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懐かしくも温かい風景の残る世田谷の雰囲気が気に入って、2005年12月のクリスマス前に白金から世田谷線沿線に転居、そして2009年末から成城在住、新しい生活をはじめました。緑が多く落ち着いた空気がとっても気に入ってます。世田谷のとっておきのお店や魅力的な人々、世界を旅して出あった感動、地球環境等についての徒然なる雑感等、ぼちぼち徒然に綴ってゆきます。どうぞごゆるりとくつろいでいってください。


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【カリフォルニア紀行(その16)】古代ギリシャからゴッホまで ~2つのGettyを堪能~

テーマ:徒然紀行(海外) 2012年02月16日(木) 14時09分53秒

石油で巨額の富を築いたポール・ゲッティー(J. Paul Getty)が、世界の美術品の収集家であり、彼亡き後、そのコレクションが2つの美術館で公開されていることを、米国在住の友人から知ったのは、数年前のことで、さほど昔のことではない。



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今回、好い機会でもあり、かねてぜひ行きたいと思っていたロスアンゼルス近郊のマリブにあるゲッティー・ヴィラ(Getty Villa)を訪問する幸運に恵まれた。


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この美術館にはヴィラ建設に至る背景がある。



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ゲッティーが、古代のローマンヴィラに関心を抱き、ヘラクレネウムのルキウス・カルプルニウス・ピソ(ユリウス・カエサルの父)のヴィラ(ヴェスヴィビオス火山の噴火で埋没)の再現を考え、それをゲッティー美術館の形で、1974年1 月に開館したとのこと。



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今日訪問したゲッティー・ヴィラは、美しい青い海を見下ろす高級住宅街マリブにあり、特に雨上がりの情景も作用したか、ヴィラその存在そのものが、実に清楚で美しかった。



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ヴィラには、古代ギリシャ、ローマ、エトルリア等の古美術が、実に豊富に、惜しみなく展示されており、個人収集でかくも広範かつ高質な美術品をコレクションしたゲッティー氏の情熱に大いに感服した。

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美術館の方のお薦めもあって、ヴィラを後に、その足で、UCLAのキャンパスの近くにあるゲッティー・センターも覘いてみることにした。

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(ゲッティー・センターのゲッティー美術館の豊富かつ高質な絵画展示には感服する)

ゲッティー・センターは、ゲッティー財団が、1983年に購入したサンタモニカマウンテンの300ヘクタールの広大な土地に建設され、いまから15年前の1997年12月に開館した。


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到着して、車を降りてまず驚くのは、そこから、トラムウェイに乗り換えて丘に上るシステムである。


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頂上で下車すると、目の前に、広大な美術館のファサードが現れ、その圧倒的なスケールにまた驚く。


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(個人篤志家の仕事とは思えない圧倒的なスケール)


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ゴッホからセザンヌ、モネ、ロートレックまで、18、19世紀のヨーロッパ絵画も多種多様かつ豊富で、嬉しい驚きであった。


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(ゴッホの名作アイリス)

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【ポール・ゲッティー(J. Paul Getty)】・・・公開情報より編集。

1892年、ミネアポリスに生まれる。弁護士であった父親が始めた石油事業に若い頃から参画。二つの世界大戦を経て巨万の富を得た。彼は、事業経営と並行して美術品のコレクションにも傾倒。古代美術、絵画、36年以降はフランス18世紀の装飾美術の蒐集にも関心を深める。59年には英国のサットンプレースにある16世紀初期のチューダー朝様式の邸館を購入。54年には、キュレーターの勧めもありカリフォルニア・マリブにランチハウスを建て、蒐集品の公開を行い、それが、今日のゲッティー・ヴィラ(Getty Villa)さらには、その発展型としてのゲッティー・センターに結実している。


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【カリフォルニア紀行(その15)】セントバレンタインデーのレイカ―ズ戦 ~本場米国のバスケット~

テーマ:徒然紀行(海外) 2012年02月16日(木) 12時56分31秒

公務を無事終えて、帰国前にロスアンゼルスで少し英気を養う。

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(セントバレンタインデ―のレイカ―ズ戦)


