生活できる農業として自然養鶏という『特別な農業』をやって来ました。

 2. ブランド化や特産品では地域は守れない─皆『競争」?! 
 しかし、このような「特別な農業」では地域は守れないことに気がつきました。地域活性化・耕作放棄田対策として全国でブランド化・特産品作り・六次産業化・輸出・・が検討されています。しかし、これらは皆競争です。「どこかが成功すればどこかがダメになる」そんな少ない需要の取り合いの競争をさせられているのです。例えば「ブランド米競争」。みんな近くで同じことをされたら本音は困るのです。ともに成り立つことができないものです。
 また、集落営農も現実は年金で生活できる元気な農家がいることが前提です。その方々が引退すればもう成り立ちません。それはもう目の前に来ています。(もちろん、それまではできるだけ集落化して乗り切るしかないです)

 3. 補助金による価格補償・所得補償しかない
 では、すべての農地を守るにはどうすればいいのか。それは、若者が当たり前に一生懸命に働けば農業で、田んぼで生活できる価格や所得を補償するしかないのです。そして、それは欧米先進国は皆当たり前にやっていることです。基幹的な農業を「自力でやれ」と言っているのは日本だけです。イギリス・フランスの農家の所得は9割が税金です。言わば半公務員です。(下表参照)これを日本でも実施するしか、すべての農地を守る道はありません。(日本は農業所得そのものが少ないので補助金の割合が大きくなるのだと思います。)

 

農業所得に占める補助金の割合 (2013年)

 日本    39.1%
 アメリカ    35.2%
 フランス    94.7%
 ドイツ    69.7%
 イギリス    90.5%
 (鈴木宣弘(東大院教授)より)

 

 4. なくなった1.5万円/10aの所得補償
 2009年、民主党政権が基本的にすべての田んぼで、10aあたり1.5万円の所得補償政策を打ち出しました。しかし、自公政権になりなくなってしまいました。理由は「コメは余っている、関税で守られている」からなど。
 確かに今、コメは余っていますが、それを作っているのは多くは年金をもらっている65才以上の方々です。つまり、「年金」という所得補償があるから今は作られているのです。

 5. 農林水産業を犠牲にして工業を発展させてきた日本
 1955年からの高度成長期以降、日本はめざましく工業を発展させてきました。そして、工業製品をどんどん輸出するようになりました。しかし、貿易は一方的な流れでは成り立ちません。売るためには何かを買わなければ〜。
 そこで、農林水産業を犠牲にしてきたのです。
小麦、大豆、果物、豚肉、牛肉、乳製品、木材・・・、どんどんと関税が引き下げられ輸入が増えました。1956年頃に日本から麦と大豆の畑が一斉に消えたと言われています。私は1958年生まれですが、すでに冬の田んぼは遊び場でした。でもその少し前までは麦が作られていたのです。

 6. アメリカからの食料輸入圧力
 また、アメリカは食料を「第二の武器」と考え、相手国の食料を握ることで影響力をつくる作戦をとります。そのため、農業へ莫大な補助金を出し、大増産します。それを日本に輸入しろと圧力をかけてきました。(家畜のエサはその筆頭)
 工業製品輸出のために何かを輸入したい日本、農産物を輸出したいアメリカ。・・こうして日本の農林水産業は衰退していきます。

 7. また農業と食の安全を犠牲にした今回のTPP11
 この6月29日に可決されたTPP11もその延長です。相手国の自動車の関税を下げさせる条件として日本への農作物の関税を下げる。今回は特に畜産関係がかなり打撃です。バター・チーズが大幅に輸入されるようになります。酪農は大打撃。牛肉・豚肉も同様です。成長ホルモン入りの牛肉がますます日本中に入ってきます。
 特に、宍粟市北部でのこれからの産業を考えたとき畜産は非常に大事な分野なのですが、それが難しくなるのです。
 (しかし、マスコミは「これは農家の問題で消費者にとっては食費が安くなる」という言い方しかしません。そうでしょうか?)

