我々は明日に向かって歩み始めるしかない。


今回の東北関東大震災を契機に、人々は、巨大な自然の威力の前でいかに人類が脆弱で無力であったかいやというほど思い知らされた。

そして、自分でリスクの把握と管理制御が不可能な途方もない装置を勝手にこの地球上に設備してはならないことを肝に銘じたはずである。

同時に、エネルギー・電気依存のgreedyな生活習慣への大反省の局面にたたされている。


この時期に肝要なことは、一刻も早く、未来志向的な議論を進め、新しい仕組み作りに着手することである。


巨大震災のショックへの反射として、いたずらに魔女狩りに終始したりするのではなく、脱原発の議論の延長で、原発のprosとconsを冷静に客観的に分析し、内外からの原発批判論とともに、原発をすすめてきた立場の意見や根拠もあわせ冷静に読んで、客観的に比較分析し、原発の実態をよく知ることで、大局観にたって明日からの自分たちの生き方を考え、再生可能エネルギー等のalternativeなロードマップ構築を伴う新しいあるべき仕組みを再構築することに尽きる。


世田谷徒然日記


参考までに、公開情報を整理すると、「脱原発」の論拠は、主に以下の15の論拠からなっている。


(1) 大事故の危険性がある。

(2)核拡散、核テロリズムの危険性がある。また、その防止のためとして社会的自由が制限されたり、危険回避に必要な情報まで開示されなかったりする。

(3)平常運転時にも、環境の放射能汚染、労働者の被曝を伴う。

(4)数万年を超える管理を必要とする高レベル放射性廃棄物をはじめとして、大量かつ種々雑多な放射性廃棄物を発生させる。

(5)エネルギー利用のメリットを得る者と危険性を引き受ける者とが、地域的あるいは世代的に不公平である。

(6)プルトニウムを本格的に利用しようとすれば世界中をプルトニウムが動きまわる事態となり、核拡散、事故の危険性を大きくする。他方、現実にはその蓋然性が高いようにプルトニウムが本格的に利用できないとすれば、ウランの資源量は石油と比べてすらはるかに小さく、原子力利用の抱える問題の大きさにまったく見合わない。

(7)原子力は電気しかつくれないためにエネルギーの利用形態を電気に特化し、省エネルギーに逆行するとともに、電気が止まったら何もできない脆弱な社会をつくってしまう。

(8)原発では電力需要の変動に対応できないので、原発を増やせば調整用の他の電源も増やすことになり、ますます電力化をすすめることになる。

(9)原発は事故で運転をとめることが多く、しかも出力が大きいため、電力供給の安定性を脅かす。その対策として、低出力で運転しながら待機している火力発電所や揚水発電所を必要とする。

(10)原発は大都市から離して建設されるために、超高圧の送電線を新設しなくてはならない。経済的に大きな負担となり、鉄塔・送電線に大量のエネルギーを消費し、送電ロスを伴い、環境の悪化をすすめる。電磁波の害もある。また、長距離送電は電圧・周波数の維持を困難にして、この点でも電力供給の安定性を脅かす。

(11)核燃料サイクルの関連施設、原発のために必要となる他の電源や送電の費用、研究開発費などをふくめた原発のトータル・コストは、きわめて大きい。その経済的負担を軽減しようとすれば、定期検査期間の短縮など、安全性を犠牲にする対応策をとらざるをえない。

(12)以上のような原発の特性は、エネルギー計画から柔軟性を奪い、エネルギー源の多様化を阻み、エネルギー消費を小さくすることや、分散型エネルギー源を開発することを圧迫する。

(13)将来の大量エネルギー供給が強調され、エネルギー問題/環境問題を本気で考えることの邪魔をし、エネルギー政策の意思決定から市民を遠ざける。 

(14)電源三法交付金などにより立地自治体の財政に一過性の膨張をもたらし、地域内に賛成・反対の対立を持ち込み、地域の自立を妨げる。

(15)情報の隠蔽や捏造、操作が(国内でも海外でも)常につきまとう


point of no-returnは我々の眼前にある。

もはや、我々に猶予はない。既にイエローカードが出されてしまっているのだから。


(出所)「なぜ脱原発か」 http://www.cnic.jp/modules/about/article.php?id=15