ロスアンゼルスに到着したその晩、ホテルの近く徒歩7分のところにあるステイプルセンターで行われたレイカ―ズ戦を観戦。


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本場米国の一流のプロ・バスケットボール試合を眼の前で見るのは生涯初体験なので、大いに感動した。


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自分自身は高校時代でやって以来、バスケ自体もやっていないが、同じバスケットボールでもかくも違うのか、まさに、雲泥の差とはこのことを云うのだろう。


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自分の高校時代のバスケと天下のレイカ―ズの世界一流のゲームを比較すること自体が不遜であり間違っているとは思うが、本当のバスケの面白さと深さを驚きに似た感動とともに改めて再認識させられた。


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(会場全体が絶好調に盛り上がり熱き一体感がある)


中でも、さすがに、素晴らしかったのは、24番の選手、コ―ビ―・ビーン・ブライアント(Kobe Bean Bryant)であった。素人の自分でも、試合を観ていて、明らかに彼の存在感は分かる。


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(Kobe Bean Bryant) 


感のよい人は察しがつくとは思うが、彼の名前”Kobe”は、日本の「神戸」に由来しているらしい。公開情報にゆれば、彼の父のジョーのお気に入りだったアメリカにある鉄板焼きレストラン「Kobe Steak House(神戸ステーキハウス)」に妻と行った際、店名の”Kobe”の名前の由来を店主に聞いた事をきっかけにこの名前fが気に入って、生まれてきた息子に付けられたものとのことである。


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(試合前に必ず、選手も観客も全員起立で国歌斉唱する)


今日は、運がよいことに、聖バレンタインの日で、記念に、観客全員に「I love Lakers」のロゴのついた黄色いTシャツが無料で配られた。思いがけないよいお土産になった。



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(聖バレンタインの日の黄色いTシャツの説明中)


【コ―ビ―・ビーン・ブライアント(Kobe Bean Bryant)】・・・公開情報より編集。

NBA歴代2位の1試合81得点の記録を持つなど近年のNBA最高の選手の一人と目されており、現代のNBAを代表するスーパースター。6歳だった子供のころ、イタリアで約7年を過ごした。イタリアでは、サッカーが盛んなため、少年時代のコービーも周囲の子供たちと同じようにサッカーに熱中した。イタリア語も流暢。高校卒業とともに名門レイカーズの一員としてNBAのキャリアをスタートさせる。そして、18歳と158日で当時のNBA先発出場最年少記録を塗り替えた。その後、怪我や内紛等も含め、様々な紆余曲折を経ながら、米国バスケットの第1人者の座を獲得し、今日に至る。昔から憧れであったジョーダン自身も、彼を讃え、1998年のオールスターゲーム終了後に後継者としてコービーを指名しており、現役最後となった2003年のオールスターゲームの際にも、次代を託した若手スター選手の一人としてコービーの名を挙げていた。また、引退して月日が経った2012年には「自分の引退後のプレイヤーの中で、自分と比較されるにふさわしい選手はコービーだけだ。」と語っている。

【カリフォルニア紀行(その14)】自分の人生とway of life ~カリフォルニア生活雑感~

テーマ:徒然紀行(海外) 2012年02月14日(火) 01時51分11秒

明朝で公務が終了する。


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(週末安息日、近所のバルボアでランチを頂きながら

眼前の素晴らしいハ―バ―の風景)

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(バルボアで)



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(バルボアのシンボル)


先日の日曜日も、友人M君の奥様が大学の教会で開催された合唱コンサートに出演されるというのでご招待いただき、友人と一緒に行ってきたが、伝統的なアメリカのfolksong"Shenandoah"や、フォーレの「Pie Jesu」を聴きながら、ここで出逢った様々な感動が思い出され、涙腺が緩んだ。



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(キラキラ輝く洋上のヨット)


カリフォルニアの空も海も美しいが、学生諸君が、それと同様に、いやそれ以上に、異口同音に、心に響き、感動していることがある。それは、ここに住む人々のway of lifeである。


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(ペリカンが飛んでいて驚いた)


散歩している時でも、皆さん、相手の目を観て笑顔で挨拶する。何か相談があると、しっかり誠実に相手の目をみて静かに聴いてくれる。そして、最善で対応してくれる。その気持ちが嬉しい。