 

 8. 全国で3〜3.5兆円あれば農業は復活する
 民主党の直接所得補償政策も問題はありました。年金をもらっている高齢者にも同様に支給したこと(若者の雇用にすぐにはつながらなかった)。それと、中山間地域では全然、額が足りなかったということです。私のおおよその見聞・体験では中山間地域では10aあたり平均10万円くらいの所得補償が必要なのではないでしょうか。(3ha耕作して300万円の補償。もちろん条件によって違います。)
 それで、全国でいくら必要かと試算してみると、おそらく3〜3.5兆円くらいあればできるのではないでしょうか。国家予算の3〜4%、全然不可能な額ではありません。EUでもそのくらいは農業予算に使っています。今、防衛費に毎年約5兆円を使っていますが、食料を他国に依存して何が国防でしょうか。(「食料はお金さえ出せばいつでも買える」なんてボケたことを思っているのは日本だけ)

 

《所得補償試算の内容》 

 全国の水田面積 約242万ha (2017年)
① 水田へ 合計2兆3,730億円。これで日本中の田んぼは維持できる。

内訳

・全国の中山間地の水田(97万ha)には、10万円/10a→約9,700億円。
・残りの平地の水田(145万ha)には、3万円/10a→約4,350億円。
・今、日本人はあまりコメを食べないので全水田の40%は飼料米にまわす。
  そこにはさらに10万円/10a出す(現行は平均8万円)→約9,680億円。
② 畑作や畜産にも補助金は必要 → 約1兆円
③ 全部合計(①+②)→ 3〜3.5兆円
● 実際には転作で麦や大豆などを作っている所も全部飼料米で計算しています。だから、現実はこれほどは必要ないと思います。
●「こんなに要らない」「もっと要る」等あるでしょうがあくまで目安として考えてください。実際に実施となれば専門家の緻密な計算が必要です。
 


 9. 農林業への所得補償は現代版の公共事業
 そして、この約3〜4兆円によって新たに成り立つ若い農家は、そのおカネを生活費としてそれぞれの地域で使うことになります。そうすれば、もう一度、地元の商店や土建業、他の仕事も復活します。子どもも増えます。
 以前、「地方の仕事は土建業」と言われていたとき、毎年10〜15兆円が公共事業費として地方に出ていました。だから、地方は元気だったのです。だから、この農林業への直接所得補償は現代版の公共事業です。これは競争ではありません。すべての農地、すべての地方が成り立つ道です。競争に勝ったところだけが生き残るのではダメなのです。もちろん、競争も必要です。しかし、それはボーナスです。基本給は保障しないと若者は農業ができません。

 10. まずは若者を雇用する形から始めれば
 今の若者は「農業では生活できない」と小さい時からまわりから言われているので、いきなり10万円/10a出すからと言ってもなかなか農業をしようとはしません。ですから、まずは若者を雇用する形から始めるのがいいかもしれません。安定した就職先として示す。そのためにはその受け皿を確立する必要があります。あるいは、他の地域支援(高齢者ケア・災害・除雪対策等)も含めて公務員として雇用する道もあるでしょう。
 しかし、農業として本当に効率がいいのは、機械等を共同利用しながらの家族農業だと私は思います。そこへの移行期間として考えればいいかもしれません。

 11. 夢物語といわれるかもしれないが〜
 この方法を夢物語という人もいます。では他に方法があるでしょうか。どの地方、どの農地も、すべてきちんと人が住み維持されていく方法が。あるならばぜひ教えてください。皆さん、自分が、あるいは自分の子どもが農業をするとしたらと考えてみてください。

 

 12. 人口が減っても美しくずっと続くまちに
 これが実現すれば、人口が減っても、ひょっとすると今の1/3〜1/4くらいになるかもしれないけど、しかし、放棄田のない美しく整備された農村が永遠に続くことになるのです。そこから、少ない人口ながらの新しい形のまちづくりをすればいいのではないでしょうか。

