動物福祉とばんえい。④ | あれちくブログ

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あれちく、こと帯広畜産大学競馬サークルAllez_chikudaiです。
中央競馬からばんえい競馬、また、馬に近い環境を生かして身近なかわいい馬の紹介まで、毎週更新を目標に発信していきます!

昨日ぶりです!にゃかにだよ!
2日連続更新なんて暇なの?なんて言わないでください!いいじゃんちょっとくらい!やらなきゃいけないことよりやりたいこと優先させてもさ!春休みだもん!



はい。第四回です。

前回の記事を書いた後に、柏村先生の書いた新聞記事のコピーが資料の下から出てきました。この記事が書かれたのは2011年で、セミナーの2年後ですね。

記事のタイトルは「ムチ代わりの「べん打」 馬の緊張感を保つ「頑張れ」のサイン」。北海道新聞十勝版、11年11月5日の記事ですが、ネットで調べてもSM小説しかヒットしなかったので、どうしても見たい方は道新に問い合わせたり図書館行ったりしなきゃいけなさそうです。
あ、べん打っていうのが手綱でお尻とかをぺちぺちすることです。 

内容は、前回記事で紹介した研究調査について。わたしの書いた解釈でだいたい合ってたみたいなので一安心。その上で、手綱操作だけでは難しい騎手の意思表示のためにべん打を用いているんだよって話でした。

乗馬や競馬はハミから手までの距離が数十cmしかないけど、それでも手綱操作だけで馬はそうそう動かないですよね。手綱があって、脚があって(人や競技によってはここで拍車も)、騎座(馬の上での姿勢も大事な扶助のひとつです)があって、音声があって(競技によっては使えないけど)、これだけあるのにさらにムチも使わなきゃいけないことがありますよね。


ばんえいは馬のハミから人の手まで、まるまる馬一頭分+そりまでの間隙分の距離があります。2mは余裕で超えてる。人は馬の後ろに立っているから、もちろん脚や騎座なんてものはない。声の扶助はもちろん使えますが、それにしても、ほんと、難しいよ・・・(あれちくの夏合宿でばんえい騎手体験をした蟹の実感)

とにかく、馬を動かすにはいろいろな扶助が必要であること、そしてばんえいの場合は乗馬で使える扶助の多くが使えない代わりに「べん打」があるということがお分かりいただけたらと思います。


うわ、前回の補足だけでこんなところまで来てしまった


さて。

「ばんえい 動物虐待」でネット検索すると、2006年ごろ、ばんえいが存続問題で揺れていたころに谷先生の書かれたことばを発見しました。谷先生とは、ご存知の方も多いと思いますが(ご存知じゃない方たちにこそ読んでもらいたいんだけどなー!)、サラの世界からばんえいに飛び込み、現在日本競馬唯一の女性調教師として活躍している谷あゆみさんのことです。畜大卒だからわたしたちの先輩なんですよ!


ネット上で見かけた先生のコメントがわかりやすくていいなあと思ったので転載させてください!!って連絡差し上げたら快諾してくださいました。ありがとうございます。

さすがに全文転載すると文字数がアレなので、全文はこちらのリンク先 をご覧ください。ライターの小久保さんがまとめられたサイトです。矢野アナの文章もあります。
文章全体が馬に対する愛情で溢れていて一部切抜きなんてしたら文の切れ目から愛情が零れ落ちちゃうよ!だめだよ!というくらいの素敵な文なのですが、虐待がどうこうというのに関してわかりやすいのはこのあたりでしょうか。

私は馬に時々こっそり言います。
「うちの子でいる限りは私がお前を守ってあげるからね。」
信頼関係なくしてレースは成り立ちません。
また、レースが虐待であれば、何故馬たちはレースに出る時に張り切るんでしょう?
意気揚々とスタート地点に向かう馬の姿は皆さんもご存知ですよね。
虐められると思っている馬は怯えてしまって、レース前の馬のような気持ちが高揚した様子は見せません。



あ、上2行はこれを読んだときにわたしがあまりにも「わかるーーーー!!!生きてきた世界もおかれてる環境も背負ってるものもぜんぜん違うからわかんないけどわかるーーーー!!」って悶えて泣きそうになってしまったので載せちゃいました。馬を扱う人なら、わかりますよね?