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相手のふるまいが素晴らしいと思ったら心から讃える。ハグする。良いと思ったら率先してやる。人の目、体裁を気にしない。


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おかしいことをおかしいと言える。議論を避けずに、本音で、しっかり相手と意見交換する。しっかり自分の意見を言える。どんなに議論しても、お互いの人間関係は深まることさえあっても毀損する懸念はない。先日も米人学生と話したが、「世界の弱者を助けられる良い見本になりたい」と堂々と応えていたが、かくも正々堂々と自分の意見を言えることはとても好いことだ。


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大人も何事も率直である。先日友人に連れてっていただいたアイスホッケー観戦でも、子供以上に大人が童心に帰ってはしゃいでいた。実に、楽しかった。感性が素朴でストレートなのである。


そしてなによりも、大事なことは、自分の人生を自分のway of lifeで生きていることである。他人の目を気にしない。右顧左眄しない。


もちろん、周知の通り、ここ米国も、様々な矛盾と問題を抱えている国家であり、そこに住む米国人も様々な悩みをかかえながら生きている。キャーキャー騒いで大げさな感じで、幼稚性が気になることもあるし、すべてが好いとは思えない。しかし、そこに感じるのは、かけがえのない自分の一回しかない人生を、誠実に生きようとしている多くの米人のway of lifeである。それをrespectしたい。


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いままでハリウッドで製作された映画は、全部フィクションだと思っていたが、どうやら、そのシ―ンの多くは、実は、米人の生活や振る舞いをそのまま描写している部分もあるのだと、ふと、気付いた。


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ここで、学生は沢山学べることが多い。20歳前後の多感な時期に、こんな素晴らしい環境で様々な刺激を体験できる学生諸君がうらやましい。

2度目の南カリフォルニア生活であったが、ここに12日間過ごし、様々な嬉しい出逢いがあり、素晴らしい感動を得たことに、心から、感謝したい。そして、学生諸君も生涯で得難い多くの経験をしている。学生の笑顔に公務の重責も癒される。

【カリフォルニア紀行(その13)】電気自動車の進化 ~ TESLA ~

テーマ:徒然紀行(海外) 2012年02月13日(月) 00時51分51秒

カリフォルニアの風土がそうさせるのか、地球環境問題に関心の高い人も多く、米国の中でも最も環境先進地域である。昨年も広大な風力発電群を見学しそのスケールに圧倒されたが、もう1つ興味深いのは、電気自動車の進化である。


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大学の近所のファッションアイランドに映画「Iron lady」を観にったついでに、ぶらぶら散策していたら、カリフォルニアのPalo Altoに本社を持つ電気自動車で有名な「TESLA 」のショップがあり、しばらく、釘づけになり、時間を忘れて、興味津々に、見学。


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ついに、電気自動車がここまで進化したのか。感動。

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【TESLA】・・・公開情報より抜粋

Elon Musk
Chairman, Product Architect and CEO

Elon co-founded Tesla and continues to oversee the company's product strategy -- including the design, engineering and manufacturing of more and more affordable electric vehicles for mainstream consumers. As Chairman and Product Architect, he helped design the ground-breaking Tesla Roadster, for which he won an Index and a Global Green award, the latter presented by Mikhail Gorbachev. In October 2008, he took on the additional responsibility of CEO, overseeing daily operations as the company was ramping up Roadster production and accelerating the development of its second vehicle, the Model S.Elon launched Tesla's regional sales and service centers across two continents and in May 2009 secured a $50 million investment and strategic partnership from Germany's Daimler. He spearheaded a successful cost-down program that enabled Tesla to achieve profitability in July 2009. He guides development of the Model S, the all-electric family sedan that will be produced in at the Tesla Factory in Northern California. The Tesla Factory will employ approximately 1,000 workers.