 13. あるところから納めてもらう税制改革を
 政府にはおカネはありませんが、日本の中、あるところにはおカネは有り余っています(例えば、2017年大企業の内部留保は一年で約30兆円増えたそうです)。そこから税金を納めてもらえば、このような農林業への補助金をはじめ、最低賃金アップ、中小企業への助成、子ども手当、医療費補助、介護保険補助、教育費無償化、他、様々なことが実現可能です。消費税増税は格差をさらに大きくする間違った政策です。

 14. マスコミは言わない!!
 マスコミではこのことはほとんど触れません。意図的と思わざるを得ないほど触れません。おそらくマスコミのスポンサーである輸出大企業が言わせないのでしょう。自分たちの工業製品が輸出しにくくなるから。所得補償をすれば農林水産業が復活することくらい、とっくの昔に分かっているはずです。だって欧米ではどこもやっているのですから。でも言わない・・。本当にこのままでは地方は、いや、日本はつぶれてしまいます。

 15. 五円玉の国になろう!!
 1949年、今の形の五円玉が作られました。稲穂と海と歯車のデザインです。戦後の荒廃した中で、農業、水産業、工業が共に栄えることを願ったものです。
 今のような農林水産業を犠牲にして工業だけを発展させるのではなく、この五円玉の精神に帰って農林水産業と工業が共に栄える。そして「自分の国の食料は自分の国で作る」そんな当たり前の国になってもらいたいです。

 16. このことを広めていきたい、市内に、全国に
 私は一市議会議員ですが、十分な公的助成を実現させ若者が田んぼを仕事として暮らせるしくみ作りに頑張ります。そのためには一人でも多くの賛同者を得たいです。どこでも呼んでください。話しましょう。ともに考えましょう。

 

●私たちは少数しか生き残れない競争をさせられている。
●地方は競争に勝ったところだけが生き残ればいいのではない。すべての地域にきちんと人が住み、すべての農地や山は整備されなければいけない。
●それには所得補償が不可欠。農家には3〜3.5兆円でできる。
●農業は産業ではない。国民の命と健康を維持するための命の営みだ。

 

 農水省を経産省の中に入れてしまおうとする動きがあるそうです。農業を単なる一つの産業としか考えない現政権。
 誰が見てもウソだろう、と思うことがそのまま、まかり通る今の国政。一握りの者だけに富みが集まる社会ではなく、みんながともに分かち合い、ともに生きていける社会を。
 『一人の百歩より百人の一歩』
 『汗と油と土にまみれて働く者が日の目を見る社会を』

 頑張ります。みんなで頑張りましょう

 

ご意見ご感想ご要望等、どしどしお寄せ下さい。まだまだ知らないことばかりですので、ご指導よろしくお願い申し上げます。

 2018年7月3日の台風接近頃から断続的に降り続いた雨。特にこのあたりでは6日夜から7日未明が激しかったです。

 8日〜11日にかけて町内を回りました。人的被害や家屋倒壊はなく、それは本当に不幸中の幸いでした。

 ただ、床上・床下浸水や一部家屋損壊も数カ所、そして、川の護岸の崩壊、道路崩落、田畑の畦の崩れ落ちはあちこちであり、また、田んぼの水路の損壊などは至るところで起こっています。

 状況把握の一助になればと、一部ですが、アップさせていただきます。

 

岩野辺川

 

土砂が水路にあふれ土と石が夜通し流れる

畦の崩落

家の裏の畑が崩れ家にのしかかる

林道の崩落

休耕田の畦の崩れ

 

下河野

 千種川護岸

 千種川護岸

 

七野

 

西山

 

千草

 

河呂

 

河内

 

西河内

田んぼが一枚なくなっている!!