そう、馬たちのあの意気揚々とした感じ、パドックを見たら、きっとわかってもらえるって思います。まだパドックで回ってなきゃいけないような時間からすでに「行くぞ!俺は行くぞ!」って本場場入場しようとして騎手に「まあ待て落ち着け」って抑えられてる馬、いますよね。もしそりを引くことや登坂や「べん打」が馬にとって嫌なことなら、馬はレースに出たくないし、スタート地点にも行きたくないですよね。それに、スタート地点って厩舎から離れた方角にあります。仲良しの厩務員さんや同僚の馬たちがたくさんいてご飯ももらえる快適な場所から自発的に離れていくって、もしかしてレースは厩舎でのんびりすることよりも魅力的なことなのかな?なんて思うこともできませんか。



引用に際して連絡した際、谷先生から先生がかつて道新に「馬の日々 」というコラムを連載していたことを教えていただきました。一本一本が短くて読みやすいのと自筆のイラストが素敵なことから全部一気に読んじゃいました。新聞記事の転載は基本的にNGらしいので、これはもうリンク先から各自で読んでいただけたら良いなと思います。思わず笑っちゃう記事あり、感動的な記事あり、この長さの文章でこんなに面白くまとめられるなんて、わたしもがんばらなきゃ!なんて思わされる記事ありですが、ばんえいが虐待であるかどうか、ということに関して言うと、
07/07/31「レースでそり引いてこそ
09/03/03「レースと勘違い 大張り切り」
らへんをお読みいただければいいのかなと思います。



それから、ばんえい関係者、とはちょっと違いますが、ばん馬を扱っている方、ということで。
第一回の記事を書いた際に、「札幌観光幌馬車」 の御者、渡部一美さんがツイッター・フェイスブックでシェアしつつ補足をしてくださいました。札幌で馬車を引いてる銀太専務も、もともとばんえいで走っていた馬。今はオフシーズンですが、夏場は札幌の市街地でお仕事をしてるそうなので、ぜひお金を作って会いに行きたいです。
それで、シェアしてくださったときの補足がこちら。

尻を叩かれても痛い訳ではありません。
だけど、急に叩かれるってのにビックリする。
つまり「合図」になるってことです。
弊社専務くらいになると(長く同じ仕事をしていると)、尻を叩かれる前にわかって動くようになります。

先日FB友達と呑んだ時に聞いたその方の専務観。
「銀太クンを見るとさ。グッと一歩出るじゃん、お客さんいっぱい載せてさ。
その時のドヤ顔ね。『な?動いたべ?』みたいな、得意げなあの顔ね!w」

いつも言うことなんだけど、馬を見てその人が抱く感情がその人の心理である、ってこと。
馬に自分の感情が投影されているんだよね。
だから「馬車引かされて可哀相」と思う人は自分も働かせられて可哀相だと思ってる。
「頑張ってるな!」と思う人は自分も頑張ってる。
「な?動いたべ?」ってドヤ顔してるって思う人は自分も自信満々(笑)。

そして、「お馬さん、頑張ってるから、これ」と人参代くれる人は神様!(笑)



馬を見たときに抱く感情がその人の心理である、って興味深いですよね。初めて聞いた言葉ですが、納得できる。馬車馬だけでなく、競走馬や他の働く馬たちに関してもきっと同じですよね。というか、動物全般なのかな。
というのはさておき、馬はお尻を叩かれても痛くなく、合図である、ということでした。

まあ痛かったら暴れるよね。本気を出さなくても人なんて簡単にバキバキにできる力を持つばん馬が人間と仲良く生活している、という時点で答えが明確に見えている気が、わたしはしちゃうんだけどなあ。



ということで、第四回でした。
快く文章の転載を許可してくださった、谷先生、渡部さん、ありがとうございました!



ちなみにわたしは銀太専務に関しては「うらやましい」の一言に尽きますv[゚~゚]V