TESLAのロードスターは 3相交流誘導電動機により稼働。小さくも強力なモーターの重量は、たったの 50 kg 程。モーターに375 ボルトの電圧がかかり、900 アンペアの電流が流れることで磁場が発生。ドライバーの意のままに最大 288 馬力と 370 N・m のトルクを発揮。最高時速で走行時のモーター回転数は 14,000 回毎分に達する。テスラ・ロードスターのバッテリーパックは、革新的なシステム・エンジニアリングと 20 年間のリチウムイオン電池の進化の賜物。精巧な構造によりワールドクラスの加速力、安全性、航続距離と信頼性が実現している。


(会社概要)

Worldwide Headquarters
3500 Deer Creek
Palo Alto, CA 94304
+1 650 681 5000

European Sales Office
Tesla Motors Ltd.
Kings Chase, King Street,
Maidenhead, SL6 1DP, UK
+44 1628 450600

Asian Sales Office
2-23-8, Minami Aoyama
Tokyo, Japan
Tel: +81 3 6890 7700


財務;http://ir.teslamotors.com/sec.cfm

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【カリフォルニア紀行(その12)】ヨットハーバーの心象風景 ~ Dana point ~

テーマ:徒然紀行(海外) 2012年02月13日(月) 00時13分14秒

irvineの近くは、サーフィンのメッカのハンテイントンビーチや芸術家の集まるラグナビーチ等、魅力的なリゾートが多いが、もう1つ忘れてならないのが、ヨットハーバーである。

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昨日も、ラグナビーチで画廊巡りをしたついでに、その先のダナ・ポイント(Dana point)まで足を伸ばし、 しばらく係留しているヨットを眺めてきた。


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近所には素晴らしい海一望の邸宅も多く、青い空と広大な芝生が美しかった。


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(ハバ―近くの住宅)


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鎌倉に10年くらい住んでいたころ、近所の葉山マリーナや逗子マリーナを週末になると散歩がてらぶらりと訪問したことを思い出す。


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なぜか、ハ―バーにいると、ここダナ・ポイントも、葉山も逗子もこころが落ち着くのである。ハ―バーの空気が好きである。


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(Pacific Coast Highway沿いを、美しい海岸線が続く)


(Dana point 全景)


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【カリフォルニア紀行(その11)】週末の画廊めぐり ~ 芸術家村 Laguna Beach ~

テーマ:徒然紀行(海外) 2012年02月12日(日) 14時09分11秒

週末の土曜日、近所の ラグナ・ビーチ(Laguna Beach) でぶらり画廊めぐりですごす。


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(Laguna Beachの画廊)


20世紀初頭から多くの芸術家が集まったことで知られる ラグナ・ビーチは、多くの画廊があり、ぶらり散策しながら、1軒1軒画廊や骨董屋を覘きながら歩くのも楽しい。

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(骨董も多い)


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ランチは、この街では知る人ぞ知る海辺を見渡せる老舗レストランの「ラス・ブリサス(Las Brisas)」で、美味しいカリフォルニア巻きを頂戴する。実に美味。青い美しい海を眺めながら、陽光を浴びて、老舗レストランのテラスで頂くカリフォルニア巻きは格別である。


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(本場のカリフォルニア巻きは格別)

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(眼下に青い海が広がっている)

【ラグナ・ビーチ(Laguna Beach) 】

海浜保養地。20世紀初頭から多くの芸術家が集まったことで知られる。美術館やギャラリーが多い。ギャラリーが立ち並び、アーティストたちのアトリエやミュージアムが多い。毎年夏に開催されるFestival of Artsにはたくさんの人が訪れる。MTVでは「Laguna Beach: The Real Orange County」というラグナビーチに住むお金持ちのティーンエイジャーたちを追ったドキュメンタリーを放送。全米でも大人気のヒットとなった。

【Las Brisas】

361 Cliff Drive

Laguna Beach, CA 92651

tel;949.497.5434

Legendary Las Brisas overlooking the Pacific and the Beautiful Laguna Beach coastline has been a Southern California landmark since its inception in 1938 as the Victor Hugo Inn. Converted to Las Brisas in 1979, it has become a magnet for visitors from all over the world.

