人は季節の中で、その時間の連続性の中で、人生の彩りを知り、人を思い、恋をし、感動する。



世田谷徒然日記

今日で、新年の三が日も終える。


お雑煮も美味しくいただいた。年賀状もたくさん頂戴し、御屠蘇をいただきつつ、嬉しく拝見させていただいた。カレンダーも新しい2012年のを書斎に掲げた。気分一新である。


御屠蘇気分も今日までである。さっそく、5日から、本郷で大学の会議がある。さあ、今年はどんな1年となるのであろうか。


元旦は、いつも通り、近所の松陰神社で、初詣をした。新しい年が、きっと、よい年になりますようにと、手を合わせた。



世田谷徒然日記

(松陰神社で初詣)


静かに、手を合わせ、家族の無病息災を、心穏やかなほほ笑みが多くある1年となることを、祈った。


そして、世界全体を覆いつつある不安と、様々な悲しみが1人でも減り、1人でも笑顔が増える1年となることを、切に祈願した。


世田谷徒然日記


去年は、「3.11」に始まり、様々な出来事があった波乱の1年であった。大晦日は、家族と、その来し方を振り返りつつ、恒例の、年越し蕎麦を食べ、紅白を観て、ゆく年くる年を観て過ごした。


世田谷徒然日記

(去年2011年ほど希望という言葉の重さ

を感じた年はなかった)



そして、元旦を迎え、今年は、新しいパラダイムが誕生する希望の年となってほしいと、静かに参拝した。きっと、人と自然に優しい、新しい社会ができると信じている。


世田谷徒然日記

(元旦。それぞれ、静かに祈っていた)


かけがえのないものってある。


どんなに時代が変わろうと、いかなる思想信条の変化があろうと、普遍的な、尊いものってあるものだ。


価値観は人それぞれ千差万別であろうが、とりわけ、人間とのかかわり合い、絆の尊さは、だれしも異存がなかろう。それは、古今東西、様々な表現で語られてきた。


特に、人生の伴侶や家族、そして友人の存在は、かけがえのない存在である。


人はだれしも完璧な人間なんてありやしない。


お互い、半分。その半分同士が支え合って生きている。

絆の「半」は半分の半である。


人間って贅沢な代物で、わががまな困った代物である。

心は弱い。だから、支えが必要で、寄り添う。

人間関係に孤独は耐えきれない。


その一方で、人間関係ゆえに悩んだり傷ついたり疲労したりする。

だから、時に1人でいたいとも思う。


その矛盾する2つのアンビバレントな感情の間で、振り子のように、往来しながら、人の人生は過ぎてゆく。


そうしたなかで、人間関係に疲弊した人も、傷ついた人も、人みな、人によって、癒され、人によって感動と希望を与えられる。


どう生きたって、どんな意匠をこらそうと、そんな人間の思惑をよそに、人間の喜怒哀楽におかまいなしに、時間は、平気で経って行く。


人間の姑息な論理をはるかに超越して、静かに時間は経過してゆく。問答無用に時間は過ぎてゆく。


そして、それが、歴史になり、人1人1人の人生を形成してゆく。


そこで、思う。


人間、いろいろ矛盾に満ちた生き物ではあるが、まんざらではないと。


人生って、素晴らしいものだと思う。


人って、はかないだけに、なんて愛しいのだろうと思う。


こうした、季節の流れの中で出逢った様々な人々に感謝しようと。その一期一会に感謝しようと。


こんな未熟な自分を支え、慕ってきてくれる人々に感謝しようと。


そして、そうした人々の心豊かな人生に祈ろうと!

そして、祈る。


ささやかでも、明るい未来に貢献しようと固く心に誓い、祈る。


春よ来い!早く来い!