 

スキー場への道

 

岩野辺から鷹巣へ

ゴルフ場

 ゴルフ場はかなり被害がありますが、すぐに復旧して再開されるそうです。

 

鷹巣

旧東小学校の横

 

 以上、被害の一端です。被災された皆さん、本当に大変なことと思います。御見舞申し上げます。

 また、市民局の皆さん、自治会・農会等の役員の皆さん、消防団の皆さん、本当に7月5日〜8日にかけてはほとんど寝ずの活動されていたと思います。おかげさまで何とか被害が少なくすんでいると思います。まだまだ地域の力を感じます。

 地域を守ろうとする若い消防団の方々の話を聞いていると、本当にありがたく元気をもらいます。でも、無事で本当に良かったです。

 今からの復旧が大変だと思いますが、事故のないようにくれぐれも気をつけてください。一日も早い復旧をお祈りいたします。

 

 また、テレビ等で、もうよくご存じかと思いますが、宍粟市内においては、特に一宮町や波賀町において、かなり大きな被害が出ております。残念ながら犠牲者も一名出てしまいました。

 御冥福を心よりお祈り申し上げます。

 皆さん、もう、かなり疲れておられると思いますが、さらなる事故の起こることがないことをお祈り申し上げます。

 

 市当局も精一杯頑張っておられます。我々、議員も少しでも助けになることができるよう頑張りたいと思います。

「全国の国土面積の0.6%に過ぎない沖縄県に、米軍基地の74%が集まる」
「その上、さらに辺野古という新たな基地を作る」
今、私の部屋の窓からは、梅雨の晴れ間の山に響く鳥の鳴き声が聞こえる。これが、日常的に米軍機の爆撃音の暮らし。それを強いる私たちの社会って何なんだろう。

 

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太平洋戦争で激しい地上戦が展開された沖縄で、旧日本軍の組織的戦闘が終わったとされる23日の「慰霊の日」が近づいてきた。沖縄出身のタレントりゅうちぇるさん(22)にとっては、今も特別な日だ。自身のルーツや体験も踏まえた思いとは。

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 高校卒業まで沖縄で育ちました。沖縄では若い子もおじい、おばあから戦争当時の話をよく聞きます。10代だった僕の父方のおばあは「アメリカに捕まるくらいなら、爆弾で死のう」と言って集団自決しようとする群れから、1人だけ逃げて生き残ったそうです。

 今も米軍基地があるから、戦争を身近に感じます。宜野湾市にあった自宅前には普天間飛行場があり、ヘリコプターや飛行機が爆音を響かせて飛行するのは当たり前の光景でした。

 危険と隣り合わせだと感じたのは、2004年に米軍ヘリが沖縄国際大(同市)に墜落した時です。僕は当時小学校3年生。友だちと本屋を出て、タコライス屋に入ろうとした時でした。ヘリが上空で旋回するのを眺めていたら、急に止まって、垂直に落ちたのです。その光景は忘れられません。

 会ったことはありませんが、僕の祖父は戦争中に日本に来た米兵です。戦後沖縄でおばあと出会い、父が生まれました。離婚して米国に帰国したそうですが、おばあは「戦争は人を変えてしまう。皆が皆悪い人じゃないし、皆が皆いい人でもない」と、米兵や祖父を悪く言いませんでした。

 米兵が問題を起こすと「出ていけ」という人もいますが、米兵皆が悪いわけじゃないと思う。だけど、戦争で傷ついている人もいるから「出ていけ」という気持ちもわかります。

 慰霊の日は、沖縄のことをめちゃくちゃ熱心に考える一日です。14年に上京してからも、慰霊の日は忘れてはいけないと思い、3年前、ツイッターに「慰霊の日、平和を願い『うーとーとー』をします」と投稿しました。沖縄の言葉で「手を合わせて祈る」という意味です。今も慰霊の日の正午には「うーとーとー」します。

 沖縄には悲しみにもまれた歴史があるけれど、ポジティブに明日へ向かう力があります。もっと沖縄のことを知ってほしいから、SNSでずっと発信し続けたいと思っています。(聞き手・逸見那由子)

 

朝日新聞DIGITAL 2018.6.21.

https://www.asahi.com/articles/ASL6C64PCL6CUBFE002.html

より