URL;http://www.lasbrisaslagunabeach.com/

【カリフォルニア紀行(その10)】豊かな陽光の下 ~Newport Beachで学生とともに ~

テーマ:徒然紀行(海外) 2012年02月12日(日) 01時15分19秒

学生諸君と、放課後、大学近くのNewport Beachで海を眺めてきた。半乾燥性亜熱帯に属する南カリフォルニアの空気が気持ちよかった。


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(往来する白いヨットの帆がまぶしかった)

空が青く、海もキラキラ輝き、海辺で近所の住人が静かに散歩しながら、潮騒を聴いていた。


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潮の香りが嬉しい。なぜかほっとする。この海の向こうには日本がある。そんな当たり前のことをふと青い海を眺めながら思った。


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和辻哲郎の『風土』ではないが、気候や風土とそこに住む人々の性格やふるまい、文化との有意な相関性がある。


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私たちの日本国民は、その特殊な存在の仕方に於いては、まさにモンスーン的であり、受容的・忍従的であると言われている。


日本は、四季おりおりの季節季節の変化が著しい。同様に、日本の人間受容性は調子の速い移り変わりを要求する。和辻は言う、だからそれは大陸的な落ち着きを持たないとともに、はなはなだしく活発であり敏感である。活発敏感であるがゆえに疲れやすく持久性を持たない。しかもその疲労は無刺激的な休養によって癒されるのではなくして、新しい刺激・気分の転換などの感情の変化によって癒される。と。


いま過ごしている、カリフォルニアは、それとは対極にある。


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2月だと言うのに、いたって温暖で、海ではサーフィンや泳いだりしている。


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特にここ南カリフォルニアは、半乾燥性亜熱帯に属し、年間を通じて快適な気候に恵まれている。


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雨量は、冬季山嶺に降雪があるほかは極めて少なく、年中温暖で、日本ほど四季ははっきりしていない。


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海岸を散歩しながら気づくことがある。往来する人々がほぼ例外なく笑顔で挨拶する。年間を通じて温暖快適な気候に恵まれている風土がそうさせているにであろうか。そうであれば、この南カリフォルニアの素晴らしい風土に感謝しなくてはと思う。


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【ご参考まで】「もともとメキシコだったカリフォルニア」・・公開情報より抜粋


ヨーロッパ人が現在のカリフォルニア州に相当する地域に訪れたのは、1542年にスペイン人探検家のファン・ロドリゲス・カブリーヨが金鉱を求めてメキシコから北上しサン・ディエゴ湾に到着したのが最初。当時、この地域はアメリカン・インディアンが多数の小部族に分かれて各地に点在するだけの広大な原野であった。その後徐々に沿岸に移住し始めたスペイン人と先住インディアンの抗争の時代がしばらく続き、本格的なスペイン人による移住はサン・ディエゴがスペイン領になった1769年以降に始まった。スペインの支配を受けていたカリフォルニア地域は、独立戦争の結果、1821年、メキシコに併合されたが、その後、米大陸東部からの開拓民の流入が始まり、開拓民と地域住民との対立が激化。米国は当初、カリフォルニアを含むテキサス、アリゾナ、ニュー・メキシコを購入しようとしたが、メキシコ政府は拒否し、米墨戦争(1846年-1848年)に発展。戦争の結果、カリフォルニアはメキシコから割譲されアメリカ領となり、1850年に合衆国第31番目の州となった。これに先立つ1848年には金鉱が発見され、ゴールド・ラッシュ時代が到来。また、1869年の大陸横断鉄道開通とともに東部から移住者が続々と新天地開拓のために流入し、急速な発展を遂げた。 その後、特に南部カリフォルニアでは、映画を中心とする娯楽関連産業、精密機械工業、石油工業が栄えたのをはじめ、第二次世界大戦の勃発が航空機、船舶など製造業を成長させ、飛躍的な発展につながり、現在、米国第2の工業地帯となった。また、カリフォルニアは、肥沃な土壌と温暖な気候、灌漑設備の整備、豊富な労働力という条件に恵まれ、過去50年近くにわたって全米第1位の農産物販売額を誇る米国有数の農業州でもあり、多様化した産業構造を持っている。ロサンゼルス(LA)にヨーロッパ人が移住してきたのは、キリスト教フランシスコ派のユンペロ・セラ神父がサン・ガブリエール教会を設立した1771年が最初。10年後の1781年9月、スペイン人、インディアン、アフリカ人などで構成する40数名の教徒集団がメキシコから渡米し、プエブロと呼ばれる集落を現在のオルベラ街に形成。ここを「エル・プエブロ・デ・ヌエストラ・セニョーラ・ラ・レイナ・デ・ロス・アンヘレス(天使の女王の町)」と命名。1850年4月4日にLA市制が敷かれたが、当時は、人口1610人、面積72.5平方キロであった。


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もともとここはメキシコだった。米墨戦争(1846年-1848年)に発展。戦争の結果、カリフォルニアはメキシコから割譲されアメリカ領となり、1850年に合衆国第31番目の州となった。

【カリフォルニア紀行(その9)】ニクソン・ショック再考 ~Nixon Museum 訪問雑感~

テーマ:徒然紀行(海外) 2012年02月11日(土) 02時15分14秒

公務の合間に余暇を利用して、大学からすぐ近くにあるニクソン・ミュージアム(Richard NIXON presidential library and museum) を訪問。


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(Nixon Museum で購入したニクソンの著書)

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(広大な敷地)

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(大統領専用車)


ニクソン大統領の生家の所在地に建てられた library and museumで、生家の中にも入れた。


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(ニクソンの生家)


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(ニクソンも弾いた生家のピアノ)

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(ニクソンの書斎)


ニクソン大統領で、ただちに想起するキーワードは4つある。


1つは、2つのニクソン・ショック。


1つは、ウオーターゲート事件。


1つは、ケネディーとの大統領選での激しいディべ―ト。


1つは、当時のソ連フルシチョフ書記長とのキッチン・ディべ―ト。


の4つである。



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(Nixon Museum 正面)


既存の世界秩序を変革する大きな方針転換ゆえに、「ショック」と形容詞がついている「ニクソン・ショック」は、2つある。

1つは、1971年8月15日、日本の終戦記念日に突如公表された、ドル紙幣の金兌換停止宣言。これを機に、ブレトンウッズ体制は終結を迎える。


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ドル紙幣の金兌換停止宣言を扱っている展示コーナー


1つは、ニクソン訪中宣言。1971年7月に発表されたニクソン大統領の中国訪問宣言である。翌年1972年2月実際に北京訪問を実現している。


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(1972年ニクソン訪中記事)

意外なことに、今回、見学したニクソン・ミュージアムにおける前者のドル紙幣の金兌換停止宣言の取り扱いは実にさりげなくささやかであった。


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ドル紙幣の金兌換停止宣言を扱っている記述。結構あっさりしている。


ウオーターゲート事件の取り扱いは、展示内容も充実していた。


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(ウオーターゲート事件関連展示コーナー)


また、寄遇にも、ウオーターゲート事件についての特別講演を聴くことができた。


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(ウオーターゲート事件についての特別講演)


いまだに、この議論は終わっていないことを再認識させられた。


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(特別講演会で)


ケネディーとの大統領選での激しいディべ―トは、過去に何度か観たことがあったが、あらためて、じっくり見れた。あの時が時代の転向点ではなかったかと再認識した。


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(歴史に残るケネディーとのテレビ・ディべ―ト)


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「台所論争」で有名な、ソ連フルシチョフ書記長とのキッチン・ディべ―トは、1959年のモスクワでの「アメリカ展」での出来事。原寸大のアメリカの住宅を前に、様々な家電製品が充実した住宅をアメリカではすべての階級のアメリカ人が入手可能だと自画自賛したニクソンに対して、フルシチョフ書記長は、反論し、同様な快適な住宅に誰でもはいれるばかりではなく、3世代も住み続けることができる頑丈な住宅であるのに対してアメリカの住宅は20年しかもたないと、反撃した。


あれから、50年以上の月日が経ったが、地球環境問題を背景に、大量消費、大量廃棄の見直しが始まっている今日この頃、何とも示唆に富む議論ではある。


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(大統領専用ヘリコプター)


【Richard NIXON presidential library and museum】

Richard Nixon Presidential Library and Birthplace
18001 Yorba Linda Boulevard
Yorba Linda, California 92886

  • Monday-Saturday from 10:00 a.m. to 5:00 p.m.
  • Sundays from 11:00 a.m. to 5:00 p.m.
  • The Museum is closed on Thanksgiving, Christmas Day,
    and New Years Day.
  • Adults: $11.95
  • Seniors 62 years and older: $8.50
  • College students: $6.95
  • Active Military: $6.95
  • Children ages 7-11: $4.75
  • Children ages 6 and under are free
  • Museum members are free

地図;http://nixon.archives.gov/visit/directions/directions-yorbalinda.php#loc




【カリフォルニア紀行(その8)】アイスホッケー観戦 ~アナハイムのダックスを応援~

テーマ:徒然紀行(海外) 2012年02月10日(金) 01時26分39秒

生涯で初めて、アイスホッケーの試合を観戦した。


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米国在住の友人のご厚意で、彼の案内で、近所のアナハイムにあるホンダセンターで開催されたアナハイムのダックスとカロライナのハリケーンとの試合を見てきた。


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(ホンダセンター)


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百聞は一見にすかずとはよく言ったものである。氷上の格闘技といわれる激戦の迫力と、次々と展開するスピーディーなゲームドラマ進行が実に刺激的で興奮した。


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ネイティブアメリカンのチペア族のプレイしたバゲタウェイ(Baggataway)が起源であるとの説もあるアイスホッケーであるが、その後、様々な進化をとげて、ルール整備によってゲームが洗練され、アイスホッケーの人気は高まってきた経緯がある。


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(入場券)


北米を代表するウィンタースポーツでもあるアイスホッケーであるが、先日のスーパーボールで感じたアメリカンフットボールに対する米国人の熱い思いと同じものを、会場の熱狂に感じた。



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(これを食べながら観戦した)


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(記念に買ったアイスホッケーのパッド)


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(ショップも充実)

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【カリフォルニア紀行(その7)】国際経済の環境化(Environmentalization)

テーマ:徒然紀行(海外) 2012年02月09日(木) 02時48分22秒

今回のカリフォルニア大学滞在のような大学公務出張のありがたいことは、こうした機会に、同じ研究分野の研究者諸氏の意見を伺う機会を得れることである。


昨日は、幸運にも、同大学Social Ecology 学部のフェルドマン博士(Dr.David L. Feldman,Chair and Professor of the Department of Planning, Policy and Design)と意見交換する機会を得た。


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(Dr.David L. Feldman)


博士の専門分野である水問題、気候変動問題、さらには、国際経済システムの環境化('Environmentalization' of International economic system)等々、話は多岐にわたって実に刺激的で面白かった。


かつて、アンマリー・スローター(A.Slaughter 米国国務省政策企画局長)は、これからの時代を特徴つけるのは、もはや、国家間の相互依存(interdependence)ではなく、個人や官民等様々なアクター間の繋がり(interconnectedness)であると喝破している。



いまやFacebook等に象徴されるITの進化発展を背景に、個々の主体性を持った学者・研究者や市民同士の直接的な繋がりが大きな意味を持ち始めている。


地球環境問題においても、国家の枠を超え、個人や企業等、個別のアクターが直接繋がりあいながらしなやかに対応してゆく時代が到来しつつある。


性懲りもなく何度も繰り返してきた国際金融危機を経て、人類の経済活動において長らく君臨してきた現下の経済システムも、国際不均衡問題や基軸通貨問題も含めて、深刻なほころびが見えつつあり、いままで「外部性」としてないがしろにしてきた環境要素を人類の経済システムに内部化すえう、いえわゆる「環境化(Environmentalization)」を通じて、世界中の人々が、地球市民としていかなる最適なシステムが構築可能なのか、そのリセットの素地ができつつある。


フェルドマン博士との談笑は、そんな手ごたえを、感じられた、実に面白い時間であった。



【Dr.David L. Feldman profile】


Specializations: water resources management and policy, global climate change policy, ethics and environmental decisions, adaptive management and sustainable development. Feldman specializes in water resources management and policy, global climate change policy, ethics and environmental decisions, adaptive management and sustainable development. His current research is focused on the sources of value conflicts over allocation and distribution of water, and the difficulties in achieving institutional reform to promote equity in water management in the U.S. and elsewhere.http://socialecology.uci.edu/faculty/feldmandd

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